白黒スイマーズ 最終章 いついつまでもペンペンと(2)


「『ペンギン冒険隊・隊員募集中』……隊員!?」

そのポスターには、文字とともに一人のペンギンが印刷されている。何かを指し示すかのように片フリッパーを真横に突き出し、もう片方のフリッパーを腰に当ててポーズを決めたそのペンギンは、マゼランペンギンの冒険家である混卵タイ陸(まぜらん・たいりく)であった。マゼランペンギンとは、アッツイ区寄りのヌルイ区在住のやや小さめの中型ペンギンの一族だ。フンボルトペンギンやケープペンギン、ガラパゴスペンギンと親戚で良く似た見た目である。特徴は、胸の黒い帯が2本あり、目の上の白い帯が太いこと。また、婚活中の時期は、目の上の露出した薄いピンク色の皮膚が鮮やかなピンク色、婚姻色に変化する。

ポスターに写っている混卵の目の上は薄いピンク色なので、婚活中ではなさそうだ。その混卵の写真の横に添えられた文言を阿照(あでり)は読んだ。

「『ペンギン世界が変わる今こそ、冒険に出よう。若いペンギンたちよ、大空を飛んで、新しい世界の扉を開きたくはないか? 隊員への応募は、締め切りまでに下記住所へ履歴書を送付のこと』って、冒険に出るペンギンを募集しているってことか……」

今まで、なるべく危険なことを避けてきた慎重派の阿照である。しかし、今、恋をしている阿照はオスとして一段も二段も成長したい気持ちが強くなってきていた。しかも、アデリーペンギンという種族は放浪の旅に惹かれるという本能がある。いくら慎重派の阿照といえども、まだ若いペンギンだ。本能に突き動かされるのは当然である。

「へぇ、冒険か……。なんだかドキドキするな。なんだろ、この気持ち……」

阿照の丸い瞳はポスターに釘付けだ。ドキドキわくわくペンペンした高揚感が阿照を包み込む。

「冒険……してみたいな」

直情径行な阿照である。冒険への憧れが芽生えると、それは一気に花開いてしまった。冒険に行ってみたい、新しい世界に飛び込んでみたい。しかし、その気持ちに歯止めがかかった。阿照の脳裏に浮かんだペンギンがいるのだ。鈴子である。そして、なぜかその横には阿照山カッコ好(あでりやま・かっこよし)がいる。阿照の頭の中で、鈴子がカッコ好にピタリと寄り添うと、カッコ好が鈴子のなで肩に自分のフリッパーを回した。

「ダメだ、ダメだ!」

阿照は頭を振るうと、ポスターに背を向け、プロマイド店へとペンペンと歩き出していった。

* * *

翌日も、阿照は古潟(こがた)の水道屋の手伝いに行っていた。

「よ! 阿照、毎日、手伝ってもらってわりぃな」

「うん、はぁ……」

古潟の威勢の良い呼びかけに、阿照は昨日よりも一層と魂が抜けたような返答である。その様子に、古潟は脚立の上に器用に飛び乗ると、阿照と同じ目線になり阿照を正面に見据えた。

「お前、何を悩んでいる?」

小さく鋭い瞳で心を射抜かれた阿照は動揺した。

「え……う、何も……」

古潟の視線は阿照を捉えたままだ。何もかもお見通し、そう阿照は感じた。白状しなければならない。

「実は……古潟さん、昨日、ペンギン冒険隊の隊員募集のポスターを見たんだ。で、僕、何だかすごくドキドキわくわくペンペンしちゃって。行きたいって思っちゃったんだよ」

「なんだ、そんなことか、行けばいいじゃねぇか。答えは一つだ!」

古潟は、クチバシをパカリと開けて、ワハハと豪快に笑った。

「……でも……でも」

阿照は、それ以上言えずに、目を丸くしてフリッパーをパタパタと動かしている。

「気がかりがあるのかい?」

コクリと頷く阿照に、古潟は、小さな胸を張り丸まった背中を伸ばした。

「お前の様子見てると悩みの大体の察しはつく。俺には、その悩みっつーのは、お前がやりたいことを達成した時に解決するようにも思えるぜ。阿照、お前はまだまだ若く、成長する。その成長した姿を見せたい人がいるんじゃないか?」

