最先端の震えに感動した話

初めてのアニメーション:雲はよく動物の形に見える

みなさんは、「感動しやすい」タイプだろうか、「感動しにくい」タイプだろうか。

先日「感動させてくれ病」の現状について書いたのを読むと、私は何だかとても感動しにくいたちの人間のように自分でも思えてくる。が、案外そうでもないなと思うこともある。何しろ勘違いやうっかりで非常に「驚きやすい」タイプであり、驚きと感動とは共有部分の多いものだ。

今日もひどく感動した。

困難に立ち向かう四人の仲間たち

人が困難に立ち向かい何かをしようとする姿は感動を誘うものだ。

ところで、電車に乗ろうと車内に一歩足を踏み入れたら「全員がスマートフォンを見ている」というのは今や珍しくも何ともない日常風景になっている。もはや「そんなにいつでもどこでも見たいのかスマホ!」とかと驚くこともなくなってしまった。

だが、4台ほどが一列に並んだマッサージチェアーで、マッサージをしている全員がスマホを見ているさまを今日は目撃してしまった。

ぎゅうぎゅう肩や首を揉みながら背中全体がブルブル震えるタイプのマッサージのようで、みなさんスマホを持つ方の手も、タップしたりスワイプしたりの操作をする方の手も、かなりひどく震えている。芝居で「重病、末期」「最期の力を振り絞る」「断末魔」などの記号的表現として大げさにやるような、強めのビブラートがかかったところをおしてまでスマホを見ているのだ。

しかも、そのマッサージチェアーは、血圧計のように手や足にポンプで空気が送り込まれ、ぎゅーっと締め付けるマッサージをしてくれる高性能そうなやつだった。肘掛の上の筒状の部分に手を入れておけば素晴らしいマッサージが受けられる、その権利を放棄してまでスマートフォン。この時ばかりは思った。「そんなにまでして、スマホ見たいか!」と。そして見ず知らず(多分)の偶然居合わせた4名の人たちが力を合わせて(るわけじゃないが)困難(マーッサージの振動)に立ち向かい必死でスマホを操作する姿に感動した。時代はここまできたぞ!と。

「そんなにまでして見たいか」の答えはもちろんイエスで、見たいから見ているのだろう。とするとこの先のスマートフォンの進化の方向として、「振動している場所でも快適に見られる」などの機能が付加される可能性はある。マッサージまで想定するかはわからないが、電車内の揺れも、カメラの手ぶれ補正機能のように何かをああしたりこうしたりして、気にならなくしてくれる機能。きっと需要がある。

だが思うに、そんなにいつもスマホが手放せないなら、脳に埋め込んでしまえばいいじゃないか!というのももう絵空事ではない。脳に埋め込む前に、ゴーグル型だとかコンタクトレンズ型だとかが段階を踏んでくるだろうが、遠からず現在の光る板状のスマートフォンは滅びるだろう。「スワイプ」「タップ」に抑えがたいノスタルジーを感じる世代は今着々と作られているところだ。

話が逸れた。脳に埋め込む時代が来ればもちろん、「振動に強いスマホ」など無用の長物と化すが、ではなぜ肉眼で見る景色は、マッサージチェアーが振動していてもそこまで見づらくならないのか、などの脳内映像の研究は何歩も進むことになり、結局そのアイディアは「脳に埋め込む」技術の礎になるのだと思う。

実は、4人の仲間たちの戦いに感動したのではない

さて本題に戻る。

何に感動したのかという話だが、「時代は妄想に追いついてきた」と感動したのである。

私が妄想した通りに「スマホを脳に埋め込む時代」が近づいたぞ、しめしめ、というのとは、似ているが少し違う。

近頃、マイク付きのイヤホンのごく小型のものを装着している人が多い。それを使って電話もできてしまう。つまりもう、道を歩きながら一人でブツブツ言っている人が、電話をしている人なのか、いつでもどこでもイマジナリーフレンドとお話を始めてしまう個性的な人なのか、まるで区別がつかないということだ。

そして、「電車でもマッサージ中でもスマホが手放せない人」をやや引いた目で見ていることからわかるように、私はスマホを所持はしているものの「それほど頻繁にスマホを見ない人」である。それはなぜかというと、脳内妄想や脳内イマジナリーフレンドで「間が持ってしまう」からに他ならない。

人と話している最中にスマホをいじるのは、一応、まだ辛うじて「失礼な行為」と認定されていると思う。人の話を聞け、目の前の人に集中しろ、というわけだ。だが私くらいの妄想家になると、人の話を聞きながら、ちょっと「つまらんな」と思った途端に脳内妄想に浸り始めるなどもう数十年も続けている習慣、朝飯前と言っていい。世の人が近頃身につけ始めた「失礼な行為」をもう長年密かにやっているのだ。

マッサージをしながらでもスマホが見たい→振動に強いスマホが登場する→その技術はウェアラブル的な、もはや意識すらせず使い続けられる情報端末を作る技術に繋がるだろう→つまり脳内埋め込み型端末の時代がやってくる

→時代が妄想に追いつく!

というわけだ。

まだ飛躍が過ぎただろうか?

小型イヤホンで電話する人が妄想とイマジナリーフレンドを引き連れた変わった人と区別がつかなくなるように、脳内埋め込み情報端末でしじゅう情報を求めている人が、脳内妄想としじゅう戯れている人ともはや区別がつかなくなる時代が来るということだ。

つまり妄想歴が長く、イマジナリーフレンドたちで脳内人口稠密気味で困っているような私も、最先端となる日が近づいているのだ。試しにイヤホンをして、電話をしているフリで脳内のお友達と喋ってみようかと思ったが、これがなかなかできるものではない。公共の場でイマジナリーなお友達と喋るのはよろしくない、という強烈な抑制がかかっているらしい。

妥当な判断だ。というか普通だが、まずはこの抑制を外し、いつでも脳内妄想をポチッとシェアできるよう準備しておく必要があるな、すごいぞ、こりゃ大変だ忙しくなるじゃないか。

と、感動したことであった。

それはいい時代が来るということなのかはよくわからない。まあ別にどっちでもいいけれど、手のマッサージを諦めてスマホを見るのはやっぱりもったいないんじゃないかと思った。


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