日本の朝鮮統治時代(1910~1945)を背景にした韓国映画の秀作を見た。「空と風と星の詩人」だ。原題は「ドンジュ」、詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)の名前である。
私が彼の名前を知ったのは、2003年の日本映画「さよなら、クロ」という映画によってだ。これはクロという名の犬が、長野県立松本深志高校に長年居ついて生徒や教職員に親しまれたという実話に基づく映画(キネ旬8位)だが、ラストの全校集会で女性校長が彼の詩を読み上げるシーンがある。それはとても心に響く詩だ。
その詩(原語は朝鮮語)を次に挙げる。
息絶える日まで天を仰ぎ 一点の恥の無きことを、
木の葉にそよぐ風にも 私は心痛めた。
星を詠う心で 全ての死に行くものを愛さねば
そして私に与えられた道を 歩み行かねばならない。
今夜も星が風に擦れている。
感銘を受けて詩人の経歴も調べたりした。彼は今の延世大(日本の慶応にあたる)の前身を出て日本に渡り、立教大を経て同志社大に進むが、独立運動に加担したという嫌疑で収監され、27歳の若さで、終戦の半年前に福岡の刑務所で獄死している。その間に詩を書き溜めていて死後出版され、今も多くのファンを韓国や日本で持っている。
さて、映画の話だ。この映画は韓国では昨年公開されている。今年の1月だったか映画館でチラシを手にした時からこの映画を見たいと思っていた。「韓国映画100年史」(明石書店)という最近読んだ本には、韓国インディペンデント系の製作会社が商業主義を取らずに撮ったという記述がある。いよいよ期待が高まった。
映画は期待に応える秀作だった。何とモノクロで撮られている。真摯に誠実に静かに、あの不幸な時代と人間に迫っている。
特高から取調べを受けながら、ドンジュの半生が振り返られていく構成だ。同い年の従兄弟のソン・モンジュが同じように日本に留学し京都帝大に入学し彼は独立運動に入ってゆくが、ドンジュはそこに踏み込むことはせず文学の道を歩もうとする。
取調べを受けた後、調書に署名しろと官憲に迫られるが、ドンジュとモンジュが交互に画面に登場し、それぞれ立場は違うものの独立運動に関して悲痛な主張をする映像の迫力に圧倒される。ドンジュが衰弱し咳き込んで苦しみ、独房から運び出される時に流れる詩が先ほど挙げた詩だ。悲痛極まりなかった。
立教大の英文科に高松教授という、ドンジュに優しく接し自宅に呼んだりする人物が描かれている点にほっとした。調べると実在の人物であった。この映画の良さは徒に日本を悪く描いているのではないこと、明らかなフィクションを盛り込んでいないことだろう。この先生の存在を出すなど、史実に則って日本側の良さも出しているところがいい。だからこそ、ドンジュの悲痛さ・無念さが伝わってくるのだと思う。
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さて、もう一本、これも統治時代を背景にした映画「ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女」。日本に併合されて李氏朝鮮の最後の王となった高宗の娘、すなわち最後の皇女である徳恵翁主(トッケオンジュ)の一生を描く。
13歳の時日本に渡り学習院で学び日本人と結婚するも精神の病を発症させ戦後離婚し、1962年朴正煕大統領の時に帰国して亡くなった。正に、時代に翻弄され不幸な一生を送った人物だ。
これを、名作「八月のクリスマス」の監督ホ・ジノが演出している。主役ソン・イェジン(「私の頭の中の消しゴム」)の演技は素晴らしいが、残念ながら全く史実に無いフィクションが入っている。途中彼女が独立運動に加担し派手な銃撃戦に巻き込まれてしまう展開になる。あり得ない。エンターテイメント映画にして商業的に儲かるためなのか。
ユン・ドンジュ映画のような真摯で誠実な映画を作ることを求めたい。
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(by 新村豊三)