今年は日本映画も、水準以上の作品が相次いで公開される。最近の3本を紹介したい。
まず、「春画先生」。春画の研究者芳賀(内野聖陽)の家にひょんなことから出入りするようになった若い女性の弓子(北果那)が、段々と、中々奥深い春画の世界を知っていく。
いろんなところにこの道の探究者、愛好家がいるものである。私自身は、春画は好きでも嫌いでもないが、映画で知ったように、春画の男女の交接部分を隠せば、人物や風景など実に緻密に描かれているのだ。それもそのはず、江戸時代の浮世絵の達人である喜多川歌麿や葛飾北斎が描いているのだから。映画で、春画が無修正で写されたのは初めて。
さて、この映画、端正そうに見えて実はコメディで、怪作・快作なのである。ドラマが、あれよあれよと全く予期せぬ方に転がっていき、北果那の行動と演技がエスカレートしていく。
芳賀は奥さんを失くしているのだが、奥さんに瓜二つの女性(安達祐実)が登場する。この安達祐実が、また、怪演なのだ。ええい、書いてしまうと、秘密の館で、鞭を持ち、バシッバシッと人を打つ。そういう役を演じるのだ。
北果那も熱演。シーツを纏って廊下を走り、廊下の奥でシーツをはらりと落として全裸を見せる、車を追っかけて外の道を裸足で走るなど、敢闘賞ものの演技となるのがいい。
中高齢者が多い新宿の映画館で、全体にシーンとしているのに、私と隣の若い女の子は、面白くて仕方ないので、よく声を上げて笑っていた。
次は、7年前相模原市の知的障碍者施設「やまゆり園」で起きた入居者26人が殺害された事件を元にした「月」だ。
売れない作家宮沢りえがこの園で働き始めるところから映画は始まる。職員の中には、同じ作家を志望する二階堂ふみや、入園者に紙芝居をしてあげる優しい面を持つ磯村勇斗などがいる。前半は、いろいろなものを詰め込み、見ていて暗い気持ちになるし、脚本が荒いところがあって好きじゃなかった。
しかし、監督が俊英石井裕也(「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ 」「アジアの天使」)だけあって、流石に、後半は惹きつけられる。特に、宮沢りえと磯村勇斗の対立するシーンがいい。お互いの顔の切り返しの手法が優れている。磯村は、意味なく存在する入居者は抹殺していいという考えであるし、宮沢は反対の立場だ。画面には、宮沢の、もう一つの幻影が現われて自問自答し葛藤する。それによって、この問題に対して簡単に安易な答えが出来ない難しさが出る。
この映画は障碍者にフォーカスを当てる作りをしていない。殺害された障碍者の親の苦しみ・絶望は、一人の障碍者の親である高畑淳子の慟哭一つで十分に出ていると思う。
宮沢りえには年下の夫がいる。オダギリジョーであるが、売れない人形アニメ作家なのだ。決まった収入はないようで、ふたりの生活も苦しい。回転ずしに行くのが二人のささやかな贅沢だ。この映画、甘いかもしれないが、オダギリジョーの小さいが嬉しい幸運が用意されている。敢えて書かぬが、私はそこが良かった。
二階堂の家庭の問題や職員の描き方が類型的という欠点は散見されるが、最後まで見ると力作だと思う。
好きな映画をもう一本!「ゴジラ-1.0」が意外な大傑作。ゴジラが現代の日本に現われる「シン・ゴジラ」(2016)より遥かに面白かった。今度のゴジラの登場は戦後間もない昭和22年。
ゴジラが現われ、東京の街を破壊し、撃退(?)されるメインの筋立てはシンプルだが、復員兵の戦争への思いやこだわりを描くサブの筋立てがとてもいい。主役の元特攻隊員を神木隆之介が好演。
この映画のVFXはまことに素晴らしい。敗戦直後の街の瓦礫、焼けた家や廃材などがリアルな質感を持って描かれる。何より、このゴジラには恐怖感がある。ゴジラは高さ、大きさ、重量感がある。ゴジラが銀座の街を破壊する映像が素晴らしい。電車に乗っていたある人物が空で宙ずりになるシーンは見事。
海で、ゴジラと、ゴジラ撃退を目指す船の一団が対峙するシーンは、あの伊福部昭のテーマ曲の高まりもあり、アドレナリンが出る。ラストに至るや、私は涙も出たのだが、見終わって眼にした、映画の「生きて、抗え」というコピーの秀逸さに唸った。
脚本・監督は山崎貴。2005年に「ALWAYS 三丁目の夕日」を撮った監督だ。この映画のVFXも凄いと思ったが、このゴジラを見ると、VFXもここまで来たかと思う。
(by 新村豊三)