【 魔談493 】叡山魔談・最終回

【 現実世界へ 】

叡山を降りて日常生活に戻った私は、数日間、クロッキーブックになにも書いていない。「半ば呆然とした現実生活を送っていたのだろうか」などと想像すると、我がことながら笑える。叡山生活の感想のようなことを書いていないかと数ページをめくって探してみたりしたのだが、全く書いてない。今の私だったらさぞかし色々なシーンを思い出してあれこれ書くだろうに、とちょっと残念に思ったりするのだが、8歳当時というのはその日その日を生きていくのに精一杯で、回想などという面倒くさいことには興味がないのかもしれない。

ともあれ、しばらくして「山の絵をかかなきゃ」と書いている。最初はなんのことかさっぱり分からなかったのだが、そのうちに「……ははあ」と思い出すことがあった。
私は「夏休みの自由課題」に(やや焦り気味で)着手していたのだ。叡山の絵を描こうとしていたのだ。

叡山にいた時は日常から完全に切り離されていたことでもあり、夏休みだの、自由課題だの、そんなことは完全に頭から外れていた。しかし叡山を降りて現実世界に戻った途端に「夏休みの自由課題はどうする?」という極めて現実的かつ早急に着手しなくちゃならない問題(笑)に直面することになった。新学期が始まるまで1週間ほどしかなかった。あれこれ悩み、頭に残っている「叡山生活の風景」を描こうとしたのだ。

それにしても使っているのはクロッキーブックなんだから、アイデアスケッチとかラフとかをそこに少しでも描いておれば、さぞかし興味深く8歳当時の自分を観察できたろうにと思うのだが、残念ながらなにも描いていない。そもそも当時の私の絵というのは「ぶっつけ本番」が普通で、「ラフを描いて構図を検討する」なんてことはまずしなかった。そういうことをするようになったのは中学生になってからだと記憶している。
結果、どんな絵を描いたのだろうか。これがもう、さっぱり記憶にない。絵も残ってない。私の頭の中のどこかにその記憶なり画像なりが残っていないものかと切望したが、だめだった。

叡山生活の様子を詳しく聞きたがったのは、母だった。父はもともと僧侶生活になど興味はない。なにも聞いてこなかったので、楽と言えば楽だったが、母はそうはいかなかった。私がポツリ、ポツリと話すのをじつに辛抱強く聞き、「……へえ、そうなん」とか「……山のお坊様はほんまに大変やな」と相槌を打ったり、感心したりした。

ちょっとおかしかったのは、じつは当時の母には(いかにも母親らしい)不安があったようだ。私が下山してから数日後に、母は何気ない様子でふと聞いてきた。
「将来は叡山のお坊さんになりたいとか、叡山で修行したいとか、そんなふうに思ったことはなかったの?」
「ない」
私はそのように答えることで母が安堵することを予想していた。8歳とはいえ、母親が恐れていることぐらいはなんとなくわかる。
「叡山のお坊さんになったら」とその理由もちゃんと用意していた。「……絵をかくヒマなんか全然ないねん。それはいやや」
母は納得したようだった。

さて長々と「叡山魔談」を書いてきたが、ここいらでこのお話はおしまいにしたい。
京都在住の同級生がいるのだが、彼は大学も就職先も京都だったので、京都以外の地に住んだことはない。なのに叡山に登ったことは一度もない。まあ山などに興味のない人はそんなものだろう。ところが叡山魔談を読んでにわかに叡山に興味を持ち、この8月にロープウェイに乗り、単独であちこち巡ってきたそうだ。20分間の座禅講座も体験したという。
「なにか得るものはあったか?」
「あった」と彼は言った。「雑事というか……日常的な細かい悩みはみんなどうでもよくなった」
今後は自宅でも時々畳の上であぐらをかき、尻の下に半分に畳んだ座布団を敷き、半時間程度の座禅をしたいそうだ。魔談もたまには人の人生の役に立つことがある。

【 完 】


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