芸術の秋である。今、都内ではゴッホの絵の展覧会が行われている。ゴッホの絵は独特の色づかいと厚みのある絵の具のタッチから強烈な意志を感じ取れて好きである。
新作「永遠の門 ゴッホの見た未来」はゴッホの晩年の数年を描いている。公開二日目に見に行ったが、好きなのか嫌いなのかはっきり決められない作品だ。
こんなことはとても珍しい。とても工夫して凝って作ってあるが、ゴッホの内面を私が今一つ掴みきれないからだろうか(まあ、天才の内面を、凡人の私が理解するというのもないだろうが)。
映画ではウィレム・デフォー演ずるゴッホが一人草原や野原や森の中や断崖の上を歩くシーンが何度も出てくる。空間を広く捉えた横長スクリーンがとても効果的だ。そこにピアノの音が大きくかぶさる。カメラはゴッホの視点になり、宙や土地を歩いてゆくゴッホの足が映る。独特の映像である。
ゴッホは、絵が売れず貧しい生活をしている。歩く姿、土の上に寝転がる姿は自然と一体化していて孤高を感じるが、一方で寂しさも感じ取ってしまった。
初めて知ったが、彼は変わった絵を描く狂人として地元の人には受け入れられず、子供たちには石を投げられたりする。痛ましい。それでも自分こそ正しく、未来の人のために絵を描くという強い意志を持つ(そこに、キリストを感じたりした)。
力作ではある。ただ、自分には今一つゴッホの内面が伝わってこず、感銘に至らなかったのは残念だ。
さて、自身画家でもある監督ジュリアン・シュナーベルには素晴らしい傑作がある。2007年の「潜水服は蝶の夢を見る」というフランス映画で、この年のマイベスト作品である。
ファッション雑誌「エル」の辣腕編集長であった主人公は、交通事故のために、体が麻痺状態になり、言葉も話せず、しかし脳は打撃を受けておらず意識はある状態になった。周囲の声も聞こえ正常な思考もできる。
その彼が何と、本を出版するという実話である。唯一動かせるのは左のまぶただけである。でも、どうやって?
映画で最も印象的なシーンになるのだが、主人公の横にスピーチセラピストが座り、アルファベット全部が書かれた文字盤を手にして、順に文字を読んでいくのだ。その文字の配列は、フランス語の中で最も使用頻度の高い順に並んでいる。すわなち、E―S-A-R...と続いて行く。読まれる文字を見ながら、主人公が瞬きをする。必要とする文字が読まれた時だ。その文字をセラピストがチェックする。文字を繋げると、言葉になり、やがて文が生まれるのだ。そして想いや思想が表現されていくのだ。
お分かりだろうか。恐ろしく辛抱強く長い時間を掛けながら、こういう形で言葉を紡いでゆくのだ。その過程に私は仰天し、感銘を覚えざるを得なかった。人間はドン底の逆境に在っても、ここまで強くなれるのかと感じ入った。
その内容は、子供の頃の思い出、仕事の事、家庭を顧みなかったこと、愛人がいて妻を裏切っていたことへの後悔の念などであったと記憶する。痛切と言っても良かった。この映画には人間存在への洞察があり、私は静かで深い感銘を覚えたのだ。
さて、好きな映画をもう一本!
ゴッホの映画に戻ると、私の世代だとウィレム・デフォーと言えば、84年の「ストリート・オブ・ファイヤー」の悪役を演じた彼だ。映像も音楽も良く、この映画には正に血沸き肉躍った。確かこの年のキネ旬の読者ベストワンを獲得した。
「ある時、ある所で」(と、映画の最初に出る)、ロックの女王が暴走族の集団に拉致される。現代版西部劇の趣があり(乗るバイクが馬だ)、偶々、その街に来た一匹狼の主人公が悪者暴走族のアジトに乗り込み、彼女を無事に取り返すだけの話だが、見るからに憎々しげで四角い顔のウィレム・デフォーの悪役ぶりもたまらず、クライマックスの主人公とのハンマーの一騎打ちも見ごたえがあった。
ラスト、女王ダイアン・レインが(レイン様と呼びたいくらい)コンサート会場で真っ赤な服に身を包み、ロックのリズムに乗って拳を突き上げ力強く唄うシーンはシビレル程カッコ良かった。
(by 新村豊三)
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