白黒スイマーズ 第1章 おさかな商店街にようこそ(2)


海からあがった皇帝と阿照の濡れた体に、朝日が反射した。

「朝からお腹いっぱいだよ」

「阿照さんは、食いしん坊だな」

そう言った拍子に皇帝の口から「ぐほっ」と音がし、魚が飛び出した。その魚を手で口の奥に戻しながら、皇帝は大きな体をしならせ少し照れ臭そうに、

「私も食いしん坊だな。ペンギンというものは、元来食いしん坊な生き物だから致し方あるまい。うぬぬ……むにゃむにゃ、んまい」

と言った。

「あ・皇帝さん、注意して!」

魚の味に恍惚となり目をつむりながら歩く「歩きおさかな」をしてしまっている皇帝を阿照は制した。皇帝の足先があらぬ方向に向かっていたのだ。その先には、柵に覆われた大きく暗く深い穴がある。

「あぁ、ありがとう。おさかなの味に我を忘れ、大穴の方に近づいてしまった」

「皇帝さんは身長も体重もあるのだからね、柵なんて簡単に壊して大穴に落ちてしまうよ。気をつけないと……」

二人は、畏怖の視線をその大穴に向けた。大穴を避けるようにして波が押し寄せる。波でさえも避ける、それが大穴である。二人は、無言で商店街の方へと歩き出した。ペンギン達が怖れるこの大穴は、ホドヨイ区の海岸の中央にある。ペンギン達のあいまいな記憶によると、それは、ペンギン達の祖父の叔母の従兄弟の子供の玄孫の時代からあるらしい。おそらく遠い昔からあるということは間違いない。大きさは、大型ペンギンなら7人、中型ペンギンでは10人、小型ペンギンであれば20人程度、そのままスポポンとハマってしまうくらいのサイズである。

ある時、この大穴にペンギン達がハマってしまわないよう、大穴の周りに柵が作られることになった。しかし、ペンギン達が海のすぐそばで魅惑的な魚の匂いに耐えて柵作りなど出来るはずがない。海での漁の合間の片手間に手がけて出来上がった柵は、極めて簡素な作りであった。しかし、ペンギン達にとっては十分であった。そこに大穴がある、その目印になれば良かったのだから。

その大穴からは、日によって空気が吹き上げたり、逆に空気が吸い込まれたりする。また、吹き上がる空気に乗って不思議なものが運ばれてくることもしばしばであった。そんな大穴と対峙して陸地にあるのが、ペンギン達の憩いの場所、ホドヨイ区の「おさかな商店街」なのである。

ペンペンと膨れた腹を抱えながら皇帝と阿照が店に戻った時、おさかな商店街の他の店は開店準備に大忙しだった。

「あ!」

阿照は自分の店の手前で歩みを止めた。店の前には、一人のペンギンがいる。

「遅いわよっ!阿照さん!」

それは、カチューシャ屋の店主、ジェンツーペンギンの慈円津サエリ(じぇんつ・さえり)だった。頰を膨らまし、腕(フリッパー)を組み、片足を神経質にペンペンと鳴らして立っている。しかも、短い毛が幾分立っている。立腹しているのはすぐに見て取れる。

「今朝は、開店前に撮影する約束じゃないっ!」

慈円津の頭部にはジェンツーペンギン特有のカチューシャのような白い模様がある。赤いクチバシも、オレンジ色の足も鮮やかだ。今日は撮影とあっていつも以上のお手入れをしているようである。ジェンツーペンギンの中でも美しい容姿の慈円津サエリは、ペンギン界のアイドルなのだ。撮影から写真の現像、販売までを一環して行う阿照のプロマイド店でも慈円津の写真はよく売れる。

「慈円津さん、そう怒らないで!」

慈円津は、「私だって、店があって忙しいんだから」と言った後、横を向き、「このおっぺけぺーが……」とか「んだよ…とーへんぼくやろうめ……」とか小声でブツブツ言っている。毛はどんどん逆立ってきている。まなじりは引きつり、目も不穏な輝きを帯びだした。クチバシは次第に半開きになり、威嚇寸前5秒前といった様相である。そう……ペンギンの毛が逆立っている状態は、中指を立てているような(正確には、ペンギンには中指はないので、フリッパーの真ん中くらいを尖らせているような)ものだ。こんな状態のプロマイドなど、どんなヤサグレペンギンでもお断りだ。このままでは、撮影などできないのは明白である。

「まずいな……」

阿照は焦った。丸い目がさらに丸くなり、慈円津のイラつく足のペンペンという音に合わせて、体が大仰にピクピクと動く。

「ぐほっ」

そんな焦る阿照の頭上から何かが落ちてきた。阿照は、すかさずフリッパーでそれをキャッチ。落ちてきたそれは……魚だ!妙にテラテラとしているが、それが返って美味しそうである。

「あ・慈円津さん、これでも食べて!」

横を向いていた慈円津は、チラリと阿照が差し出す魚に目をやった。すると、逆立っていた毛が元に戻り、目の引きつりも直った。

「あら、ファンからの差し入れかしら……」

そう言うと、慈円津は、魚をパクリとひと飲み。

「んぐんぐ、うん、まぁまぁね……」とひとりごちた後「じゃ・撮影しましょ」と、短い尾をフリフリ、ご機嫌でプロマイド店へと先に入っていってしまった。

「皇帝さん、ありがとう」

阿照は、小さい声でそういうと、皇帝は返事の代わりに、「ぐほっ」と喉元から音を立てると、クチバシの横から魚の頭がぴょこんと飛び出した。

(つづく)


浅羽容子作「白黒スイマーズ」第1章  おさかな商店街にようこそ(2)、いかがでしたでしょうか?

新キャラ登場!慈円津サエリさん。ジェンツーペンギンはアデリーペンギンと近い種類のペンギンで、地球では南極域に住んでいます。慈円津さんもゴッカン区の住人なのでしょうか。頭の白い模様がカチューシャ型とはかわいいですね。

そして、お、お……大穴!?空気が吸い込まれるばかりか不思議なものが運ばれてくるって、何が? と非常に気になりますね。ホドヨイ区には何か大きな秘密があり、でも住人たちは普通に秘密と共存していて、阿照さんにとっては「大穴より撮影」みたいです。朝食が終わっていよいよおさかな商店街の朝が始まりそうですよ!

ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。

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