【 ファム・ファタール 】
ファム・ファタール。御存知だろうか。
これこそ男性震撼の言葉である。……といえば「ほう!」とあなたは喜ぶかもしれない。あなたが女性であれば、そしてこの言葉を知らなければ、絶対に興味を持つはずだ。
冗談はともかく、これはフランス語( femme fatale )である。じつにやわらかくきれいな発音であり、元々は「運命の女」という意味だったらしい。つまり男性にとって「運命の赤い糸で結ばれた女性」という意味なのだ。
糸はともかく、なぜ色が赤なのか(私はそういう細かいことが気になるのであれこれ調べてみたのだが)いまひとつよくわからんが、これは女性好みのなかなかロマンティックな素敵な話であるように思われる。「男性震撼」とはほど遠い。
ところがこの「ファタール」には「運命の/結ばれた」という意味の他にもうひとつの面、暗黒フォース面があるのだ。「破滅をもたらす」という意味である。つまり「ファム・ファタール」とは「男を破滅させる魔性の女」という意味なのだ。「運命の赤い糸で結ばれた女」とはえらい違いである。しかも単なる「悪女」レベルではなく「魔性の女」というのが怖い。魔談筆者としては「出たっ!魔の一字」といった拍手喝采ものの「魔の女」がすなわちファム・ファタールなのだ。
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前回の愛欲魔談「痴人の愛」に登場するナオミはどうか。彼女はファム・ファタールか。
確かに河合は15歳のナオミをゲットすることから始まり、平穏無事だった生活は愛欲にまみれ、虫(ナオミをとりまく青年たち)の登場で疑惑や嫉妬といった「黒い感情」が彼の生活を支配するようになった。あげくの果てにナオミの身勝手な行動やら策謀やらなんやらかんやらで生活はむちゃくちゃになってしまう。しかし破滅までには至っていない。
谷崎潤一郎の文学策としては「破滅の一歩手前にある男の告白」というスタイルにしたかったのかもしれない。いずれにしてもナオミは限りなくファム・ファタールに近いけれどもまだどこかに少女のあどけなさ(& 残酷さ)を残している女なので「ファム・ファタール一歩手前」といったところか。主人公の破滅も、魔少女のファム・ファタール化も一歩手前で筆を置く。そこが谷崎の狙いかもしれない。
では「この女こそファム・ファタール!」という正真正銘ファム・ファタールとはどんな女か。19世紀末。いわゆる「世紀末」の文学や美術にファム・ファタールはしばしば登場する。その代表格は「サロメ」。新約聖書に登場するユダヤの王女である。
というわけで次回からサロメをとりあげ、その「魔性の女」ぶりを紹介したい。
そこで「サロメを語るなら、この画家」という男がいる。
ギュスターヴ・モロー(1826-1898)。フランス人である。
この画家はギリシア神話や聖書などを題材に描いた作品が多いのだが、多くの作品にファム・ファタールが登場する。隠されたテーマがファム・ファタールだったに違いない。
サロメ、ヘレネ、デリラ、オンファレ……
彼の絵画には名だたるファム・ファタールが続々と登場する。さらにセイレーン、スフィンクスといった「異形で、魅惑的で、男を誘惑しその挙句に殺してしまう」というとんでもないファム・ファタール的怪物まで登場する。
そこで魔談では次回から
【 愛欲魔談 】ファム・ファタール(2)ギュスターヴ・モローが描くサロメ
……ということで、タイトルが少々長いが存分にファム・ファタールを語って行きたい。
✻ ✻ ✻ つづく ✻ ✻ ✻