あまりにも夢のある内容なので「絵本の中だけのお話でしょ?」と思われてしまうのだが、ぬいぐるみのお泊り会は実際に図書館で行われているイベントだ。しかもここ数年でぐっと広がった。あなたの近所の図書館でも開催されているかもしれない。
ぼくがこのイベントの存在を知ったのは2010年12月で、アメリカはインディアナ州の図書館員アビーさんのブログだった。
大きなゾウのぬいぐるみが小さなぬいぐるみたちに絵本を読んであげている超ほっこり写真が載っていた。
なんだこれは?カワイすぎるじゃないか!
大変興味をひかれ、英語・日本語両方で情報収集してみた。ちなみに英語では stuffed animal sleepover や teddy bear sleepover、日本語では「ぬいぐるみのおとまり会」が標準的呼び方である。
日本語で出る情報はこの時点では極めて限られていた。たぶん一番早いのは国立国会図書館の情報サイト「カレントアウェアネス・ポータル」で、2010年9月にアメリカの図書館の人気イベントとして紹介している。
日本ですでに開催した情報も3件だけ見つかった。東京の港区立三田図書館、兵庫の宝塚市立西図書館と大阪の枚方市立津田図書館。上記カレントアウェアネス・ポータルの記事で知ったとすれば、この3館の反応はとても早かったことになる。
アメリカではどうか。英語の検索では多くの開催情報が出てきたが、発祥に関してはほとんど信頼性ある記述がなかった。遡っていくと、2006年夏に開催した記録までは見つかったが、これが最初かはまったくわからない。
図書館員が情報交換するサイト複数で、2009年ごろに「はじめてやりました」「こんなイベントがあるのね!」というコメントが多数あるので、アメリカでも2009年にはまだ有名でなかったことは間違いない。
それほど昔でもないのに、最初に考えた人も最初に開催した館もわからないのは不思議だが、きっと誰かが中心となって広めたのではなく、イベント自体の魅力により口コミで広がっていったのだろう。
どんなイベントかの説明がまだだった。子ども対象の参加型イベントである。
子どもたちはお気に入りのぬいぐるみと一緒に図書館のおはなし会に参加する。おはなし会が終わると子どもたちはうちに帰るが、このとき大事なぬいぐるみを図書館の人に預けていく。お泊まりするのは子どもたちではなく、ぬいぐるみなのだ。
そして当然(?)夜が来るとぬいぐるみたちは目を覚ます。動きだして、絵本を読んだり、館内を探検したりする。図書館員はその様子を写真に撮り、翌日お迎えにきた子どもたちにぬいぐるみと一緒に渡してあげる――。
これはどう考えても素晴らしいイベントだ。
ぬいぐるみや人形が動きだす話は昔からたくさんあるが、舞台が夜の図書館であるのがなんともいい。無数の本の中に無数の物語が眠っている夜の図書館ほど、魂が目覚めるのにふさわしい場所があるだろうか。
すぐ、絵本にしたいと思った。迷ったのは距離の取り方だ。実在イベントをモデルにするのは初めてだった。どの程度忠実であるべきだろうか?
このファンタジーには外枠と中身がある。「夜の図書館でぬいぐるみたちが動きだす」が外枠で、「そこで何が起こるか」が中身だ。
作家として個性を出すなら、中身に工夫を凝らすことになる。しかしこのイベントの良さは、あくまで外枠が提示するファンタジーで、中身が派手になればなるほどイベントと乖離してしまう。
結局中身は極力オーソドックスにいくことにした。それによって、読んでから参加しても、参加してから読んでも楽しめる絵本にしようと考えたのだ。
将来このイベントがもっとメジャーになって、「夜の図書館でぬいぐるみが動く」が「月にウサギが住んでいる」や「キツネは人を化かす」と同じくらい共通の認識となることがあったら、そのときは外枠より中身が重要になる。外枠はもう当たり前だから、それだけでは絵本にならない。
お話を書いてから、絵の岡田千晶さん、編集者のHさんと一緒に、江戸川区の篠崎子ども図書館に取材に行った。イベント当日の取材ではなく、あとから当日の様子をさまざまな資料を見ながら教えていただいた。
ノンフィクションでなくてもモデルとなるイベントを正確に知っておくのは大事なことだ。ただ詳細に知ると想像力が制限される危険もあるので、第1稿を書いてから取材し、細部の修正に生かしたのは良い順序だったと思う。
岡田千晶さんは作画の資料とするため館内の写真をたくさん撮っていらっしゃったが、印象的だったのはカメラ位置が低いことだった。小さなぬいぐるみの視点を意識されていたのだ。
完成した絵本の絵は、篠崎子ども図書館に通っている子なら「あ、ここは!」とわかるくらい篠崎子ども図書館に似ている。
『ぬいぐるみおとまりかい』は2014年8月に刊行された。このころには日本の図書館での開催もだいぶ増えて、ぼくのうちの近所の図書館でも案内チラシを見つけたりした。
本と図書館に親しんでもらうためのイベントだが、個人的にはそれ以上の意味があると感じる。
幼い子にとってお気に入りのぬいぐるみは自分の一部のようなもので、一晩とはいえ預けるのは勇気がいる。心の葛藤がある。納得して参加したのに、その場になると「やっぱりイヤ」という子もいるらしい。
募集する側も配慮して「お泊まりできるぬいぐるみを連れてきてね」と案内していたりする。アメリカでは「second favorite を連れてきてね」という表現があって、うまいなあと感心した。
大事なお友達をがんばって預け、一晩「どうしてるかなあ」と心配し、翌日嬉しく再会する体験は、きっと心の成長につながると思う。
正確な資料はないが、ぬいぐるみのお泊まり会の開催はその後も増えているようだ。毎年恒例イベントとして行っている図書館が全国で100を超えているのではないだろうか。この広がりに、絵本が少しでも役に立っていたら幸いである。
なんといっても岡田千晶さんの絵が素晴らしいので、この絵本は海外でも刊行されている。
(2015年 A Thousand Hope社より韓国版)
(2016年 Éditions du Seuil社よりフランス版)
(2018年 天津人民出版社より中国版)
(2022年 Kira Kira Edizioniよりイタリア版)
岡田千晶さんと初めて会ったのは2005年のことで、三鷹にあった「ギャラリー犀」の展示会だった。そのころから岡田さんの描く子どもと動物は抜群によくて、いつか絵本でご一緒したいと思っていた。9年かかってようやく希望がかなったわけである。
ホテル暴風雨を始めたときも、BFUギャラリー第1回の展示は岡田千晶さんにお願いした。
(by 風木一人)
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