丸い瞳を瞬かせる阿照に向けた古潟の顔は真剣だ。

「結論を出すのはお前一人だ」

そう言うと古潟は、クチバシを大きく開け破顔した。

「無駄話は、終わりだ。さぁ、仕事! 仕事!」

脚立を器用に飛び降りた古潟は、阿照の丸い尻をペンと強めに叩いた。

一日中、忙しく水道店の手伝いをし、今日の仕事も終わった。帰り道、阿照は、昨日のポスターの前にまた来ていた。じっと見つめ逡巡する阿照。そこに、羽白(はねじろ)組の大工の手伝いを終えた皇帝、王、貴族のロイヤルトリオがやってきた。

「あ、阿照さん。こんぺんは。水道店の手伝いの帰りかい?」

「こんぺんは、王さんたち……うん、帰りだよ」

阿照は元気なく答えた。

「阿照さん、ずっとそこにいたみたいだけど?」

「このポスターを見ていたのかい?」

王たちは、阿照が見ていたポスターを覗き込んだ。

「混卵くん、冒険隊員募集しているのね。珍しいですわ」

「貴族さん、知っているのかい?」

貴族の言葉に、阿照の瞳が輝いた。

「ええ、古い友人ですの。もしかして、阿照さん、興味あるの?」

「うん、実は……」

言い淀む阿照の頭には、先ほどの古潟の言葉、「結論を出すのは自分一人」が残っている。だけれど、身近な人々に相談くらいはしてもいいのではないか。阿照はクチバシを開いた。

「あのさ、あのさ、ちょっと皆に相談があるんだけど」

「え? 相談」

神妙な面持ちな阿照に、王たちは耳を傾けた。

「僕、冒険に行きたい気持ちがあるんだけど、皆だったらどうするかなって思って。実は、気がかりなことがあって悩んでいるんだ」

その言葉に、王がすぐさま反応した。

「あぁ、鈴子さんのことか」

「えっ!?」

王の言葉に、驚いたのは阿照一人である。皇帝も貴族も、「鈴子さんのことだね」と全く驚いていない様子だ。

「なんで、鈴子さんのことだって分かったの!?」

すると、皆、一斉に目を細めてニヤニヤと変な笑い方をし始めた。

「だって、阿照さん、飛び方教室の時に、鈴子さんに求愛ダンス踊ってらしたわよね?」

貴族の発言に、皇帝も続く。

「それに、阿照さんって鈴子さんを見るときの目の形がハート型になっているしね」

続いて王が話し出す。

「阿照さんのプロマイド店の商品ってさ、今は半分が鈴子さんでしょ? 写真からもさぁ、なんか一途な愛を感じるんだよね。鈴子さんのプロマイドが売れている理由ってそれもあると思うよ」

