日本一小さな映画館「シネマ・チュプキ」で見て大きな感銘を受けた映画「ぼくたちの哲学教室」

山手線田端駅から歩いて7・8分の所に「シネマ・チュプキ・タバタ」という名の映画館がある。キャパは20席(!)。日本で一番小さいそうだ。映画館は繁華街にあることが多いが、ここは何の変哲もない小さな商店街の片隅にある。

ハンディがあっても誰でも見られるユニバーサルシアターで、作品には字幕が付くし、音声ガイドもあるし、静かに映画を見られない人(発達ショウガイの方等)を連れてきても、その人のため小部屋があり、他の観客の鑑賞が妨げられることがない。
「チュプキ」とはアイヌ語で「自然の光」という意味だそうで、場内は森を思わせる緑の装飾があるし、スピーカーが4つあり音響もいい。全体に「手作りミニミニシアター」、という感じが漂う。

さて、ここで見て衝撃と大きな感銘を受けたのが記録映画の「ぼくたちの哲学教室」だ。カトリックの男子小学校で校長先生が子供たちに「哲学」を教えて行くのだが、その学校があるのが北アイルランドのベルファストなのだ。

監督:ナーサ・ニ・キアナン デクラン・マッグラ 出演:ケビン・マカリービー ジャン・マリー・リール他

監督:ナーサ・ニ・キアナン デクラン・マッグラ 出演:ケビン・マカリービー ジャン・マリー・リール他

昨年の劇映画「ベルファスト」では、私自身はノスタルジーの中のベルファスト、すなわち、今に繋がらない街として捉えてしまったのだが、無知を恥じたい。何とここでは未だに紛争は続いているのだ。
イギリスとアイルランドの激しい対立が続き、人々は憎悪しあう。町中の看板も、プロバガンダのための看板で、兵士の姿などがデカデカと描かれている。
そんな騒然とした環境の中、親も、子供の頃、激しい流血の争いを体験した親ばかりで、危うく、それが連鎖で子供に伝わっていきそうなのだ。加えて、この街にはドラッグが蔓延し、自殺する若者も多いという街なのだ。

見る前は、「哲学」なんて高尚なことやるなあと思っていた。この学校の校長先生たちは、そんな厳しい現実の中、どうしたら、平和に、人間同士が対立しないで生きて行けるか、そのためには「哲学」が必要だという信念をもってこの教育に取り組んでおられるのだ。
先生は、「何故だろうと、疑問を持ちなさい」「自分の頭で考えなさい」と教える。その姿勢が「哲学」だと指導される。

その指導が、頭でっかちの「観念」でなくて、子供たちの身近な生活の中で行われていく。子供たちに考えさせて、子供たちが発見していくスタイルだ。
例えば、「不安を感じることはないか」「怒りをなくすにはどうする」という質問を投げかけ、子供たちが自分の言葉で語る。それを、肯定し、昔の哲学者プラトンはこう語っている。でも、君たちの答えはプラトンでも考え付かなかったね、という風に褒めて行く。

最も印象的だったのは、ケンカした子がいて、殴り返した理由はと聞かれて、お父さんが「殴られたら殴り返せ」と言っているからと答える。すると、校長先生は、その子とロールプレイイングを行う。子供が父親役、先生が子供役になって、対話をし、実際の会話の流れの中で、その頑固な父親を変える、父親を納得させる発言をしてあげるのだ。(細かい言葉は憶えていない。でも、そんな流れなのだ)。
そこにあるのは、先述の、父親の言葉を鵜吞みせず、「何故なの」と問う姿勢だ。

その校長先生たるや、孤高の「哲学者」のイメージに当てはまらず、スキンヘッドの容貌はチト怖いが、何とプレスリーの大ファンで、車の中でガンガン曲を流しているし、校長室にもポスターがあったり、フィギュアがあったり、自分の携帯の着メロもプレスリーであったりして、大変に人間くさく、面しれえ先生なのだ。
親に真面目に説教めいたことを言っている時も、突然、携帯の着メロで、脱力のプレスリーの曲が流れて来る(多忙なのだ)。そのギャップがたまらない。
彼は言う。自分もこの土地の出身で、若い頃は酒に溺れたこともあった、と。弱さを見せる強さがある。

見ている間、場内は笑いが何度も起きた。やっていることが人間的だし、温かみがあるし、子供の素直な反応がとても良くて、こちらも心がほぐれる。
ベテランの女性の先生の姿勢にも感心した。子供の言い分をよく聞かれるし、子供が不貞腐れていても、質問の仕方が上手で、うまく子供の気持ちを引き出されるのだ。元気のない子にも声を掛け、段々表情が明るくなる。子供ってあんなに劇的に変わるのか。本当にマジックみたいだ。
イスラエルのガザへの攻撃が続き、暗い気分になっている時、希望と言うか救いを見たような気がした。

(by 新村豊三)

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