今年49回目を迎えた湯布院映画祭のテーマは「アイドル映画の史的展望」だった。初めは安易な企画だなあと思ったが、さすが、映画の知識が分厚い実行委員が選定しただけあって、ほとんどが面白かった(「再会」だけが今一つ)。アイドル映画、ユメ、馬鹿にしてはいけない。己の無知を恥じた次第だ。
年代順にアイドルと題名を挙げる。
1940年 高峰秀子 「秀子の應援団長」
1949年 美空ひばり 「悲しき口笛」
1963年 吉永小百合 「伊豆の踊子」
1964年 舟木一夫・本間千代子 「君たちがいて僕がいた」
1974年 浅田美代子 「あした輝く」
1975年 野口五郎 「再会」
1977年 山口百恵 「泥だらけの純情」
1990年 斉藤由貴 「香港パラダイス」
2003年 モー娘。石川梨華 藤本美貴 「17才 旅立ちのふたり」
一本だけ、「あした輝く」を紹介したい。1973年にTVドラマ「時間ですよ」(第3シリーズ)に出演、人気を博した浅田美代子主演、原作は里中満智子の漫画。
戦時中、満州の新京で生活する今日子(浅田美代子)が、衛生兵と結婚するが、敗戦のために、汽車に乗り、徒歩で長い道のりを歩き、朝鮮を経由して船に乗り、引き揚げてくる。夫の母親の家に落ち着き、戦後の暮らしを始めるが、また、苦難が待っている、というストーリーだ。
見終わった直後、近くの中年の女性から感想を求められ、「大傑作」と言ったら、露骨に嫌な顔をされた。もちろん、大衆的で、ケレンに溢れる演出(赤いバックで二人が画面左右から駆け寄る。字幕が画面に縦に出る)もあるが、アイドル作品という枠の中で、作り手たちは相当に健闘している。
私が記憶する限り、引き揚げを描いた映画作品はない(テレビでは残留孤児の「大地の子」はあるが)。女学校の描写があったり、列車の中で流産があったり、内地へ帰る船の中での出産とその母親の絶命があり、海に遺体を沈めたりするシーンを、少しも手抜きをせず力強い演出で描いている。
通俗、大衆的であることは重々承知している。しかし、今の時代に撮ったのではない。まだ、中国残留孤児の問題も知られてなかった頃に、アイドル映画の形を借りて日本人の大きなドラマ・悲劇を撮ろうとした意欲を買い、それなりの結果が出ていることを素直に見てあげたい。
1950年代に小林正樹が「人間の條件」でインテリ日本人の中国での戦争体験を描いたが、この作品は、庶民の視点で、満州の生活・引き揚げの問題を描いたのだ。
好きな映画をもう一本! 昨年12月の公開で題名も知らなかったが「女優は泣かない」がとても良かった。
親の反対を押し切って上京し俳優になった主人公梨枝(蓮佛美沙子)が、自分のドキュメント番組を撮ることになり、若い女性ディレクター(伊藤万理華)と、これに、主人公の同級生の地元タクシー運転手(上川周作)も加わり、映画を撮っていく。この縦糸に、主人公がどう家族と折り合うかが横糸になり、ドラマが展開する。
有働佳史監督(脚本も)は新人ではあるが、CM作りで鍛えた腕で、画面は端正で、構図も的確な画を作っている。熊本の緑の大自然、女優が纏うジャケットの赤い色の対比など色彩にも心を配る。ドローンを使っての阿蘇山を見せる大俯瞰もお見事。
映画を作る3人のアンサンブルもいいが、脇役である、同級生の母親役宮崎美子(熊本出身)も、姉役の三倉茉奈も、父親役の升毅もいい。
何回か、胸にグッとくる。ラスト、主人公が病室の父親に会いに行き、弟が言う「オヤジ、姉ちゃんが帰って来たよ」には、思わず落涙した。
惜しむらくは、中盤ややダレることと、自分の芸能活動に反対していた父親が実は理解と関心があったことに、主人公が初めて気づくところが、やや、ベタであること。もう一工夫あればもっと良かったと思う。しかし、それは小さな瑕疵。熊本出身の私としては、これからも監督を応援してあげたいと思った次第。
ゲストで来た、弟役の吉田仁人は、ボーカルダンスユニットのMLLKのメンバー。彼が湯布院に来るという情報が出たのが8月21日。4日後の25日に、この映画を見て彼のシンポに参加するためにのみ(吉田君はパーティに出ず帰京)交通費、宿泊費、全日券27000円を払って、若い子女がわんさか詰めかけて、ビックリ。シンポでは立ち見も出た。千葉から一人やって来た高2の女の子もいた、との由。最近の女の子の行動力スゴイなあ。これこそ、「アイドル」として惹きつけたのであり、「アイドル映画」興行の実践であった。
(by 新村豊三)