3月下旬公開で、緊急事態宣言発出のために見られなかった「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」をやっと見ることが出来た。
8月の日比谷の映画館には客が40人近く入っていた。再開されてから見た映画の中では最多の人数で、客が真ん中に固まり、「密」を心配した位だ。客層は広く、女子高校生も、年配の方もいた。関心を持つ人が多いのだろう。
私は、三島由紀夫にも東大全共闘にも、現在、何の関心も抱いていない。ただ、天皇制には関心がある、そんな立場の人間だ。
個人的なことを言えば、大学の剣道部の先輩が「楯の会」に入っていた。先輩は九州出身、どっしりとした「壮士」のイメージ、人間としてのスケールの大きな人だったが、大学(ある国立大)をギリギリの成績で卒業してから、ほとんど収入がなく自分のお小遣いを稼ぐのが精いっぱいだった。「楯の会」で人生が変わってしまった方も多かったのではないか。ただ、先輩の場合、10歳ほど年下の出来た奥さんが横浜市役所に長年勤めて、子息は優秀で東大から財務省に入った。先輩と政治の話をすることは全くなかった。10年位前に早世された。
また、大学の卒論指導教官は、東大大学院時代、全共闘として安田講堂に立てこもり、ゲバ棒で殴られた傷がある先生だった。親しい先生だが、それでも、全共闘時代の話をしたことはない。先生が書かれた英文法参考書はベストセラーになり、家一軒建ったと聞いている。
映画に全く関係ない話を続けてしまい申し訳ない。これから述べるのは、そういう立場の私が映画を見た、個人的感想だ。面白く見た部分と、不快さをずっと感じた部分と、なんだか、よく分からず、すっきりしないというか、物足りなさを覚える部分のある映画だった。
時代背景が説明されるし、三島の発言を、様々な論者が現在の立場から解説してくれ(作家の平野啓一郎氏と、哲学者の橋爪大三郎氏の話が良かった)、また、三島の生前のエピソードも、「楯の会」メンバーから語られて、三島の人間性や考えの理解が深まったように思えた。
ずっと不快さを感じ続けたのは、赤ちゃん連れてきてタバコ吸いながらエラソーに語る芥という若者だ。私の頭が悪いのか、本当は言っている本人もわかってないのか、当時なら分かるのか、観念的で高踏的で、何言っているのか全く分からなかった。
元来いつの時代も若者とはあんなものだ、生意気な方がいい、とは、ユメ思えない。50年以上たった今でも、キザないやなオヤジだった。(インタビューする監督に、「君の国と俺の国は違うから」なんて言っている)。ただ、困るのは(?)結構フェイスがよくて、ダンディな感じはあった。彼は卒業後も演劇をずっとやって来たそうだが。
討論会で司会を務めた人は、好々爺みたいになっていたし、自分の過去が正しかったとは言い切らなかった。
この学生やら、殴りに来たとヤジを飛ばし壇上に出てきた学生に対し、三島が、怒ることなく大人の余裕を見せ、時に笑わせ(私も声をあげて笑った)、誠実というか、真摯に答える姿は悪くなかった。
そもそも、学生たちは、会場の入り口に、三島を「ゴリラ」と揶揄したポスターを貼ったり、参加費を飼育費と言ったりするところなど、リスペクトが全く感じられない。
見終わっての一番の不満は、もっと、討論全体を見せてほしかったという点だ。監督が、つまみ食いのように、勝手に切り取り、まとめ上げたものを見せられたような気がする。どういう理由なのだろうか。
三島が割腹自殺したのは45歳。もったいない人生の終わり方だ。天皇なんて、明治になって担ぎ出された一派じゃないか。天皇制のために死ぬ必要があったのか。あの、昭和天皇、どこが「神」なの。三島が学習院高校首席卒業の時、銀時計もらって、天皇が3時間身じろぎもしなかった、って言ったって、それは「職業的訓練」で身についたんじゃないの、と思うけど。
映画で内田樹だったかが言っていた、三島は「国家の運命と個人の運命が重なった」世代で、あの「陶酔感」が忘れられないのだろう、と。
あまり、好きじゃないが三島の映画を一本。三島自決の日を描いた映画がある。2012年の、若松孝二が描いた「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」だ。詰まんなかった。
好きな俳優だが、若手の井浦新が演じた三島からは、知性それから狂気みたいなものは感じられなかった。シナリオも演出もスカスカの手抜きに思えた作品だった。
(by 新村豊三)
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