沖縄が舞台である異色の題材を扱った映画「洗骨」を見た。力作である。洗骨とは粟国(「あぐに」と呼ぶ)島で行われている、人が亡くなった後遺体を洞窟等に放置しておき、4年後に遺族が骨を洗って供養する風習である。
妻が亡くなり気力を無くして生きる父親(奥田瑛二)の元に、東京に住む家庭を持つ息子(筒井道隆)と名古屋に住む独身の娘(水崎綾女)が洗骨の儀式のために戻って来る。
父親は酒浸りだし、優秀だという長男は妻との問題を抱え、娘に至っては妊娠してお腹が大きくなっている。途中から娘を妊娠させた中年オヤジも登場する。
ここから、喜劇的に話が展開し一騒動起きるが家庭は互いに理解を深めあう。家族の再生だ。ここまでは、まあ定石だろう。
興味を引くのは後半描かれるその洗骨の行為だ。遺族が集合し浜辺にある墓まで行く。洞窟の扉を開ける。取り出された遺体はミイラ化してガイコツになっている。遺族は持参した桶に入った水をヒシャクで掛け丁寧に洗ってあげる。
と、その作業中にハプニングが始まる。書いてしまうと、娘が産気づいて陣痛が始まるのだ。すると、慌てず騒がず、全体を取り仕切っていた70代の伯母さんが、寝かせろ、お湯と布を持ってこい、とテキパキと大きな声で指示するのだ。しかも、その伯母さんは突然ギックリ腰で起き上がれず横になったままで指示するというのが可笑しくもとてもいい。
感動した決め台詞がある。苦しむ姪っ子に向かって「命を繋いできたのは女だ!」と檄を飛ばす。これは、前々回書いたイラン映画「バハールの涙」でも繰り返された言葉「女、生命、自由」と同じだ。沖縄と遥か離れたイランで繋がるのだ。
無事に赤ん坊が誕生する。亡くなった母、未婚だが母となった娘、そして彼女の娘。生命の見事な継承である。
ワイドスクリーンで沖縄の美しい海や空や人々が暮らす平屋の家屋が描かれる。役者みんながいいが、特に娘の恋人の中年男(今時、長髪で髭まである風貌冴えないオジサン)と、見事に地元の婆さんに見える雰囲気と迫力を持った伯母さんが出色。鈴木Q太郎と大島蓉子が演じている。
脚本・監督は照屋年之。普段はコメディアングループのガレッジセールのゴリという名で活動しているそうだ。46歳。名字から分かるが沖縄出身で日大芸術学部中退。新宿の映画館は中高年でかなり客が入っており、上映中笑いが絶えなかった。
さて、好きな映画をもう一本!
個性的なおばさんで思い出したのが、沖縄映画を見て初めて面白いと思った「ナビィの恋」(2000)だ。
島を離れて都会生活を送っていた若い女性が出身地の沖縄に帰ってくるところから始まる、歌あり踊りありの楽しさいっぱいの映画だ。三線を持って土地の民謡を歌う登川誠仁さんの「19の春」などは今でも歌えるくらいだ。
この映画が新鮮だったのは、ナビィという名の、彼女の祖母の隠された若い頃の恋物語が描かれることだ。駆け落ちのため船に乗って島を出るところは、モノクロの画面になり夢物語のように郷愁と切なさが生まれる。その「おばあ」を地元で演劇をやっている平良とみが演じた。明るくていつも「ナンクルナイサー」(心配ない)と言っていてとてもチャーミングだった。
キネ旬でも2位の高い評価を受けたが、この秀作をかなり批判する批評家も存在する。つまり、沖縄の現実の様々な問題から眼をそらせた社会意識の低い映画だと言うのである。
沖縄映画の評価はなかなか難しいところがある。その人の世界観、日本や沖縄をどう捉えるかで相当に変わってくる。
私はこの映画に関しては、これはこれで素晴らしい、という立場だ。監督は京都出身で大学から沖縄に住み映画作りを始めた中江裕司。また機会があれば、社会性を持った沖縄映画の秀作を取り上げたい。
(by 新村豊三)
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