「焼肉ドラゴン」という傑作舞台をご存じだろうか。
2008年に鄭義信(チョン・ウイシン)が戯曲を書き演出して高い評価を受けた作品だ。私自身は、劇場で見たわけではないが、韓国文化に詳しい知人がテレビ放映されたものを録画して送ってくれたので、これを見る機会に恵まれた。
1970年代初頭、大阪万博が開かれている頃伊丹空港の近くバラックがひしめき合う、とある集落の一角で焼肉屋を営む在日韓国人の家族のドラマである。
お互いの連れ子を持って再婚したアボジ(父親)、オンマ(母親)には、3人の娘と、二人の間に生まれた一番下の息子がいる。在日ゆえに経済成長からは取り残され貧しい生活を送っているが、にぎやかにパワフルに暮らしている。店の立ち退きなどいろんな問題が生まれるが、娘たちはそれぞれ結婚相手を見出し、新たな新天地を目指してこの家庭から旅立っていく。そんな、笑いと涙にあふれたストーリーだ。
この作品を、鄭義信自らが初監督作品として演出したのが映画「焼肉ドラゴン」だ。前半、やや映画としての生彩さに欠ける感想を抱いたが、さすがに後半はなかなか面白い。
まず、この夫婦がいい。キャスティングが上手く行っている。アボジは丸顔ではげていて口数は多くないが働き者、オンマはちりちりパーマで太った典型的韓国オバサンのイメージだ。二人の存在感は際立っている。実は二人は韓国映画で活躍する役者で何本も面白い作品がある。
最も心を動かされたのは、カメラが緩やかにアボジに寄って行く中、アボジが娘の3人の結婚相手に「(私たちはこれまで)働いて、働いて、働いた。どうか、娘を幸せにしてほしい」と切々と語る言葉だ。彼は戦争で左腕を無くしている。そのハンディにも拘わらず働き続けてきた者の家族に対する真情のこもった言葉であった。主役のキム・サンホは長回しの数分間を日本語で語り切って見事。
もうひとつ心にぐっと来たのは、土地の取り立てに来た役人に、「土地を返せというなら戦争で失ったわしの腕を返せ。わしの息子を返せ」と叫ぶシーン。実は、息子は学校(しかも進学校)で在日ゆえのイジメにあい自ら命を絶ってしまっているのである。
この映画は様々なテーマを持つ。一つは家族愛だが、今一つは在日韓国人の苦労と苦難の姿だ。決して声高ではないが、しっかりとこれが観客に伝わってくる。韓流ブームを経て日韓お互いの理解が深まった今の時代だからこそ、日本でこの芝居=映画が作られることが可能になったのだろう。
ラスト、娘夫婦は一組は韓国へ、一組は北朝鮮へと渡ってゆく。その後の北の歴史を考えると複雑な思いを禁じ得ないが。アボジとオモニはリヤカーひとつで別の土地へと去っていく。ここにまた一つ、テーマが浮かび上がる。つまり、何があっても家族を思いながら、異国の地で生き抜いていこうとする夫婦の愛の物語でもある。そこに国籍に関係なく、「劇」の普遍的な説得力を感じる。
さて、好きな映画をもう一本! 鄭義信の名が我々映画ファンの脳裏に刻み込まれたのは1993年の「月はどっちに出ている」の脚本執筆による。何を隠そう、この映画と1994年の韓国映画「風の丘を越えて」がキッカケで私は映画を中心として韓国文化にハマって行ったのだ。
「月はどっちに出ている」は、東京でタクシー運転手をするコリーアンジャパニーズの新しい姿を描く快作だった。ここには笑いと痛快さがあった。
従来、映画に於ける在日のイメージとは、虐められ苦しく貧しい生活を送っている、それでも心清き人たちというものであったが、この映画では活発でパワフルで結構ズルいところもある面白い人間として描かれた。そこが新鮮であり映画史に残る作品となった。
主人公の恋人のフィリピン娘の口癖「もうかりまっかあ? ボチボチでんなあ」という忘れられぬ名台詞もあった。
鄭氏と崔洋一監督、そして製作の李鳳宇氏には心から感謝している。
(by 新村豊三)
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