何を隠そう、私は高校野球ファンである。正確に言うと、予選が好きなのだ。
だから、この時期、行ける時は毎年自分の元勤務先の高校の甲子園予選に応援に行っていた。部員の少ない弱小チームで、勝ったり負けたりだが、4年前だったか、3つ続けて勝ちベスト16に入った。あの時は熱狂した。ついでに書くと、妻の出身校の都立高が甲子園に出場し、2003年にはバスに乗って甲子園に応援に行った。一回戦はあのPLと当たって、あえなく10-0で敗れ去ったが。
ご承知かと思うが、今年は、野球の試合は家族しか野球場に入れない。コロナの影響はこんなところまで及んでいる。その元勤務先の高校の予選一回戦の日、たまたま、予備知識なくこの映画を見たのである(池袋の劇場の観客は私ともう一人若い男性だけだったが)。
埼玉県立東入間高校(架空)が甲子園で一回戦を戦うので高3の生徒が応援に来て、球場の「アルプススタンド」の一番上の端の方で応援を始める。山本リンダの「狙いうち」などブラスバンドのお馴染みの曲も流れ、球場の雰囲気が伝わり、応援の疑似体験が出来るようで、もう胸キュン、ワクワクした。
ところが、この映画、肝心の野球のシーンが全く出てこない!
応援する高校生や客をカメラはとらえるが、肝心のグラウンドやプレーする選手を全く写さない。
何だこりゃ。もうイライラが募る。
何かだらだらと高校生の会話が続く。私の嫌いな押し付けがましい熱血教員が登場する。
最近、家で見るネット配信に慣れてきているせいか、途中で止めて(劇場では出来ないけど)、他のことをしたくなったくらい。
ところがだ。途中から、この映画とてもいいのだ。
この映画は「野球を見せない野球応援映画」なのだと気づいた。
野球はいつの間にか接戦だ。展開につれて、もう、ドキドキして、カキーンという球音や、球場のどよめきに耳を澄まして注意を払うことになる。
野球を応援に来ている女子高校生が野球をあまりよく知らず、あのプレーどうなったのとか、これはこうなのよと会話することから、画面に野球が描かれなくても、自然と野球の流れがよく分かる巧みな構造になっている。
そして、高校生が一生懸命応援しながら、自分の人生が上手くいかないことを「仕方ない」と諦めていたが、いや、でも、目の前で真剣に野球に打ち込む同級生の姿を見て、段々とウチらも諦めかけた演劇をちょっとやってみない?という気持ちになっていく過程が何だかとてもいいのだ。
詳しく書かぬが、ラストのエピソードが素晴らしい! これほど素晴らしい「数年後のエピソード」はちょっと思いつかない。ちょっと涙してしまった。言葉に出すと陳腐だが「好きなことに打ち込んで行くと、神様がほほ笑む」ということだ。
この映画は、兵庫県の実在の東播磨高校の演劇部が上演したお芝居の映画化である。劇を書かれた演劇部の顧問の先生は、春の甲子園21世紀枠で出場した学校に勤務されたことがある由。
城定監督のことは全く知らなかったが、ピンク映画を沢山撮ってきている。
実は、この映画、人物たちがいるアルプススタンドが、甲子園のそれに見えない。後ろには木々が見え、地方の大会のように見えてしまい、映画として若干の欠点がある。しかし、これは、お金を掛けられなかったという事情があるのだろう。
ピンク映画のように、予算がなくてもこれでやるという、開き直りがある。それは肯定的にとらえたい。
さて、好きな映画をもう一本!
先述のように「アルプススタンドのはしの方」には演劇部の女の子が出てくるが、高校生の演劇部員の青春を描いた秀作映画がある。2015年の、ももいろクローバーZ(よく知りませんが)のメンバーが出演した「幕が上がる」だ。
劇作家・演出家の平田オリザの原作を映画化した作品で、静岡の県立高校の演劇部の女子高生が、新任の美術の先生(黒木華)や顧問(むろつよし)の指導とサポートを得て、地方大会、県大会に出場する過程を描く。
迷いながらも自分の道を進もうとする高校生のまぶしい青春に素直に感動する。映画の舞台が地元の静岡だけでなく、茨城、東京と広がるのもいい。
生徒だけでなく先生も成長する。新任の先生が取る人生の重大な決断も応援したくなる。映画の中で「演劇の豊かさ」という言葉が出てくるが、それは、すなわち「生きることの豊かさ」をも意味していると私には受け取れた。
(by 新村豊三)
☆ ☆ ☆ ☆
※ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。エッセイ・小説・マンガ・育児日記など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter>