【 棺桶パン 】
料理の名前に「棺桶」をもってくるなど、日本じゃまずありえない。ジョークにもならんだろう。「縁起でもない」と御婦人方は眉をひそめるに違いない。しかし「ところ変われば」で、台湾に行くと「棺桶パン」なんてのがある。台湾旅行が好きで「夜市」ならではのB級グルメをこよなく愛している人なら「ああ、あれね」と知ってるかもしれない。
じつは私も台南の夜市で「棺材板」という看板を初めて見た時は首をかしげたというか、「なんだこれは?」と奇妙に思ったのだ。「お棺を作るための板」という意味にしかとれない。そんな不吉なものがなんで料理の名前なのか。
その時はひとりで夜市をブラブラと歩いていたので聞くべき人もおらず看板写真だけを撮っておいたのだが、とりあえず店の入口にあった自販機で台湾ビール(350ccの缶)を買って着席し、それとなく周囲の客を観察した。
派手なアロハシャツを着た太ったおっちゃんがそれらしき料理を肴にコカコーラを飲んでいた。どうやら揚げた食パン(かなり厚い。3cmほどはある)の真ん中をくり抜き、それを器がわりにして、そこにシチューを流しこんだ、といった料理のようだ。その四角い形状は確かに棺桶に見えないこともない。ということは中身のシチューは……とあれこれ想像して「これはとても日本人はついて行けない台湾ブラックジョークだな」と思ったものである。
ともあれおっちゃんはじつにうまそうに「棺材板」を食べていた。きっとそれが好物なのだろう。くりぬいた「ふた」部分に(金属のスプーンで)シチューをのせてサクサクと食べ、次に中のシチューを食べ、最後に棺桶部分をふたつにちぎって、あっという間に食べた。なかなかの快食ぶりであった。
【 解剖直前の生還 】
さて「早すぎた埋葬」の次に進もう。
今回はポーが取り上げた「早すぎた埋葬」例の第4話。
「流電池のことを言えば……」といった語りで、このエピソードは始まる。執筆当時のポーが「流電池で生き返った」という事例にいかに興味を持って収集していたかを物語るような話だ。1831年にロンドンで起こったこの事件は、なんと2日間も埋葬されていた若い弁護士が生き返った話である。しかも彼が生還することができたのは、なんと「医者たちの墓あらし」によるものだった。順を追って見ていこう。
(1)エドワード・ステープルトンはチフス熱で死んだ。(死んだと診断された)
(2)エドワードの親戚は死体解剖を拒否した。
(3)医者たちは死体解剖を諦めなかった。こっそりと死体を墓から掘り出そうとした。
(4)葬儀から三日目の夜、エドワードは掘り出されて私立病院の手術室に運びこまれた。
(5)腹部を少し切開したとき、体が全く腐敗していない様子に医者たちは驚いた。
(6)医者たちは体の各部に電池をかけて反応を調べる実験をした。
(7)夜がふけ、まもなく明け方になろうとしていたので、医者たちは解剖にかかろうとした。
(8)ところがひとりの研究生が最後に自説を試してみたいと主張し、胸部に電流をかけた。
(9)エドワードは手術台から立ち上がり、歩きだし、意味不明の言葉をしゃべり、倒れた。
(10)医師たちは恐怖でたちすくんでいたが、すぐにエドワードを介抱した。
(11)エーテルを吸わせるとエドワードは意識をとり戻した。
(12)回復したエドワードは、「医者に死んだと言われた瞬間」からここに運ばれてくるまでのことは、ぼんやりとだがすべて知っていた、と語った。
というわけでこんな話に教訓などあるはずはないが、しいて言えば「なにが幸いするかわからない」ということだろうか。かくして医者たちの「墓あらし」は裁判にかけられ、エドワードは奇跡の生還を果たしたのである。
【 つづく 】