追い打ちをかけるかのような王の言葉に、阿照の全身から汗が吹き出す。

「え……そんな」

恥ずかしい気持ちでペンペンとしてしまっている阿照の純な態度に、皆、やっと茶化すのは止めにした。真面目な表情になり、しばし考える。クチバシを先に開いたのは王だ。

「私が阿照さんの状況なら、私だったら行くかもしれない。若い頃の冒険心というのは大切だよ」

「私も、もちろん行くに決まってますわ。オスは魚の数ほどいるけれど、冒険できるチャンスは滅多にないですもの」

貴族の答えは予想通りだ。

「私は、氷の地での結婚・子育てが冒険みたいものだから、わざわざ行かないかな」

確かに、皇帝は生活の一部がすでに冒険のようなものである。

「鈴子さんにも相談してみたらどうかな?」

王がシュレーターズカチューシャを揺らしながら提案した。

「え? 鈴子さんに!?」

驚く阿照に、貴族と皇帝もウンウンと王に同意する。

「阿照さん、善は急げですわ。私が付き合って差し上げます」

貴族が強引に阿照を引っ張っていく。

「うん、それがいい。じゃあ、我々は帰るので。ぺんぺん!」

「ペンペン!」

「えっ、うっそっ!うわぁぁぁ」

力強い貴族に引きづられるようにして、阿照は、鈴子が働く比毛(ひげ)のパワーストーン店へと向かった。

まだ休業中の札をかけている比毛のパワーストーン店の中へと、貴族は、嫌がる阿照を連れて入っていった。阿照は貴族の後ろに隠れるようにしている。

「すみません。お客様、本日、まだお休みですぅ……って、貴族さんですね。こんぺんは」

出迎えたのは、鈴子ではなく比毛ボーボである。

「あ、貴族先生、こんぺんは」

比毛の娘、房子やパワーストーン職人の分堀戸(ふんぼると)ルトト・ボルル兄妹もいる。中には、パワーストーンがまだ散乱していて、皆で片付け途中のようだ。

「こんぺんは、比毛さんに皆さん。お忙しいところ悪いわね。今日って鈴子さんはいらっしゃらないの?」

「鈴子ちゃんは今日は早退しました。何だか、阿照山カッコ好さんと会うとか言ってましたよ」

「え……?」

阿照が貴族のたくましい体の横から顔を出した。確かに、店内に鈴子の姿はない。

「あら、そぉ……」

困り顔の貴族に比毛が尋ねた。

「鈴子ちゃんに何か用事ですか?」

「いえね、比毛さん。阿照さんがペンギン冒険隊に応募するか悩んでいるみたいですの。それで、ね」

「ほほぉ、応募するんですか。私は、商売が好きだから応募しませんがね。しかし、応募するとは阿照さんはなんと素晴らしい! きっと鈴子ちゃんも、そんな阿照さんにイチコロでしょう。そして、冒険に行くのなら、是非とも当店の『冒険運大吉パワーストーン』をご購入ください! ついでに、『片思い成就パワーストーン』も新発売です!」

「あうあうあう……」

ふらふらと、比毛の言葉に釣られてまたもやパワーストーンに吸い寄せられていく阿照を貴族がむんずと掴んだ。

「比毛さん、ありがとう。とりあえず今日は帰りますわ」

そして、阿照を掴んだまま、貴族は店の外に出たのであった。

「阿照さん、鈴子さんはいなかったですわね」

「あうあうあう……」

鈴子がカッコ好と会う予定があると聞いてショックを隠せない阿照からは負のオーラが漂っている。そんな阿照に、貴族は少し気の毒そうな表情を浮かべていたが、すぐに元の女傑らしい顔つきに戻った。

「阿照さん、よく考えたら、こういう事って自分一人で決めるべきことだと思いますわ。というか、阿照さん、一人で決めなさい!」

「はぁ……」

放心状態の阿照に、貴族は貴族らしい微笑みをたたえながら、

「困ったときには、腹撫でがありますわよ」

と言うと空に舞い上がり、「グッドラック!」という言葉を残し、華麗な飛翔で帰ってしまった。

結局、阿照は振り出しに戻った。戻るどころか振り出しよりも後退してしまった。得た情報は、鈴子とカッコ好が会っているという悲しい事実。阿照へのダメージは強い。貴族と別れた阿照がペンペンとした気分で、おさかな商店街にあるおさかな公園の近くを通った時、公園のベンチに座る鈴子が目に入った。阿照は咄嗟に身を隠す。鈴子の隣にはカッコ好がいて、二人は楽しそうに話しているのだ。そして、鈴子がフリッパーに持っているものに目が止まった。パワーストーン店の包みである。鈴子は包みを開けて中の物を取り出した。それは、見るからに素敵な灰色の小石である。

「鈴子さんが、カッコ好さんから小石をもらっている……」

阿照は、それ以上、二人の姿を直視することはできず背を向ける。

「僕が、僕が、カッコ好さんにかなうわけないよ……失恋確定だ……」

フリッパーを大きく広げた。久々に飛びたい気分なのだ。阿照は大地を蹴り上げると、ふわりと浮いた。プロマイド店に向かって大空を飛ぶ。快晴だったその日、阿照が飛んだ下だけには、しょっぱい小雨が降ったのであった。

(つづく)


浅羽容子作「白黒スイマーズ」最終章 いついつまでもペンペンと(2)、いかがでしたでしょうか?

冒険したい・でもどうしよう〜・の阿照さん。貴族貴子先生に発破をかけられたものの、目撃したのはカッコ好さんと一緒に楽しそうな鈴子・まいらぶの姿! 次回、苦しみ悩み涙の腹撫で必至の阿照キュー太、さあどうなる!? 乞うご期待!

ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。

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