【 愛欲魔談 】(1)日本文学色めぐり

【 日本文学色めぐり 】

以前、辞書を発行している出版社からの依頼で、英和辞典の挿絵を描いたことがある。辞典に掲載される挿絵は私の作品だけではなく、全部で5名のイラストレーターや画家が参加していた。挿絵は黒1色のペン画だった。集中して描けば1〜2時間ほどで完成するような15cm四方程度の作品だったが、なにしろ点数がすごかった。私の担当だけでざっと200点はあった。

他の仕事もあったので1日に1〜2点が精一杯だったが、「1週間に1回は弊社に来て作品を渡してほしい」という要望だったので、毎週のように10点ほどの作品を持参して出版社に通うようになった。1988年。34年前。まだ「メールで画像を添付する」という(今では当たり前の)便利なことができなかった時代の話である。

出版社に通うのは大変だったが、「5時に来社されたし。6時になったら飲みに行こう」というお誘いが嬉しかった。編集者には酒好きが多いのだろうか。それはわからないが、いつも4〜5人ほどで飲みにいった。私以外は全員が年上の、出版社勤務の、ベテラン編集者である。
酒の席ではじつに様々な話題が出たが、必然的に小説の話、作家の話、売れた本の話が多かった。「やはり通常の会社とは話題が違う」と何度も思ったものだ。

私は32歳で、「30歳でフリー」の夢をようやく達成した時代だった。その数年前まで勤めていた広告代理店では、酒の席といえば上司の悪口か、(その席にいない)同僚の悪口か、クライアント(広告主)の悪口だった。人の悪口をサカナにして酒を飲んでる仲間たちのなんと嬉々としていることか。「会社勤めはとかくストレスが多い。酒も悪口も発散の手段だろう」と思って付き合っていたが、次第にやりきれない気分になった。
「人の悪口を言えば、必ずめぐりめぐって、その人から疎まれる」と私は思っていたので、目の前を飛び交う悪口のオンパレードを笑って聞いていた。すると一人のAE(アカウントエグゼクティブ/営業)がふと私の沈黙が気になったらしく、ジロッと視線を向けて言った。
「北野はなんか言いたいことはないのか?」
そこで私は上司を褒め、同僚を褒め、広告主を褒めた。私以外の4〜5人は黙って聞いていたが、その後はなんとなく酒の席がしらけ、「そろそろ帰るか」ということになり、その後、私は酒に誘われなくなった。

さて話を戻そう。編集者たちとの酒の席で知ったのだが、その出版社は毎週1回、企画会議をするらしかった。これは副社長出席・全社員対象の会議で、社員であれば誰でも参加でき、その会議に出版企画を持ちこむことができるらしかった。「外部から持ちこまれた企画もOK」ということだったが、企画会議に参加するのは社員に限られていた。

その企画会議に「日本文学色めぐり」というタイトルで出版企画を出した編集者がいた。彼を仮にMさんとしよう。Mさんは大の酒好きで、そもそも私に「6時になったら飲みに行こう」と誘ってくれたのは、このMさんだった。風貌がどことなく志茂田景樹に似た人で、じつに飄々とした雰囲気で、常に笑顔をたやさない人だった。

Mさんは自信満々、「この企画が通らなくてどうする」といった押しで熱弁をふるったらしいのだが、結果はボツ。理由は「社の品格が落ちる」ということだったらしい。彼はもちろんこの結果が大いに不満だった。
「品格だと!……出版社が品格など気にしてどうする!」と酒の席で(憤りつつ)笑った。

私はその企画に興味を持った。
「好色を取り上げた日本文学の紹介ですか?」
「まあそうだが」とMさんは認めたが、彼の目指す本は単なる「好色本紹介」ではなく、もう少し奥深い内容のようだった。
「そもそも……」と彼は持論熱弁の雰囲気となり、他の編集者たちは「始まったよ」といった感じで苦笑の風情だった。

「日本文学の原点は好色である」というのが彼の主張する揺るぎない説であるらしかった。
「そもそも源氏物語がそうだ」と彼は言った。
平安時代、1000年以上も昔に書かれた「世界最古の長編小説」が、要するに好色小説だというのだ。私は源氏物語など全く興味はなかったが、その話というか説は面白いと思った。
「要するに光源氏がいかに好色な男だったか、という視点ですか?」
この質問にMさんは爆笑した。
「視点どころか、それしかない!」

その後、話題は好色本の話になった。

✻ ✻ ✻ つづく ✻ ✻ ✻


電子書籍『魔談特選2』を刊行しました。著者自身のチョイスによる5エピソードに加筆修正した完全版。専用端末の他、パソコンやスマホでもお読みいただけます。既刊『魔談特選1』とともに世界13か国のamazonで独占発売中!

 


スポンサーリンク

フォローする