【 止観を学ぶ 】
あなたは「坐禅」を経験したことがあるだろうか。お寺やカルチャースクールが主催する坐禅教室とか、お寺が提供する坐禅体験とか、色々とあるがとにかく誰かの指導を受けた状況で、15分でも半時間でも坐禅をしたことがあるだろうか。もし「1回もない」というのであれば、一度は体験することをお勧めしたい。
なぜか。これは時間や体力や参加費がかかるものでは決してない。「毎週1時間」とかは無理だとしても、「お寺で15分の体験」でもいいのでやってみることをお勧めしたい。もしかしたら、その体験により、あなたの内部に「止観」が芽生えるかもしれないからだ。「止観とはなにか」がおぼろげながら理解できるかもしれないからだ。「たった1回や数回で理解できるものかね?」とお疑いであれば「やったことがない、よりも理解できる可能性ははるかに高い」と申し上げたい。
私はこの時が坐禅初体験だった。「この時」というのは、8歳の夏休みに延暦寺に連れてこられて、大広間で3歳年上のかずくんから「坐禅のやり方」を教わった時である。
幸いというか、かずくんは先輩風を吹かしたり、私を年下と見て見下したり、そういうことは全くなかった。彼は、はっきり言って、私の存在など全く眼中になかった。あくまでも「お寺の言いつけをきちんと守る」という態度に全力をあげていた。その健気さは門外漢の私が脇で見ていても、どこか痛々しいほどだった。
「なんでそこまで必死でお坊さんの顔色を見るねん?」と私は内心で不思議に思っていた。内心でそう思いつつ「……この人は将来はお坊さんやからな。将来にお坊さんになる人は、こうせなあかんのやろな」とそれなりに理解していた。
前回の魔談でも少し触れているが、篠田先生は私の立場をきちんと延暦寺側に説明していなかったのだろうと思われる。かずくんはお坊さんになりたくてここに来ているのであり、また篠田先生の実家であるお寺の強い推薦を受けて来ている。なんの問題もない、どころか延暦寺としても丁寧に扱っていたのだろう。しかし私は違った。お坊さんにも仏教にも延暦寺にも、なんの知識も興味もなかった。
今にして思えば、かずくんの極度の緊張は、やはり「延暦寺」というお寺がいかにすごいお寺なのか、日本仏教の頂点にあるお寺、そうしたことを知識としてちゃんと知っていたからだろう。彼の目から見れば、ここにいるお坊さまたちは、その全員がまぶしいばかりの「あこがれの存在」であったに違いない。
(余談)
この話からほぼ1年後、篠田先生は私の実家に来て父と飲んでいた時にふと私を見て「どうだ? 今年の夏も延暦寺に行くか?」と聞いてきた。私はうなずき、「行ってもいい」と答えた。しかし結果として私は断られた。
「将来にお坊さんになりたい子だけにしたらしい」
篠田先生は数日後にそう言って私にあやまった。私は「がっかりした」半分「ほっとした」半分といった複雑な気分でうなずいたが、心のどこかで「ああ、やっぱりね」と思っていた。
いまにして思えば、このとき、初めて延暦寺に行った時も、私は僧職希望者じゃないということが判明し、お寺側としては受け入れるかどうかで困ってしまったのかもしれない。結果としては「もうここまで来ているのだし、いまさら追い返すというわけにもいかんだろう」といった寛大な措置になったのだろうと私は想像している。そしてまた次の年になって私を断ったことにより、篠田先生に対しては「お宅の子は特別扱いしているのだ」といった対応を暗に示したのではないか。そのように推測している。
【 結跏趺坐/けっかふざ 】
かずくんは大広間の隅に重ねてあった座布団を2枚、持ってきた。大きな大福餅のような丸い座布団だった。
「これな、上に乗るんやない」と彼は言った。
「この座布団の半分をお尻の下に敷いてな」
彼は正しい敷き方を私に見せた。
「……お尻をちょっとだけ浮かすんや」
これは私も問題なくすぐにできた。
「お尻をな、後ろにちょっと突き出す感じや。背筋をシャンと伸ばしてな。……せやせや」
この次が問題だった。
「これな、結跏趺坐というてな」
彼は独特の足の組み方をした。初めて見る足の組み方だった。
「こうしてな、お尻と、両方の膝と、この3点で、重心を支えるのや」
私は彼に習って、まずは左足を曲げて足裏を上に向け、そのかかとを下腹部にグッとくっつけるようにして組んだ。
痛みが走ったが、それほどの苦痛ではなかった。
しかし右足も同様に組もうとした時に鋭い痛みが走った。とても耐えられるものではなかった。
「痛ーっ!」と思わず私は叫び、最も疑問に感じていることを言った。
「これは痛いのを我慢する修行なんか?」
彼は(珍しく)大笑いした。
「そうやない。痛いのを我慢する修行なんかあらへん」
私は仕方なく、曲げた右足の足裏も上に向けたものの、左足に乗せる組み方は痛いのがどうしても我慢できなかった。
「無理せんでええ」と彼は言った。私の痛みに歪んだ顔を見ていられなかったのだろう。
「……そのうちにな、できるようになる」
私はその組み方をあきらめた。右足は曲げた状態で左足の下に敷き、半ば崩した状態で組んだ。
その後、私は痛いのを承知で何度も「結跏趺坐」にトライした。ちゃんと組めるようになったのは、その時から3日後だった。
【 つづく 】