エドガー・アラン・ポー【 9 】モルグ街の殺人

【 探偵小説と推理小説 】

風木さんからのメールで以下のような一文があった。

ミステリーと推理小説は同じなのでしょうか。昔は探偵小説という呼び方もありましたね。

「なるほど。そういえばそうだ」とちょっと興味が走った。推理小説・探偵小説・ミステリー。みな同じようなジャンルの小説を指しているように思うが、この名称の違いには、なにか意味があるのだろうか。「探偵小説」という言葉には、確かに懐かしい響きがある。最近はトンと聞かないように思うが、どうなんだろう。……ということで調べてみた。

そもそもポーはなんと言っていたのか。彼は「Ratiocinative Tales」と言っている。「Ratiocinative」とはなにか。「推論する」の形容詞形である。したがって直訳すれば「推論小説」ということになろうか。しかしこれではイメージが固すぎる。なんだか面倒臭そうで読者は寄りつかないだろう。なので「推理小説」になったのだ。

「推理小説でも十分に面倒臭そうじゃん!」といまあなたは思ったかもしれない。全くそのとおりなのだが、英語圏でも同じように思った編集者がいたらしい。面白いことに現在、英語圏では「Ratiocinative Tales」はほとんど使われていない。「Detective Fiction」あるいは「Detective Story」と言われている。
「探偵小説」はここから来たのだ。特に日本では、ポーを崇敬した江戸川乱歩が「探偵小説」という呼称を愛したようだ。江戸川乱歩は「探偵作家クラブ」(現在は日本推理作家協会)まで結成している。よほど「探偵」という言葉がお気に入りだったのだろう。

しかし時代は変遷し、「探偵小説」は廃れて「推理小説」となった。「探偵作家クラブ」は名称を変更して「日本推理作家協会」となった。時代は小説もクラブも「探偵」という言葉を排してしまったかのように見える。どうしてなんだろう。この件についてはあれこれ調べてみたのだが、よくわからなかった。
ともあれ「推論小説 → 探偵小説 → 推理小説」という経過を見ていくと、結果、ポーが生み出した「Ratiocinative Tales」に近い位置に戻ったと考えることもできる。

さて英語圏では(なにしろ英語圏は広いので)もうひとつ、「Mystery Fiction」と言っている地域もある。これを知って「あ、このミステリーというカタカナ、いいじゃん!」と思った編集者が日本にいたのかもしれない。日本ではいまだに「カタカナ言葉の方がなんとなくオシャレでかっこいい」と思っている国民性が根強くある。かくして推理小説という「漢字四文字」に対抗するかのように「ミステリー」という言葉も出てきたのだ。文学では推理小説とミステリーに大きな違いはないようである。

【 雑多な証言 】

さて本題。モルグ街の殺人。
前回は「現場」を見てきた。今回は「証言」にスポットを当ててみたい。

現場(1階の玄関あたり)に駆けつけたのは近隣住民やら憲兵やらで合計10数人もいた。女性2人が慎ましく暮らしていた家に(入れ替わり立ち替わりの)10数人!
「これはちょっと多すぎなんじゃないの?」なんて思ってしまうのだが、若干の忍耐心を持って(聞き取りというのは、そういうものなのだろう)この10人の証言に耳を傾けてみたい。
証言者の名前はどうでも良いので、ここには書かない。
また「おいおい。こんな(日常的なご近所話としか言いようがないような)話は事件とは全然関係ないだろ?」と思ったことも(小説としては面白いのかもしれないが)ここには書かない。

【 洗濯女 】
老婦人と娘との仲はよく、互いに深く愛し合っていた。代金は滞りなく払ってくれた。レスパネエ夫人は金をためているという噂だった。召使は一人も使っていなかった。その建物には4階のほかにはどこにも家具がないようだった。

【 煙草商 】
レスパネエ夫人に嗅煙草(かぎたばこ)を売っていた。家はレスパネエ夫人の所有だった。2人はいたって隠遁的な生活をしていて、金を持っているという噂だった。

【 憲兵 】
夜中の3時ごろその家へ行った。銃剣でその戸口をこじあけた。悲鳴は門が開くまでつづき、突然やんだ。2階へ上った。初めの踊場についたとき、声高くはげしく争うような2つの声が聞えた。一つは荒々しい声で、もう一つはもっと鋭い――非常に妙な声だった。荒々しい声のほうの数語は聞きとれた。それはフランス人の言葉だった。女の声ではないことは確かだ。「畜生っ」という言葉と「くそっ!」という言葉とを聞きとることができた。鋭い声は外国人の声だった。男の声だか女の声だか、はっきりわからなかった。なんと言ったのかも判じられなかったが、国語はスペイン語だと信ずる。

