機嫌が直った慈円津のプロマイド撮影は順調に終わった。
「慈円津さん、お疲れ様!プロマイドは出来上がったらいつものように見本を渡すね」
撮影済みのフィルムを現像室に運び終わった阿照は店内へ戻ってきた。すると、とっくに帰ったと思っていた慈円津がまだいる。
「ふぅん、コウテイペンギンの赤ちゃんのプロマイドは不動の人気ねぇ……。あら!シュレーターズの新しいプロマイドが出ている!……」
慈円津は、棚に配列されたプロマイドの束をめくって見ている。焦っている様子は全くない。開店時間近くなっても自分の店に戻る気配のない慈円津を不審に思った阿照は、何気なく尋ねてみた。
「そうそう、シュレーターズのプロマイドはビジュアル系バンドの中で一番人気だよ。ところで、慈円津さんの店、最近どうだい?」
「……」
慈円津のプロマイドをめくる手が止まった。そして、ゆっくりと阿照の方を向き、チラリと憂いを帯びた視線を送ったあと、伏し目がちに首を傾け言った。
「実は……、うちのお店、あまり売れてないの」
慈円津は、艶かしくため息をついた。その赤く美しいクチバシから、ふぅわりと魚の良い香りが漂う。
「え?だって、慈円津さんの店、いつでも人がいっぱいじゃない!?」
阿照が驚くのも当然だ。慈円津の店は、いつでもペンギンで溢れ、繁盛しているように見えるのだ。
「それが……、店に来ているのは、客というより私のファン。うちの店って、カチューシャ専門店じゃない?普通のペンギンには似合わないのよね、カチューシャって……。ファン達も最初は買ってくれてたんだけど次第に買わなくなっていって……。ジェンツーペンギン達は、ほら、この天然の美しいカチューシャがあるから買う必要ないし……」
そう言い、慈円津は、自分の頭部のカチューシャ模様をフリッパーでペンペンと軽く叩いた。
「確かに……。カチューシャはオシャレだけど、頭を締め付けられて痛いし、なにしろ漁の時に邪魔になるしね……」
阿照は気の毒そうに目を丸くして、うつむく慈円津を見つめた。
「はぁ~、何か別の商売しようかと思うんだけど、カチューシャ屋は止めたくないの……本当に悩んじゃう……」
阿照は、しょんぼりとうなだれる慈円津を見ると、どうにかしてあげなくてはという思いに駆られた。
「……うん……そうか……」
阿照は、フリッパーで自分の丸い腹を撫でてみた。ペンギン達の間では、困った時やアイディアが欲しい時、腹を撫でるとペンギンエネルギーを得られて解決策を思いつくというジンクスがある。阿照は腹を撫でながら、脳内の水槽に詰まった魚達(いわゆる煩悩や邪念や魚欲)を追い払い気持ちを集中した。何か思いつきそうか?やはり、思いつかないか……。……と、思いついた!
「あ・そうだ!カチューシャはそのままで、別の物、新商品も売ってみたら!?」
慈円津は、少し顔をあげた。しかし、しばらくして、その顔を軽く左右に振った。
「別の物……?新商品……?いいかもしれないけど……何が良いか全然思い浮かばないわ……」
慈円津は、また、ため息をついた。
「そうだね……」
つられて阿照もため息をつく。阿照は、無意識に腹を撫でるのを再開していた。いつの間にか慈円津も腹を撫で始めている。
沈黙の中、腹を撫で続ける二人が交互につくため息の微音だけが響いた。
「リリーン、ガチャ」
その重苦しい空気を裂くようにドアの音が鳴った。
「阿照さーん、おはよう!商店街の会費の徴収に来たよ」
店に入って来たのは、皇帝……?いや違う。かなり似ているがサイズが小さい。大きめの中型、ないし、小さめの大型くらいだろうか。それは、キングペンギンの王サマ義(オウ・サマヨシ)であった。王は、おさかな商店街の会長を務めている。酒屋を営む王は、紺地に「清酒 魚盛(さかなざかり)」という白い文字が描かれた年季の入った前掛けをつけている。
「あ、王さんおはよう」
阿照は、我に返って挨拶をした。腹を撫で続けたままで。
「おや?」
王は慈円津がいるのを認めた。その表情は、いかにも嬉しそうだ。
「お、慈円津さんもいたのか」
「……えぇ、王さん、おはよう……はぁー……」
慈円津は、腹を撫でながら挨拶をしたが、自然とため息をついてしまう。そのクチバシからは魚の良い香りが、ふぅわりと漂う。
「慈円津さんは、とても良い香りがするね」
王は、黒い頰を赤くした。(が、元が黒いので、赤くなったのは素人には分からない。)そういえば、すでに阿照と慈円津の二人のため息で魚の香りがこの店に充満している。
「おおう!この部屋いっぱいに良い香りだ。おさかなの良い香り……!」
顔を赤く(黒だが)した王は、その香りを全部吸い切るかのようにクチバシを大きく開き目を閉じた。
その瞬間、阿照と慈円津の腹を撫でるフリッパーが止まった。
「……ん!?良い香り……」
阿照のクチバシがピクリと動いた。
「……良い香り!」
慈円津のクチバシもピクリと動いた。
「慈円津さん!これだよ!これを売るんだよ!」
「阿照さん!そうね、これね!」
以心伝心の二人は、目を輝かせ、ペンと飛び跳ねるとフリッパーでハイタッチ。
二人は腹撫でにより、窮地に陥ったとき発揮されるペンギン的カンで、画期的な新商品を思いついたのだ。二人の思いついたものは、同じもの……アレである!
阿照は、魚の香りに酔いしれている王のナデ肩をペタリと湿った音を立てて叩いた。
「慈円津さんと一緒に今から新商品の素材を取りに行くから、王さん、悪いけど店番しておいてね!」
「え……ちょ、ちょっと待って!」
うろたえる王に、慈円津はウィンクを投げた。
「すぐに帰るから、王さんお願い!」
唖然とする王をプロマイド店に残したまま、阿照と慈円津は、善は急げと、新商品の素材を求めて、海へとまっしぐらにペンペンと走っていってしまった。
しかし、目的は新商品のためではあるが、実のところ何かにかこつけて海に行こうとするペンギンの本能も手伝っていたことは否めない。
「……おぉーい!会費~!」
王の叫びがプロマイド店から響いたが、海に向かう二人の耳にはもはや届かなかった。
(つづく)
浅羽容子作「白黒スイマーズ」第1章 おさかな商店街にようこそ(3)、いかがでしたでしょうか?
またまた新キャラ登場!プロマイド店に置いてけぼりの王さんはキングペンギン。オウサマペンギンとも呼ばれ、コウテイペンギンとかなり似ていますが少し小型で、地球では南極よりも少し北の亜南極域に住んでいます。そして、匂い立つおさかなのアロマでふたりは何を?一週間、腹を撫でつつじっくり考えねば!
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