10倍楽しめる?『マルホランド・ドライブ』のマルホランド・ドライブ的鑑賞法

Mulholland rabbits illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

こんにちは。ホテル暴風雨・雨オーナーこと斎藤雨梟です。このたびわたくし、デヴィッド・リンチ監督の映画『マルホランド・ドライブ』を10倍楽しむ鑑賞法を偶然知ってしまったので、この映画と鑑賞法のことなど書きたいと思います。

デヴィッド・リンチ監督『マルホランド・ドライブ』

以前からデヴィッド・リンチ監督『マルホランド・ドライブ』という映画を観てみたいものだと思いつつ、機会を逸してきた。観たいと思った時点で、先入観を排そうと、情報があっても目を背けてきたので、どういう映画かもよく知らないのだが、「頭がこんがらがる感じ」の映画らしいとだけ、心得ていた。

そこへ新文芸坐でデヴィッド・リンチ特集、『マルホランド・ドライブ』と『ロスト・ハイウェイ』二本立て上映のお知らせ。行きたいなあと思い、ちょうど久々に会った映画好きの友人に声をかけてみた。映画好きなのだから観ているだろうが、もし未見ならば誘ってみようと思ったのだ。だがこの思いつきが大きな衝撃をもたらすことになった。

「ねえねえ、『マルホランド・ドライブ』って観たことある?」と聞いた私に、友人はこう答えたのだ。

「何言ってるの、一緒に観に行ったじゃん」

えっ?

観たのか、私……!?

友人の勘違いということもあり得るが、

「謎すぎてわからん、って言ってたよ」

と、彼女の記憶はやけに細部を伴っている。「謎」な映画は好きだが、ツボにはまらなかった時やわからなすぎた時、自分はそういう一言で済ませがちな気もしてくる。

2度目だが観たいと友人が言ってくれ、時間の都合もついたため一緒に観に行くことになったのだが、その日から『マルホランド・ドライブ』とはどんな映画だろうかというワクワクをはるかに凌駕する、「果たして私は『マルホランド・ドライブ』を観ているのか?」というドキドキで目眩がするような日々が始まったのだ。

記憶力は良い方だが、You Tubeなどで予告編を見ても何も思い出さない。このシーン、ほらあの映画館で観たじゃない、観た時、ああ昔行ったあの劇場の舞台に似ている、昔入ったあのレストランのソファと同じ、と思い出したじゃない……などと、試みに偽の記憶を脳に植え付けようとしてみた。結果、騙されそうであまり騙されないという、中途半端なことになる。なぜそこまでするんだと言われたらもう趣味というか、面白くなってきたからとしか言いようがない。果たして観たのにすっかり忘れてしまっているのか、それとも友人の勘違いか、真相はいかに!?

夢と現実の錯綜をさらに混乱させる映画

さて、いい加減に映画の話に移ろう。(ネタバレは極力せず導入部紹介と感想のみを書きますが、映画未見でそれも知りたくないという方はご注意を)

いくつもの断片的な要素がコラージュ的に散りばめられたシーンから映画は始まり、今のは何だったのかな?と考え出す前に、緊迫感のある場面に入る。

街の灯りを見下ろせる山道を走る車、後部座席には肩もあらわな黒のドレスを着た、夏の真昼のような陰影のあるラテン系の黒髪美女(のちに「リタ」と呼ばれる。演じているのはローラ・ハリング)。突然車が止まり、「なぜここで止まるの? 行って」と運転席に声をかけると、運転席と助手席にいた男たちが振り向き、彼女に銃を突きつけ「降りろ」と脅す。殺されてしまうのか?とその時、浮かれた若者たちが爆走させる2台の車に次々と追突され、車は大破、銃を持った男たちも若者たちも少なくとも身動き不可能な大怪我をしたもよう。リタだけが軽傷で車から這い出し、斜面を街へ降りる。

警察に助けを求めるかと思いきや、リタは人目を忍ぶ風で、何か後ろ暗いところがあると思わせる。そこへちょうど旅に出るのか、荷物を積み込むべく、運転手を従えて車と家とを行き来している女性が目につき、リタは出入りの隙にその家に忍び込む。家主の女性は出かけてしまい、留守宅に一人になる。

場面変わって、空港。女優になる夢を胸に、オンタリオから憧れのロサンゼルスに降り立ったベティ(演じるのはナオミ・ワッツ)。女優である叔母の家に留守中滞在しながら、ハリウッドでオーディションを受けるなどして女優を目指すつもりだ。

その叔母の家というのが先ほどリタが偶然忍び込んだ家であり、二人は鉢合せをしてしまう。さて、どうなる?

