【 魔の自己愛 】(6)

【 納 屋 】

さて話を戻そう。12年前、岐阜で時計草を撮影した時の話である。
私が招かれた庭は「時計草の庭」というイメージで記憶に残っている。木塀の内側に張られたネットには、時計草が咲き乱れていた。木戸をくぐる前に見た玄関脇の時計草とは違う色調の、ひとまわり大きな花だった。

2種類の時計草を見たのは初めてだった。心ゆくまで花のマクロ撮影をしたのち、少し引いた位置から木塀全体を撮影しようとして、地面のあちこちに丸っこい石がゴロンと置かれていることに気がついた。

接近してよく見るとそれはただの石ではなく石像であり、しかも衝撃的なポーズをした女性像だった。前述の経験から即座に(シーラ・ナ・ギグだ)とわかり、アイバーニアが浮かんだ。実物を見るのは初めてだった。まさか日本の古民家の庭で見るとは思いもよらなかった。

見て見ぬフリをしてもよかったのだが、好奇心が優先した。私は手で軽く草をかきわけて、石像の下部を見た。(やはり)と確信し、ふと背後を見るとこの家の御婦人が立っていた。微笑していたが、なんと説明したらよいのかわからないのだろう。当惑した表情のように見えた。

「シーラ・ナ・ギグですね」
果たして彼女は「おやっ?」という表情になった。
「これを見てシーラ・ナ・ギグだと言った人は初めてです」
「じつはちょっとした理由があるのです」

私はアイバーニアの一件を手短に語った。御婦人はうなずきながら聞いていた。
「お見せしたいものがあります。お時間はありますか?」
「時間ならあります」
私は案内されるままに庭を少し歩き、奥にある納屋のような建物の前まで行った。

それはどう見ても庭道具などを置いた納屋にしか見えない小さな建物だったが、ドアにとりつけられた南京錠が、いささか不釣り合いなほど古風でいかめしい大きな錠だった。しかしなんのことはない、その南京錠は施錠されていなかった。ただそこにひっかけられていたのだ。
御婦人は鍵を使うことなく南京錠を外し、木の戸口を横に滑らせた。中に入り、カチッとスイッチを入れる音がした。天井からぶら下げられた裸電球がぼうっと橙色の光を放った。

私は戸口の外に立っていた。照明が灯されるまでは、窓ひとつない建物の中は真っ暗でなにも見えなかったが、裸電球の光を受けて浮かび上がったものを見て驚いた。それはおびただしい数のシーラ・ナ・ギグだった。

「言葉を失う」に近い気分だったが、この時も好奇心が優先した。
手が招いている。私は遠慮なく中に入った。三方の壁に置かれた金属製の棚はそれぞれ3段か4段ほどあった。像は隙間なくぎっしりと並べられていた。
よく見たかったが、照明は背後の頭上にある裸電球だけだ。真正面は自分の影でよく見えなかったが、左右の像はなんとか見えた。それらは石像であったり、木像であったり、あるいは粘土でこしらえたような像もあった。素材は違っても、ポーズはみな同じだ。

「これは……コレクションですか?」
「いいえ」御婦人の声は微妙に沈んでいた。
「先ほど、失礼して奥に引っこんだのは私の兄なんですが……」
「ははあ、これは全部、作品なんですね」
彼女はうなずいた。
「サルタヒコと名乗ってます」

【 サルタヒコ 】

御婦人の兄は自分を「サルタヒコ」と呼ぶように彼女に命じているらしい。ずいぶん変わった人のようだ。「ひきこもりアーティスト」の類かもしれない。とにかく妹以外の人とは会おうとしない。生活範囲は自宅とこの庭のみで、外へは絶対に出ようとしない。
「若い時からですか?」
「いいえ」

40ぐらいまでは中学校の教師をしていたという。美術を教えていたそうだ。
私はその話を聞いてチラッと彼女を見た。(ははあ)と思ったのだ。アイバーニアの一件で私がもとは講師だったことを知り、兄の生活や作品に対する意見なり助言なりを聞きたくなったのかもしれない。

つづく

魔談が電子書籍に!……著者自身のチョイスによる4エピソードに加筆修正した完全版。amazonで独占販売中。
専用端末の他、パソコンやスマホでもお読みいただけます。


スポンサーリンク

フォローする