アルフレッド魔談(2)ノーベルの成功と失意

【 酒のさかな 】

同級生だった友人たち数人とたまに居酒屋で歓談することがある。私はいま68歳で、68歳という年齢は70歳を目前にして否応なく高齢に対する傾向と対策を考えざるをえない。同時に「70代をどう生きるのか。何歳まで生きられるのか。それまでにやっておきたいことはあるか」というシビアで孤独な自問自答を開始する時期でもある。

つひにゆく道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを
( 『古今和歌集』在原業平 )

とはいえ(居酒屋に出てきて飲んで笑っているぐらいなので)まだまだ元気にやっていけるという各自の楽観的自負も話題には見え隠れしており、そこがまたお互いの笑いを誘う。過去の失敗は今の居酒屋の笑い話である。30代や40代の飲み会ではこうはいかない。恋愛の失敗、結婚の失敗、婚活の失敗、そうした際どい失恋談こそが最も盛り上がることは言うまでもない。人間は(いや高齢の男性は、と言うべきか)成功談よりも失敗談により共感し同時に大いに笑うものなのだ。

【 ベルタ・キンスキー 】

さて本題。
前回、アルフレッドは55歳の時(1888年)に新聞で自分の死亡記事を見て大いにショックを受けた、という話をした。まさに「事実は小説よりも奇なり」。これが小説だったら「バカな。二流三流でもそんなミスをする新聞社があるはずがない」と一笑されて終わりだろう。曰く「死の商人」。曰く「可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し富を築いた人物」。

それにしてもひどい言葉を並べたものだ。記者はアルフレッドの成功と富に反感でも持っていたのだろうか。あるいはその当時、アルフレッドが住んでいたパリの多くの市民は似たようなイメージを抱いていたのだろうか。いずれにしてもこの朝刊により、多くの市民が「まだ生きていたアルフレッド」に対しその後はどのような目で見るようになったのか、推して知るべしである。

さて今回はその朝刊事件の12年前にスポットを当ててみよう。
1876年。アルフレッド43歳。彼はパリに住んでいた。この時期、彼はまさに人生の絶頂期と言ってもいいだろう。彼が発明したダイナマイトはすでに50カ国で特許を得ていた。彼は世界に100近い工場を持ち、富豪の座を手に入れていた。そこで結婚相手を見つけようと考えた。その手段として女性秘書を募集する広告を5ヶ国語で出した。

5ヶ国語!
母国語であるスウェーデン語以外に、彼は英語/フランス語/ドイツ語/イタリア語に精通していた。正式な高等教育を受けていなかったにもかかわらず、である。このあたりを調べていくと、アルフレッドは科学者/発明家という理系イメージよりも、文芸や詩を愛する文系の男だった色がかなり濃い。ということであれば、前述の朝刊事件は彼をいかに打ちのめしたか、という点も想像できる。

本題に戻ろう。
この広告に5ヶ国語で応募し、見事に採用されたのがベルタ・キンスキー(1843 – 1914)。オーストリアの伯爵家に生まれた令嬢である。しかし実家は没落し、様々な苦労を重ねて生きた小説家だった。
もしあなたがノーベル賞に詳しい人なら「はて、どこかで聞いた名前のような」と思ったかもしれない。そう、彼女こそが、女性初のノーベル平和賞を受賞(1905年)した人なのだ。ノーベルの広告に応じた時(33歳)から29年後のことである。

ではベルタはめでたくアルフレッドのお眼鏡にかない、彼と結婚することになったのか。そうではなかった。「結婚相手を探す」という水面下のアルフレッド真意を知るべくもなかったベルタには、すでに婚約者がいた。それを知った時のアルフレッドの失意は、誠に察するにあまりある。しかし「じつは結婚相手を探すための募集だったので、婚約を破棄して私と結婚してくれ」とはさすがに言えなかっただろう。(言ったかもしれない)

結局、アルフレッドの失意は当然ながらベルタに伝わり、彼女の秘書生活は1年間も続かなかった。同じ年(1876年)にベルタはパリをあとにし、極秘結婚し、夫婦でコーカサスに滞在した。

このあたりの行動を見てゆくと、彼女はかなり情熱的な女性だったのだろう。夫婦はその後パリに滞在し、ベルタは「組織化された平和運動」を知る。彼女は長年にわたり探し続けてきた文学テーマをついに見つけたのだ。『武器を捨てよ!』(1889年)の発行により、ベルタは「平和主義の先駆け作家」という地位を築く。アルフレッドは失意に終わったが、ベルタはこの本の発行後、さらに16年を経てノーベル平和賞(1905年)に輝くのである。その時、すでにアルフレッド(1833ー1896)は他界していた。

ベルタはかつてのオーストリア1000シリング紙幣に肖像が印刷されていた。

【 つづく


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