【 復讐 】
今回は友人パトロクロスを殺されて怒りまくったアキレスの復讐談である。
復讐。
復讐という人間に特有の心理は、本当に恐ろしい。そこにドロドロした魅力があるゆえに、恐ろしいのだ。古来より幾多の物語が「復讐」という内なるテーマにより、語られ続けてきたことだろう。「復讐?……そんな暗い話など聞きたくもない」というのが通常の我々の感覚ではなかったか。ところがひとたび物語の世界に入り、その主人公に感情移入し、主人公が悲惨な目にあって失意のどん底で復讐を決意したとき、「やったれー!」気分になってしまうのは、人間として当然の心理なのだろうか。
さてアキレス。
鎧ができあがったアキレスは、復讐の鬼と化して戦場に戻ってきた。彼の他には誰も使えない長槍をブンブンとふり回して大暴れした。まさに「獅子奮迅の働き」とはこういうのを言うのだろう。恐れたトロイア兵たちは城門まで退却し、我先に中に逃げ込もうとした。この様子を塔の上から眺めていたのがプリアモス。トロイアの老王である。プリアモスは塔を降りて城門まで行った。
「さあ、そのくぐり門の戸を開けておけ。トロイアの軍勢が逃げこんでしまったら、すぐに門をぴったりと閉めるのだ!」
(ギリシア神話・あかね書房)
ところがヘクトルだけが城門の中に逃げなかった。彼は門の外に立っていた。ヘクトルは老王プリアモスの子である。
「ヘクトルよ、戻ってきてくれ。老人に悲しい想いをさせてはならぬ」
(ギリシア神話・あかね書房)
しかしヘクトルは動かなかった。彼はアキレスと戦うことを決意したのだ。
ところが、ここでまたギリシア神話特有の奇怪な展開となる。ついに現れたアキレスのすさまじい働きを見て、ヘクトルはにわかに怖くなったらしい。
ヘクトルは急に城壁を回って逃げ出しました。アキレスは追いかけました。そしてふたりは城壁のまわりを、三度、回りました。
(ギリシア神話・あかね書房)
なんなのこの展開は?……と思いませんか?
ギリシア神話というのは、こうした「次のシーンの当たり前の流れを、あえて外す」という(ほとんどギャグに近い)展開がお好きなようである。これでヘクトルの名誉は地に堕ちた。弟(パリス)がこの馬鹿げた戦争の元凶なのだが、その弟を罵倒した兄が、結局、同じことをやっている。しかも城壁を3回も回って逃げまくったあげく、結局、ヘクトルはアキレスの長槍にやられてしまった。
「ヘクトル、お前はパトロクロスを殺したとき、アキレスのいることを忘れたな。さあ、今度はお前の番だ。お前の体をハゲタカに食わせる間、我々はパトロクロスを手厚く葬ってやるのだ」(ギリシア神話・あかね書房)
かくしてギリシア神話中、「最も悲惨」と言われるシーンとなる。アキレスはヘクトルの足を縄でくくり、縄のもう一方を戦車にくくりつけた。ヘクトルをひきずってトロイアの城の周りを走った。
この神話には、悲惨の追加エピソードまである。
アンドロマケ(ヘクトルの妻)は城壁の方から上がった大きな叫び声を聞いた。彼女は召使いたちに言った。
「お前たちも一緒においで。なにかトロイア兵士たちに悪いことが起こったのだ。ヘクトルさまが危ないのだ。あのかたは、いつも真っ先に立って戦われるのだから」
(ギリシア神話・あかね書房)
アンドロマケは城壁の上に立った。そこから見た光景で目の前が真っ暗になり、そのまま下の地面に落ちていった。
【 老王プリアモスの決意 】
ヘクトルが殺された夜、老王プリアモスはある決断をする。なんとアキレスのところまで出かけて行って、ヘクトルの死体を返して欲しいと願い出ることにしたのだ。無茶苦茶な話だ。敵陣に「殺してくれ」とわざわざ出かけていくようなものだ。
しかしギリシア神話には身勝手で思慮の足りないアホな神々がこの戦争を見守っている。ただ見守っているだけならいいが、全く余計なちょっかいを出す。神々が戦争経過のあちこちでちょっかいを出すことで、「ありえない展開」という味つけができるというわけだ。
ここでもゼウスのおせっかいにより、プリアモスはアキレスに会いにいく決断をする。ゼウスの力により、プリアモスはスラスラとアキレスのテントの中まで入って行った。驚いたのはアキレスだ。……が、この英雄はさすがにギリシア神話の矛盾に満ちた世界に精通している。
「プリアモス、あなたはゼウスの神の導きで、ここまで来られたにちがいない。あなたのヘクトルをお返ししましょう」(ギリシア神話・あかね書房)
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たぶんこのくだりで、ギリシア人は感泣するのでしょうな。
決してギリシア人を馬鹿にしているのではない。ここまで語ってきて「ギリシア神話におけるアホな神々の役割」というものがようやく見えてきたように思う。要するに彼らは「理不尽な運命の代弁者」なのだ。あるいは「張本人」と言ってもいい。
たとえば明日、あなたは待ちに待ったデートだとしよう。彼女と映画を観て、その後は、少々こじゃれたイタリアンレストランで食事の予定だとしよう。しかし運命はなかなかそう簡単には愛と欲望を進展させてくれない。この数日の疲労が重なり、あなたは風邪をひいて朝から発熱してしまった。より現代的な解釈では、その運命は全面的にあなたのせいであって、それ以外の何者でもない。したがってそこに物語は発生しない。
しかしギリシア神話ではそうではない。
「うぬっ、おのれ、ゼウスめ。オレの彼女に目がくらんだか!……これはきっとゼウスの仕業にちがいない!」と、こうなる。
かくしてここに、物語は発生するのだ。
✻ ✻ ✻ つづく ✻ ✻ ✻