【 第3の精霊 】
今回は亡霊マーリの予告により、あなた(スクルージ)の前に現れた第3の精霊について語りたい。
第1の精霊(過去のクリスマス)は、どちらかと言えばあなた(スクルージ)に寄り添っている。「過去のあなたはこうだったでしょ?……今のあなたはどうしてそうなっちゃったの?」てな感じで、無言のうちにもあなたに反省を促している。あなたは過去の自分をリアルに見ることで、その時代の自分に戻る。率直に後悔する。反省の気運が高まっていく。ミュージカル映画では、この役を年老いた婦人が演じている。
第2の精霊(現在のクリスマス)は、やや尊大で横柄なところのある酒神バッカスみたいな大男だが、じつはこの精霊は今年のクリスマスの終了とともに消え去る運命にある。そうした「明と暗」を抱えつつ、あちこちに飛んで「今年のクリスマスを祝う人々」をあなたに見せる。クラチッド家でのつつましい祝いの夕食をあなたに見せ、またその席で歌を歌う末っ子ティムがまもなく墓に入る運命であることをあなたに示す。若干の「未来」が入っているのだが、ここでもまた第2精霊は、第1精霊とは違ったやり方であなたに反省を促す。
さて今回。第3の精霊。
この精霊は終始無言だ。一言も声を発しない。全身を覆う黒い衣装。頭も顔も体も黒い衣装で覆われ、背後の闇と完全に一体化している。ただ指だけをスッと出して「これを見ろ」とあなたに伝えてくる。その指先が示すものを見たあなたがどんな反応を示すのか、それを衣装の影からじっと見つめている。
いやこれは凄みのある不気味さですな。この精霊は、3人の精霊の中で最も強烈な、一種異様な恐怖感をあなたに与える。
後悔せよ、反省せよ、改心せよ……そうした無言のメッセージは、考えようによっては、まだあなたになにがしかの可能性を与えて続けているとも言える。しかし第3の精霊は違う。まさに問答無用。すでにお前の未来はこのように確定したのだ、これを見るがいい。そうした「突き放した態度」こそ最も強烈なメッセージとして「お前に未来はない」と伝える最上の方法なのだろう。
かくしてあなたは自分が死んだ直後の街を見る。そこを行き交う人々の笑顔、歓喜を見る。みなあなたから借金を重ねたあげく、どうにも首が回らない貧乏な人々だ。
ミュージカル映画のこのシーンがまたなんとも言えず英国的ブラックユーモアに満ちている。スクルージが入った棺桶が運び出される。それを見た人々は喜びのあまり、棺桶に続いてミュージカル映画的パレードを始める。その中の一人は(なんと)棺桶の上に立ち、「サンキューベリーマッチ・サンキューベリーマッチ」とステップを踏みながら歌い始める。しかもこのミュージカル映画では、この時点でスクルージはそれが自分の棺桶だとは気がついていない。「いくらなんでも、ここまでやって気がつかんことはないだろ?」と観ている側はいささか苦笑気分になってしまうようなシーンなのだが、なんとスクルージ自身も人々の歓喜に煽られて「サンキューベリーマッチ・サンキューベリーマッチ」と歌いながらパレードに加わるのだ。このブラックユーモア!……「一見の価値あり」と魔談的にぜひ推奨したいシーンである。
【 ハッピーエンド 】
さてこのようにして第1精霊からジャブ、第2精霊からパンチ、第3精霊からは完全にノックアウト。
ベッドから転げ落ちたあなたは、ハッと現実世界の朝に戻る。窓を開けて見つけた子どもとの対話から、3人の精霊たちはいずれもクリスマス・イヴの夜のうちに来たことがわかる。その光はクリスマスの朝の日光だった。涙を流して改心を誓うあなた。
これほどのハッピーエンドはちょっと珍しい、と言っても良いほどのラストシーン。「児童文学のエンディングはこうでなければ!」と言いたくなるようなラストであり、またそうであるからこそ、この物語が「不朽の名作」と評される所以だろう。
【 余 談 】
この年末魔談「クリスマス・キャロル」を書くにあたり、2本の映画(ミュージカル版・ディズニー版)もあれこれとネットで評判を調べてみた。私としては両方とも絶賛に値する良い出来の映画だと思っている。
ディズニー版「クリスマス・キャロル」の監督はロバート・リー・ゼメキス。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985)の監督である。私は「フォレスト・ガンプ」(1994)をこよなく愛している。毎年のように一度は観たくなる映画だ。
じつは「ディズニーがクリスマス・キャロル映画をつくった」と知った時も、監督がゼメキスだと知って大いに期待したものだ。影の主役がジム・キャリーと知って少々の不安はあったが(笑)。
ところがちょっと意外なことに、家族でディズニー版「クリスマス・キャロル」を見た感想(レビュー)には不評が多かった。「怖かった」というのだ。「残酷だ」というのだ。「幼稚園の娘が泣き出したので、途中でやめた」というレビューもあった。もちろん私としては、これらのレビューに異を唱えるつもりはない。幼稚園の娘が泣き出したシーンというのも「ははあ、たぶんあそこだな」とわかるような気がする。
これらの不評レビューに共通するのは「ディズニーだから絶対安心だと思って観たのに」みたいな信頼感を裏切られた感、のようなものが強く滲み出ているように思う。「あ、怖い」「あ、残酷だ」……その時点でさっさと映画を止めてしまう。本当にそれでいいのだろうか。物語の世界や児童文学の世界に残酷や恐怖はつきものだ。そうしたシーンを毛嫌いしてさっと引いてしまうようでは、真の物語を味わうことはできない。この物語には素晴らしいハッピーエンドが用意されているというのに、それを観ずして、怖かった、残酷だった、それでやめた。……じつに残念だ。
【 完 】