【 多芸の才人 】
前回の魔談で、不気味な館の主ロデリック・アッシャーは、絵を描き、ギターを演奏し、詩人でもあるという話をした。精神が病んでいるとはいえ、生気が萎えているとはいえ、なかなか多芸な才能を披露する貴族なのだ。前回ではロデリックが描いた絵を取り上げてあれこれと検証した。しかしその材料は、ロデリック自身が自分の絵の内容を説明したわけではない。我々は語り手の説明なり感想なりを手がかりにするしかなく、それがどこまで制作者ロデリックの心情、その核心に近づいているものなのかはわからない。
これは小説の形式としては、この「アッシャー家の崩壊」(1839年)につづく「モルグ街の殺人」(1841年)でも同じような形式が使われている。つまり「語り手」という人物を通してのみ、我々は最も注目したい人物の行動なり発言なりを知ることができる。逆に語り手が理解できないこと、見落としたこと、語ろうとしなかったことは、我々は知ることができない。
この小説形式は、ポーが生きた時代(1809〜1849)から少し後に出てきたコナン・ドイル(1859〜1930)によって受け継がれていったのだろう。ホームズ・シリーズにおけるワトソン博士である。ドイルはポーや「モルグ街の殺人」をどのように評価していたのだろう。ホームズ誕生の原点は「モルグ街の殺人」で見事な推理力を発揮するデュパンなのか。
この点については少々興味が募ったことでもあり、あれこれ調べてみたことがある。しかしわからなかった。ドイルはその言及を避けたのかもしれない。ともあれ現在、多くの文学者たちは「ポーがいなければ、ホームズは生まれなかった」としているようである。
【 魔の宮殿 】
さて今回はロデリックが即興でつくった詩の話をしたい。
「アッシャー家の崩壊」は短編小説のお手本と言われているほどの小説だが、作中詩が出てくることでも有名だ。ポーは自身の詩才にかなり自信があったのだろう。彼は18歳の時に詩集を出版し、詩人としてデビューしている。つまり彼は小説家あるいは雑誌編集者としての名声を博する以前に、すでに詩人だったのだ。
またポーはこんなことを述べている。
詩は「美」(the Beautiful)を表現し、小説は「真実」(Truth)を表現するものである。
とはいえ実際の生活、雑誌編集者としての活動が活発になるにつれて、彼の作品は次第に小説がメインになっていった。詩才は彼の秘蔵才能とでも言おうか、そのような位置になっていったようである。またそのように考えていくと「アッシャー家の崩壊」における作中詩「魔の宮殿」は、小説の土俵で詩才を披露したポーの文才ぶり躍如といったところだろうか。
ところでロデリックの即興詩「魔の宮殿」。原題は「The Haunted Palace」である。
ちょっと余談。もしこれが「The Haunted House」だったら「幽霊屋敷」となる。ホラー映画でも「ホーンテッドなんとか」なんてタイトルのB級C級映画がゴロゴロありますな。
さて「魔の宮殿」。
【 1 】
善き天使らの住まえる、
緑いと濃きわれらが渓谷に、
かつて美わしく宏いなる宮殿
――輝ける宮殿――そびえ立てり。
王なる「思想」の領域にそは立てり!
最高天使も未だかくも美わしき宮の上に
そが翼をひろげたることなかりき。
(原作)
このような詩が【 1 】から【 6 】まである。
美しく荘厳な宮殿の栄光が語られるのだが、最終の【 6 】ではじつに不気味な光景となる。
【 6 】
かくて今この渓谷を旅ゆく人々は
赤く輝く窓より見るなり、
調べみだれたる楽の音につれ
大いなる物影の狂い動けるを。
また蒼白き扉くぐりて
魔の河の速き流れのごとく
恐ろしき一群永遠に走り出で、
高笑いす、――されどもはや微笑まず。
(原作)
この「大いなる物影」「恐ろしき一群」、これは何者だろうか。次回はそのあたりから入って行きたい。
【 つづく 】