【 魔の塔 】太陽の塔・2

【 芸術は爆発だ! 】

岡本太郎と言えば、例のTVコマーシャル「芸術は爆発だ!」をいまだに覚えている人が多いのではないだろうか。とはいえこのCMが話題になったのは1981年。かれこれ40年前である。なので50歳以上でないとなんの話かわからないだろう。

なんの話かわかる人も「……そうそう、岡本太郎。しかしなんのコマーシャルだっけ?」という人が大半に違いない。かくいう私も、彼の「目をひんむいたような表情」と、半ば叫ぶような声と、このセリフは記憶にあるのだが、「さてなんのコマーシャルだっけ?」だった。

このようなとき、昨今では(もはや体の一部と化している)スマホで即座に調べる人が多い。もちろん調べることはいいことだが、情報があまりにも簡単に手に入りすぎて、結果、それによって得られた情報がただの「ゴミ情報のひとかけら」と化している。そこにはなんの感動も余韻もなく「……あ、そーなんだ」で終わってしまい、次の瞬間には興味を失って焼却処分寸前となってしまっている。そんな人が多いような気がする。

「じゃあ、あんたはどうなのさ?」と言われてしまいそうだが、まず私はスマホ拒絶派である。理由はあの小さな画面で文字など追いかけようものなら、眼精疲労が一気に加速することが目に見えているからだ。なので「アイパッド and ガラ系」というスタイルでやっている。
まあそれはともかく、すぐにはネットで調べない。5分でも10分でも1クッションを置き、思い出す努力をする。

たとえばこの「芸術は爆発だ!」CMの場合、白いグランドピアノが記憶にある。岡本太郎が演奏している。そのグランドピアノの「大屋根」と呼ばれる部分は、(例の色彩が躍動するような)彼の抽象絵画となっている。ガーンと鍵盤を叩きつけるようにして彼が叫ぶ。
「芸術は爆発だ!」
そのシーンはよく覚えているのだが、さてなんのCMだったか、やはり思い出せない。YAMAHAのグランドピアノ?……まさか。彼の傍にウィスキーかコーヒーでもあったか。やはり思い出せない。

そこで観念してネットで調べ、「YouTube」でCMを再現。正解はマクセルのビデオテープだった。じつに時代を感じさせる商品だ。マクセルのVHSビデオパッケージのデザインもよく覚えていた。
こういうのはTVコマーシャルとして成功なのか失敗なのか、あるいは元々そんな価値判断などどうでもいい世界なのかよくわからないが、ともあれ1970年の大阪万博で「太陽の塔」を建ててから11年が経過し、1981年となっても岡本太郎のパワーは全く衰えていないことがよくわかる。大したものである。

【 対ピカソ 】

さて本題。「太陽の塔」をつくった男。岡本太郎。
京王「井の頭線」渋谷駅を使って通勤・通学している人の多くは、その連絡通路壁面に設置された彼の巨大作品を毎日見ているはずである。その作風が好きか嫌いかはともかく、一見して「うわっ。岡本太郎!」とわかる巨大パブリックアートだ。

岡本太郎は1911年(明治44年)年生まれ。明治、大正、昭和、平成の時代を生き、1996年(平成8年)に84歳で逝った。
冒頭で述べたTVコマーシャル(1981)が話題になった時代では、バラエティ番組からドラマにまで出てきた。人気俳優レベルの大活躍であったため、現在50歳以上の日本人には強烈な印象を残した芸術家と言える。
魔談は評論ではないので彼の詳しい生い立ちなどは割愛するが、なにしろ両親からして半端ない。

・父:当時の人気風刺漫画作家(朝日新聞)。収入の大半は酒代に消えるような放蕩生活。
・母:大地主のお嬢で小説家で家事能力なし。

このような家庭環境で育った少年は盛んに絵を描くようになった。しかし相当に負けん気の強いわがまま少年だったらしく、小学校時代から「なじめない」というただそれだけの理由で転校を重ねた。

東京美術学校(現・東京芸大)時代、父が朝日新聞特派員としてパリ渡欧となった。太郎は(当然ながら)入学したばかりの東京美術学校に休学届けを出して父に同行し、海を渡った。
時に太郎19歳。実際は休学どころか、太郎はその後10年間をパリで暮らした。

そのパリ時代に、太郎は画廊でピカソ作品を見たのだ。その抽象画が彼にとってはいかに衝撃的な出会いであったことか。それはその後の彼の制作活動を見ればわかる。彼は抽象画こそが「伝統や民族、国境の障壁を突破できる真に世界的な20世紀の芸術様式」と述べている。ピカソに対しては「尊敬」という心情よりもむしろ「打倒」という気分であったに違いない。「いかにピカソを乗り越えていくか」といった激しい競争心があったに違いない。

その後、悲惨な兵役時代を経て(太郎は中国戦線へ出征し、日本降伏時には長安で捕虜となっている)、やっと彼が待ち望んだ「絵を描くことができるまともな時代」となる。ただ彼の場合は、おとなしく絵画を追求しているだけの画家ではない。

「絵画の石器時代は終わった。新しい芸術は岡本太郎から始まる」(1947年)
こういうことを新聞で発言するような男である。岡本太郎36歳。

昭和を最初から最後まで生きた人なので、人生を映画にしてもいいのではないかと思えるほど激動の時代をたくましく生きた画家だ。そして1970年の大阪万博開催時59歳。マクセルVHSテレビコマーシャル時70歳。「老いても衰えず」どころか、ますます盛んとなった。

とはいえさすがに「先は長くない」と感じたのだろう。80歳の時に所蔵作品の大半を川崎市に寄贈した。その頃から「死は祭りだ」と語り、一般的な(粛々とした)葬式を激しく嫌った。さもありなん。84歳で逝った。葬儀は(当然ながら)行われなかった。墓は多磨霊園にある。

追記。
岡本太郎の著作「今日の芸術」はじつに読みやすい芸術論の本である。私は大学生時代にこの本を愛読した。
読みやすいのも当然で、そもそもこの本が執筆された理由は、光文社社長が「中学生でも理解できる芸術の本を書いてくれ」と太郎に依頼したのだ。1954年の話である。時に太郎43歳。これは当時のベストセラーになった。その後一時絶版になっていたが、1999年に光文社より「知恵の森文庫」として復刊されている。

* 太陽の塔・完 *

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