【 魔の自己愛 】(2)

【 シーラ・ナ・ギグ 】

木戸をくぐってみて、婦人がわざわざ庭に招き入れてくれた理由がよくわかった。木塀の内側にはネットが取りつけてあり、そこにはあちこちに時計草が咲いていた。この家は木塀の内側の方がよく日光が当たるのだろう。

私は婦人の許可を得て撮影を開始した。
時計草はツル性の植物だ。ネットを覆いつくすように上へ上へと巻きひげのようなツルを伸ばし、葉を繁らせ、大輪の花を咲かせていた。木塀の外で撮影した時計草とは違う色調の花だった。この花の複雑な構造と色彩には、どことなく熱帯を感じさせる。原産は南米と聞いている。アンリ・ルソーの描く熱帯林はすべて想像で描かれた植生だが、いかにもその中に混ざっていそうな花だ。

最初は花にばかり気をとられていたのだが、少し引いてみて木塀全体を撮影しようとした。そのとき地面近くに覆い茂った草の合間に、丸っこい石のようなものが見え隠れしていることに気がついた。ネットを止めるためのものかと思ったのだが、そうではなかった。近づいてよく見るとそれは石ではなく、人の形をした石像だった。身長20cmほど。
(これは)と、ちょっと驚いた。(……シーラ・ナ・ギグじゃないか)
実物を見るのは初めてだった。まさか日本の古民家の庭で見るとは思いもよらなかった。

シーラ・ナ・ギグ。御存知だろうか。
じつはこれについては、ちょっとしたエピソードがある。その話をしたい。

古民家の庭でシーラ・ナ・ギグを見たのは十数年前だが、さらにその数年前。
……とここまで書いて、(いやいやこういうのは「何年前と」はっきり書くべきだ。その方が話がわかりやすい)と思った。そこで改めて日記を調べた。
私の日記はデジタルではなく、小型のスケッチブックである。記憶による簡単なスケッチを描いていることが多い。この時もシーラ・ナ・ギグを描いていたので、すぐに見つかった。

そんなわけで、古民家の庭でシーラ・ナ・ギグを見たのは12年前、これから語る「シーラ・ナ・ギグ談」は15年前。そのように訂正したい。

【 愛バーニア 】

さて15年前。
「Macデザイン」講義を終えた私は受講生数人と少し雑談し、講師控え室に戻った。タイムカードをガッチャンと印字し、専門学校を出た。少々疲れていたが、画材店に寄りたかったので地下鉄には乗らず名古屋駅まで歩くつもりだった。学校から画材店まで徒歩10分。画材店から名古屋駅まで徒歩20分という距離だった。

ところが歩き始めてすぐに、背後から名前を呼ばれた。
「北野先生!」と呼ばれるのは最も苦手だ。いつもギクリとする。ただ歩いているだけでも「先生」と呼ばれるとついギクリとして足が止まる。
ふりかえると、同じ学校の女性講師だった。彼女は「雑貨デザイン」を担当していた。普段はフリーで活動している雑貨デザイナーと聞いていた。ショートヘアのこざっぱりした髪型の美人で、歳は、そう、40ぐらい。いつ見ても違うデザインのイヤリングをしていた。

我々は並んで歩き始めた。「お茶でも?」というお誘いだった。腕時計を見ると画材店の閉店までざっと2時間あった。
「1時間ぐらいなら」と返事し、雑談しながらしばらく歩き、喫茶店に入った。

学校のことでなんか悩み事でもあるのかと見当をつけたが、果たしてそうだった。一人の女生徒に手を焼いているという。
「赤毛の……」と聞いてすぐにわかった。「いかにもハーフ」という娘がそのクラスにいた。性は日本で普通に見る性だったが、名前は「アイバーニア」だった。「バー」にアクセントを置いて発音する。本人は「愛バーニア」とサインしているという。
「父親は日本人。母親はアイルランド人」
「なるほど。……その生徒がなにか?」

独特のデザインを出してくるという。独特だけならいいのだが、日本の通常の感覚ではまずありえないデザインだという。
iPadがテーブル上に出てきた。iPadで撮影した写真が画面に表示された。ホワイトボードにマグネットで止められたデザインスケッチが10点ほど。
「生徒作品ですね?」
彼女は無言でうなずいた。

それは植木鉢に描く「装飾デザイン案」だった。実際は素焼きの赤茶色をベースにし、その上にアクリルガッシュで描くのだろう。生徒たちはケント紙に植木鉢の側面図を描いて各自のデザインを示していた。
「雑貨デザイン」クラスなので、生徒の大半は女性なのだろう。アールヌーヴォーを思わせる華麗な草花、矢を放とうとする愛らしいキューピッド、絵本に出てきそうなかわいらしい家が並んだデザイン……そうした「いかにも作品」が並ぶ中でただ1点、異様なデザインの作品があった。彼女はピンチアウトと呼ばれる二本指操作でその作品を拡大した。

その作品は、植木鉢に裸体の女性が描かれていた。赤茶色をベースにし、太く白い輪郭線で力強く描かれたその女性は座った姿勢で両足を広げ、性器を露出していた。絵の下に文字で記入する「テーマ」枠には「娘フラワー」。氏名記入枠には「愛バーニア」とサインされていた。

「娘フラワー?……というのはもしかして」
彼女は無言でうなずいた。

私はチラッと彼女を見た。言葉数が少なくなっている。眉間にうっすらと縦じわが入っている。左手でハンカチをギュッと強く握りしめている。こんな絵を見るのも話題にするのも、イヤでイヤでしかたがないのだろう。

つづく

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