【 魔の目撃 】(6)

現場監督はさすがにほっとした様子だった。ひととおりの報告を聞きながら地面に向けて煙を吐き出していたが、報告が終わった時点で、くわえていたラッキーストライクを地面に捨てた。入念に踏み潰しながら「すまんがこのことは……」と言って視線を上げた。
「わかってます」と私は言った。「……だれにも言いません」
「さすがだな」笑った顔がまた小松左京そっくりだ。「大卒は話が早い」
「まだ卒業してません」
「そうだったな」
ゲラゲラと笑った後で、ふと思い出したように作業着の尻ポケットから財布を出した。無造作に1万円札をひっぱり出し、指先で器用に丸めながら私に渡した。
「今日はもう上がっていい。まだ支払う時間じゃないけどな、そっちの方はなんとかする」
素早く渡し、いかにも「これにて一件落着」といった感じでさっさと歩いて行った。

ちょっと唖然とした。今日はこれで終わり?……飛び上がるほどうれしい気分だったが、このまま現場を出ていいのかどうか、一瞬迷った。ともあれ日当は余分にもらったし、「上がっていい」と言われたのだ。なんの問題もない。このまま帰っていいのだ。

急いで事務所に入った。
「今日はこれで上がります」
キツネ男は軽くうなずいた。
「さっき話したことは……」
「わかってます」と私は言った。「……だれにも言いません」

逃げるように足早に現場を離れながら「妙な日だな」と何度も思った。いつものように現場に来たのだが、いつもより報酬をもらい、いつもより早く出て来た。しかもそれは自分の努力ではなかった。あれよあれよと言う間に話が決まった。さらに二人の男から口止めされた。
「社会は複雑だ。社会というのは、結局は複雑な人間関係だ。やはりこうした状況は大学では学べない」
そんなことをあれやこれや思いながら歩いた。無性に甘いものが食べたくなり、コンビニに寄ってチョコレートアイスキャンディーを買った。

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アイスキャンディーを食べながら、炎天下をダラダラと歩いた。アスファルトのジリジリと焦げた匂いが鼻にツンときた瞬間に、子供時代の夏を思い出した。20歳を越え、大学生となり、ランドセルはリュックになり、大人たちに交じって現場で働くようになったが「……中身はまるで子供だな」と思っておかしくなった。
しかし「中身はまるで子供」でも、今後は大人たちの複雑怪奇な思惑を考えつつ生きていかなければならない。
「大人なんてなるもんじゃねえな」
アイスキャンディーの冷たい甘みを楽しみながらそう思った。
「……ピーター・パンの気持ちがよくわかるよ」

現場監督の口止めは「これにてこの件は完了」といった感じだった。しかしキツネ男の口止めは、そうではなかった。
「こっちはちょっと厄介だな。……今後の対応をゆっくりと考える必要がある」
そう思った。しかもこっちは報酬ナシときてる。いくぶん腹立たしい気分だった。なんであんなヤツとの約束を守らねばならんのか。今後、彼に対してどういう態度をとってゆくか。
中華料理店にでも入ってビールを飲みながら考えることにした。なぜかシューマイを食おうと思った。

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流行っているのかそうでもないのか、よくわからない小さな店だった。しかも入った途端に「やれやれ」と思うほどに、高い位置に固定されたテレビ音声がちょっとウルサイ店だった。
しかしメニューを見て機嫌を直した。一見して「ははあ、中国人の店だな」とわかるゴテゴテしたメニューだ。赤い画用紙に料理の写真がベタベタと貼ってあり、その下に太いマジックインキで書かれた意味不明の漢字が並び、さらにその下に、明らかに別人のボールペン筆跡で「かたいやきそば」「やわらかいやきそば」とか書いてある。味は期待できそうだ。シューマイと「キリンラガー」をオーダーした。

ビールを飲みつつ、キツネ男の声を思い出していた。
「あんな時間に、あんなとこで、なにをしてたのか?」
打撃だった。やはり見ていたのだ。即答できなかった。

……………………………………   【 つづく 】

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