【 隣人 】
家に入るとすぐ、夜更けにもかかわらず、わっと集まってきた群集を入れないために扉をふたたび閉じた。鋭い声はイタリア人の声だと思っている。フランス人の声でないことは確かだ。男の声だったかということは確かではない。女の声だったかもしれない。イタリア語には通じていない。言葉は聞きとれなかったが、音の抑揚で、言ったのはイタリア人だと確信する。レスパネエ夫人とその娘はよく知っている。2人としばしば話し合ったことがある。その鋭い声はどちらの被害者の声でもないことは確かだ。

【 通行人 】
料理店経営。フランス語を話せない。アムステルダムの生れ。悲鳴の聞えたときにその家の前を通りかかった。悲鳴は数分、たしか十分くらいつづいた。大声で、恐ろしく、苦しげだった。その建物へ入った連中の一人だ。鋭い声は男の、フランス人の声であることは確かだ。言った言葉は聞きとれなかった。声高く、速くて、高低があり、怒りと恐れとから発せられたものであった。耳ざわりな声で、鋭いというよりも耳ざわりなものであった。鋭い声とは言えぬ。荒々しい声のほうは「畜生っ!」と「くそっ!」とをくりかえして言い、一度は「こらっ!」と言った。

【 銀行の頭取 】
レスパネエ夫人は多少の財産を持っていた。ときどき少額ずつ預け入れた。死亡の三日前までは少しも払い出したことはなかったが、その日彼女は自分でやって来て、4000フランの金額を引き出した。この額は金貨で支払われ、一人の行員が金を家まで届けた。

【 銀行員 】
当日の正午ごろ、4000フランを二個の袋に入れて、レスパネエ夫人とその住宅へ同行した。扉が開くとレスパネエ嬢があらわれて彼の手から一つの袋を受け取り、老婦人はもう一つを取ってくれた。そのとき、路上には誰も見えなかった。裏通りで、ひどく淋しいところだ。

【 仕立屋 】
イギリス人。パリに2年住んでいる。最初に階段をのぼった者の一人。争う声を聞いた。荒々しい声はフランス人の声だった。数語わかったが、いま全部は思い出せない。「畜生っ!」と「こらっ!」とはっきりと聞いた。そのとき、数人の人が格闘しているような音、ひっかいたりつかみ合ったりする音がした。鋭い声のほうは非常に高く、荒々しい声よりも高かった。イギリス人の声ではないことは確かだ。ドイツ人の声らしかった。女の声だったかもしれぬ。ドイツ語はわからない。

【 葬儀屋 】
モルグ街に住んでいる。スペイン生れ。家へ入った者の一人。階上へは上がらなかった。争う声を聞いた。荒々しい声はフランス人の声だった。なんと言ったのか聞きとれなかった。鋭い声のほうはイギリス人の声だった、これは確かだ。英語はわからないが、音の抑揚でそうと判断する。

【 菓子製造人 】
最初に階段をのぼった一人。例の声を聞いた。荒々しい声はフランス人の声だった。いくらか聞きとれた。声の主はたしなめているようだった。鋭い声の言葉はわからなかった。早くて乱れた調子でしゃべっていた。ロシア人の声だと思う。(この証人はイタリア人。ロシア人と話をしたことはない)

最後にこれらの証言を列挙した後の、新聞の記事を取り上げて、今回は終了としたい。

【 新聞の記事 】
レスパネエ嬢の死体の見つかった室の扉は、内側から錠が下りていた。
うめき声もなんの物音も聞えなかった。扉をこじあけたときには、誰もいなかった。
裏の部屋も表の部屋も窓が下りていて内側からしっかりしまっていた。
その二つの部屋のあいだの扉はしまっていたが、錠はかかっていなかった。
表の部屋から廊下へ通ずる扉は錠がかかっていて、鍵は内側にあった。
4階の廊下のつき当りにある表側の小さな部屋は開かれていて、扉が少しあいていた。
この部屋には古い寝台や、箱や、その他のものが詰めこんであった。
家じゅう丹念に捜索された。
煙突のなかは煙突掃除器を上げ下げして調べたが、なにも出てこなかった。

【 つづく 】


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