というのが導入部。

本作が出世作となったというナオミ・ワッツが素晴らしく、映画の見どころのひとつだと思うが、この導入部に出てくる姿の、清楚さというか清潔感というか、汚れていない感じがとにかく尋常でない。爽やかな色合いのカジュアルな服に(この後少しずつ服装が変化するのも面白い)、ブロンドの髪はさっぱりしたショートボブと、ミステリアスな美女であるリタとは外見的にも好対照で、雰囲気や仕草、話し方なども善性のカタマリのように明るく可愛らしい。これだけ不穏な雰囲気の映画にこんなキャラクターが登場する以上、ただで済むはずがないという予感でハラハラする。ベティはとにかく疑うことを知らず、「記憶をなくした」と言う怪し過ぎる女・リタをかくまい、終始親身に記憶を取り戻す手助けをする。見ている方は、何かひどいトラブルに巻き込まれるか、リタに手酷く裏切られるのでは、と不安になる。

この不安は思いもかけないやり方で形になり、映画のいくつものシーンが、観終えた途端フラッシュバックしてひどく切ない気持に誘われる。「思いもかけない」度合いは、先入観のあるなしや、考えすぎるかどうかにも依存するので、あとはあまり情報を入れずにぜひ観てみることをおすすめする。

「謎は映画の中にあるんじゃない、頭の中にある」

……などと言いたくなってしまう作品。それが『マルホランド・ドライブ』だ。

難解と言われる映画だが、大多数の人が「こういう意味なんだろうな」とたどり着くであろう解釈は存在するし、かなりわかりやすく提示される。同じ監督の作品の中にはもっとワカラナイ・ムズカシイものがいくらでもあると思う(併映された『ロスト・ハイウェイ』など)

これは他の解釈を許さないという意味ではない。多分私もその「王道」的な解釈で理解したと思われるが、細部にこだわれば、「いやでも、アレは何だったんだ?」と謎が出てくる余地は存分にあり、いくつもの理解の仕方が可能だ。細部だけでなくストーリー全体に関しても、例えば誰を主体にした物語か、という解釈さえ複数可能だと思う。

核心に触れないようにするとはっきりしない書き方になるが、とにかく本作は人間の記憶や夢ということを扱っていて、謎は多いが「一義に解釈してスッキリ」ではなく、ただ見て感じて、そこから心の中で枝分かれする感覚のあやしさ、覚束なさそのものを楽しめる。

夢というのは睡眠中に脳が記憶を整理・編集する作業中に、少しだけ覚醒した意識がその一端を覗いてしまうことで起こる現象だという説を聞いたことがある。

脳の研究といえば多分今最も活気のある科学分野の一つで、最新の知見がどんどん塗り替えられているだろうし、この説が正しいのかどうか素人にはよくわからないが、「なるほど、そうかもしれない」と思わせる説得力は十分だ。

目の前で起こった「事実」とはそのままでは幅も奥行きもなく、「時系列」という流れにも紐づけられていないし、「印象深かったこと」「嬉しかったこと」などのラベリングもされていない。

「人生はひとときの夢」という言葉には、そりゃあそうかもしれないが、と身も蓋もなさすぎて腹さえ立ってくるが、「事実は整理されなければただの断片で、記憶されてこそ人生」だと、似たようなことを言っていながら、少し具体的な説得力が出ないだろうか。

人は眠りながらこれまでの経験の順序を整理し、箱に入れ、ラベルを貼り、人生の記憶を形作る。では、死を前にした「臨終の夢」とは、どんなにわけのわからない妄想に満ちていたとしても、一つの意味においては、その人にとって最も確かな人生の記憶だと、言えはしないか。他者から見た「事実」と反した夢だったとしても、それがいったい悲しく不幸なことなのか、それとも幸せなことなのか、簡単に断言はできない。

そんなことを思った映画だった。

10倍楽しい鑑賞法

さて、冒頭に書いたことを忘れたふりをして済まそうというわけではない、最後にデヴィッド・リンチ監督『マルホランド・ドライブ』を10倍楽しむ鑑賞法だ。

『マルホランド・ドライブ』鑑賞中、古い記憶は1ミリたりともよみがえらず、さすがにこれは本当に未見と思われ、友人の勘違いだったのではということに落ち着いた。

だが、人の記憶に分け入るこの作品を、偶然だが私は「自分はこの映画を観たのか?観ていないのか?まったく覚えていないが、この映画から得た記憶を何か別のものにすり替えて頭の中に保存しているのか?そうだとしたらどんな形で?」という疑問が消えぬまま観たのだ。

これほど面白く、この映画にぴったりの鑑賞法があるだろうか?

「一緒に観たよね」と言ってくれた友人には感謝するしかない。

というわけでこのとっておきの鑑賞法、自分一人で完結させにくいのが難点だが、

昔の日記に「今日『マルホランド・ドライブ』を観た。超面白かった」と書き込んでしばらく放っておくとか、自分のことは諦めて、身近な人(『マルホランド・ドライブ』観てなさそうな人が望ましい)に「前一緒に観に行った『マルホランド・ドライブ』面白かったね。もう一度観ない?」と誘ってみるなどの、10倍楽しませる鑑賞法はどうだろうか。もしくは映画通の人に「『マルホランド・ドライブ』って迫力あるカーチェイスの後にタイヤの妖精が出てきて魔法の国に連れて行ってくれる映画だよね」となどデタラメを言ってみるのもいい(「絶対そういう映画だ」と言い張った上「検索して調べるのはなしってルールで」と釘をさし、「答え合わせ」として一緒に観るのがよろしかろう)。

10倍の混乱と幸せのるつぼが出現すること請け合いだ。

最後に、冒頭になぜウサギの絵?とモヤモヤしていた方、これは私なりの『マルホランド・ドライブ』のイメージです。

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