<この投稿は暴風雨サロン参加企画です。ホテル暴風雨の他のお部屋でも「ホテル文学を語る」 に関する投稿が随時アップされていきます。サロン特設ページへ>
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世の中にはずいぶん色々な仕事やアルバイトがあるが、「こんな魅力的な出稼ぎも珍しい」と筆者は思っている。
アメリカ・コロラド州のロッキー山中にある古風なホテル。夏は大勢の避暑客で大いににぎわうが、冬はドカッと雪が降り、陸の孤島と化してしまう。当然、ホテルは閉鎖される。しかし無人となってしまってはまずい。なにしろオーバールック・ホテルは由緒ある古いホテルなので、冬期閉鎖中も豪雪に対するメンテナンスが必要なのだ。そこでひと冬、このホテルに閉じ込められる生活を覚悟でメンテナンスをやってくれる管理人を募集した、とこういうわけである。仕事内容が内容なだけに、もちろん「ひとりでやれ」とは言わない。家族ぐるみでこのホテルに住んでいただいて結構。そのための管理人部屋もちゃんとある。
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どうですかこの仕事。あなただったらやりますか?
「まあ報酬次第」という人もいるだろうし「死んでもイヤ」という人もいるだろう。わたくしなんざ報酬をヌキにしても……とは言わない。やはりもらえるものはもらっておきたい。
「しかしまあなんと魅力的な……」とうっとりと想像してしまうような仕事だ。なにしろ大きなホテルなので調理室にはバカでかい冷蔵庫が並び、冷凍室まである。野菜も肉も魚介も、凍らせた贅沢品が山ほどある。高級菓子や高級缶詰が並んだ貯蔵室もある。したがってメシの心配はなく、心配どころかやろうと思えば王侯貴族なみの優雅な食事を毎日楽しむことができる。つきあいが面倒な他人もいない。いるのは家族だけ。ガランとした無客ホテルで好き勝手に暮らしておればいい。仕事は1日に数回ホテルを点検し、常にホテル内に暖房がゆきとどいているように巨大ボイラーの調整をするだけ。
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この仕事に飛びついたのが、ジャック・トランス。高校の教師をしていたが、悪質なイタズラをした生徒を殴ってクビになった。小説家を目指している。妻はウェンディ。一人息子はダニー。3人家族だ。
キングの小説では、ジャックは極めて善良で、小市民的で、どこにでもいるような目立たない男……といった感じで登場する。しかし彼には「アルコール中毒」という忌まわしいレッテルが貼られている。少々酒を飲み過ぎたことがあり、少々あらぶった気分になり、そんな時に悪さをした(と思いこんだ)ダニーについイラッとして、これまた殴ってしまった。怪我をさせてしまった。ウェンディは大騒ぎし、彼を冷たい目で睨んで「この子に近づかないで!」と叫んだ。悲しかった。後悔した。しかしウェンディは許してくれなかった。ジャック・トランスはそういう男である。
小説を読むと、キングはこのジャック・トランスにかなり濃厚に感情移入し、切々と彼の煩悩やら苦悩やらを描いている。キング自身がその執筆時期より少し前にアル中だった時期があり、その克服経験があることから、ジャックにその葛藤を代弁させたかったのかもしれない。「シャイニング」で一番悲惨な目に合うジャックは、じつは原作者キングの分身に近い存在なのだ。なので当然ながら映画化と決まった際に、キングがその配役にもっとも注目した(あるいは神経を尖らせた)のはジャック・トランスだっただろうということは容易に想像がつく。ところがキューブリックは、なんとこの配役にジャック・ニコルソンをもってきた。まさか同じ「ジャック」なんでジャック・ニコルソンにしたのではないだろうが、それにしても小説のジャック・トランスとはもう全然イメージが違う。キングにしてみれば、「えーっ!」といったショックだっただろう。
その後の長年にわたるキングの執拗なバッシング(この人はキューブリックが死んだ後もまだやってる)を考えると、この配役を知った時に彼が受けたショックとそれに続く怒りは、富士山噴火レベルだったにちがいない。「ヤロウ!……原作を変える気だな!」と思っただろう。
この時点、小説「シャイニング」が映画化として制作スタートした1978年、キング31歳、キューブリック50歳。「キャリー」(1974)の成功で小説家としていよいよ大海に乗り出そうとする作家と、すでに名声を博している映画監督の壮絶な戦いは、ここから始まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・…( つづく )