【 魔の塔 】クレオパトラの針(2)

【 パリにもロンドンにもあるんだし 】

前回の魔談では、エジプトに建っていた「クレオパトラの針」が、今はなんでロンドンに建っているのかという話をした。このオベリスクはもともとは2本が対になってアレクサンドリア(エジプト)に建っていたのだ。ところが今は2本ともその場所にない。1本はロンドンに運ばれ、もう1本はニューヨークに運ばれた。両方とも(その時代の政治家たちの思惑が錯綜する)ロクでもない理由で運ばれたことはすぐに想像できるのだが、ともあれ前回はロンドンに運ばれた「クレオパトラの針」の経緯を語った。今回はニューヨークに運ばれた方の「クレオパトラの針」を語りたい。

1877年。ニューヨークの新聞では「クレオパトラの針」がエライ苦労の末にロンドンまで運ばれたという記事が詳細に報道された。なにしろそのオベリスクを運ぶために作られた特製の鉄の筒は、海に浮かべてロンドンまで引っぱっていくつもりが嵐に遭遇し、死者6人を出し、そのあげく行方不明となり、4日間海上を漂流し、スペインのトロール船に発見され、ようやくロンドンまでたどり着いたという波乱万丈の船旅だった。まさに「鉄筒漂流記」だ。

ニューヨーク市民はその記事を見てどう思ったが知らないが、「パリにもロンドンにもオベリスクが立っている。ニューヨークにも建てようではないか」と言い出した人々がいた。クレオパトラが聞いたらさぞかし怒り爆発ものだろう。
「エジプトを骨董市場だと思ってんのアンタ!」と祟ってもおかしくないような話だ。しかし実際は(筆者が期待するような)祟りは全然なく、通称「クレオパトラニードル」は最近では(祟りどころか)セントラルパークのパワースポットと言われているようである。

さて1877年。
この時期のアメリカ社会をちょっと覗いてみよう。南北戦争(1861〜1865年)がようやく終結して12年。しかし「合衆国」に復帰した南部諸州は、戦争で負けたので渋々「黒人奴隷制度廃止を受けいれる」というポーズをとっていたものの、実際はくすぶる不満が「黒人差別」という社会現象につながっていく。そういう時代のアメリカである。国が南北に分かれて戦争した傷跡がなかなか癒えない苦難の時代だ。北部はパアッと明るい話題がなにかほしかったのかもしれない。

「ニューヨークにもオベリスクを」という気運は高まったようだが、問題は資金である。英国の場合は「著名な解剖学者で皮膚科医」という人物が出てきて資金提供の話がまとまったのだが、アメリカの場合は鉄道王というのが出てきて寄付をしたいと言い出した。
この「鉄道王」というのがまたいかにもアメリカである。英国にはこんなのはいないだろうし、また近いのがいたとしても「オベリスクの運搬に寄付(10万ドル以上)をしましょう」なんてのはまずいないだろう。

マネーさえなんとかなれば、そこはもう「強気のアメリカ」である。話はトントンと進み、「さてだれが運ぶか」という段取りとなった。
ここで海軍が登場するところがまたアメリカである。「ツルッと運んで英国野郎を出し抜いてやる」と思ったかどうかは知らないが、それに近い気分はきっとあったに違いない。

ヘンリー・H・ゴリンジ(海軍少佐)がやったのは「横倒しにしたオベリスクを、でかい蒸気船の中に入れてしまう」という方法だった。
こうして蒸気船は1880年6月12日にアレクサンドリアを出発。ジブラルタル経由で大西洋を渡った。1ヶ月以上かけて慎重にゆっくりと運び、7月20日にニューヨークに到着。ハドソン川の堤防からセントラルパークまで運ぶのに32頭の馬が引っぱったという。

建ってしまったらもう(アメリカが大好きな)お祭り騒ぎである。同年10月2日、5番街では9000人以上の石工たちがパレードし、5万人を越える観客がドッとつめかける祝賀祭典となった。めでたしめでたし。……で、この話は終わらない。

【 崩壊寸前 】

さて現在。
セントラルパークのパワースポット「クレオパトラニードル」だが、よく見ると、台座部分の四隅に妙な造形がニュッと出ている。これはカニの爪だ。あたかも4匹の巨大なカニ(青銅製)がクレオパトラニードルを支えているように見える。

実際は「支えている」というよりも「クレオパトラニードルの底面は四隅が欠けちゃって、けっこうヤバイ。マジで倒れそうだ。なのでその部分にカニを詰めてしまおう」と、こういう理由のようである。なんでカニなのか、いまひとつよくわからんのだが、その大きな爪の部分に「オベリスクの由来」が刻まれているらしい。

問題は、その「欠けちゃった四隅」だけではない。セントラルパーク・クレオパトラニードルは、じつはかなり風化が進行している。つまり乾燥したエジプトの砂漠地帯ではなんの問題もなく2000年でも3000年でも建っていたのだが、ニューヨークの「大気汚染と酸性雨」環境ではそうはいかない。オベリスクの表面はかなりボロボロになっており、最も大事なヒエログリフ(表面に刻まれたエジプトの神聖文字)が判読不能に近い状態にどんどん接近しているという。「セントラルパークのパワースポット」などと言って喜んでいる人々はこれをどう見ているのか。

この風化を知ったザヒ・ハワス(エジプト考古学者の権威)は大いに憂慮し、ニューヨーク市長に公開書簡を送った。
「なんとかしてほしい。このままほったらかしにするようなら、元の場所に戻す」と伝えたそうだ。「元の場所」とは当然ながらエジプトである。ニューヨーク市長はなんと返事したのか知らないが、エジプト考古学会はこの際、もっと声を大にして怒り、「返せーっ」と抗議してもらいたい。
「ほーら、見ろ!」と私も声を大にして非難したい。
「……なんでもかんでも自分トコの国に飾ってしまおうというオゴリがこの結果だ。バラバラに崩れてしまう前に補強するか、大金を使ってエジプトに戻すんですな」と言いたい。

* クレオパトラの針・完 *

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