白黒スイマーズ 第10章 アッツイ区のペンギンモアイ(1)


ホドヨイ区に小さな異変が起こっている。なんと、阿照(あでり)のプロマイド店に客が常時5人程度入っているのだ。開店以来こんなに繁盛していることはなく、画期的なことなのである。

「これ、ください」

「はい、いらっしゃい」

阿照は、忙しそうにペンペンと働いている。客がレジに持ってくる商品のプロマイドの中には、必ずエンペラーペンギンの子供のプロマイドが入っているが、これは阿照が氷の地まで赴き、皇帝の子供を撮影してきた写真である。

「わぁ、エンペラーの赤ちゃんかわいい」

「あ、スネアーズとシュレターズもあるよ。買っていこう」

訪れる客は、ヌルイ温泉リトル大浴場へ遊びに行った帰りの観光客が多い。古潟(こがた)と羽白(はねじろ)の計らいで、リトル大浴場に、阿照の店の宣伝ポスターを出してくれているのだ。

「ありがとうございます。またのお越しをー」

やっと客が途切れたところに、店に入ってきたペンギンがいる。シュレーターズカチューシャを頭に付け、腰に清酒魚盛(さかなざかり)の前掛けをした大きめのペンギン、おさかな商店街会長で酒屋の王である。

「阿照さん、こんぺんは。随分とお客さんが入っているようだね」

「あ、王さん。もう、忙しくて参ったよ。仕事ができるオスっていうのも辛いものだね。毎日、休みなしだよ。あーもー大変」

そう言いながら、阿照は鼻息荒く胸を張った。その胸に、小石が入った巾着が揺れる。

「王さん、僕の仕事っぷりは、他の店でも評判なんじゃないかい?例えば、パワーストーン店とかで……」

阿照は、上目遣いで王を見た。

「そういえば、比毛(ひげ)さんが褒めていたよ。それより、たまには休まなきゃだめだよ、阿照さん」

王の返答を聞いた阿照は、眉間にシワを寄せ、

「あ、そ」

となぜか不満げだ。

「そうそう、古潟さんと羽白さんがさ、私の酒屋の宣伝もしてくれ始めたよ。はい、差し入れ」

王は、阿照に差し入れの魚ジュースを渡した。魚ジュースを目にした阿照は少し機嫌がよくなったようだ。

「お、サンキュー。古潟さんと羽白さんは、男気があるよね。小さくても大きな二人さぁ」

「でもさ、あの二人は根っからの職人だから、経営の方は比毛さんに任せているらしいよ。……あ、そういえば、比毛さんがアッツイ区のペンギンモアイそばに土産店を出店したって」

王が話を続ける中、阿照は、早速魚ジュースを開けた。

「ホドヨイ区以外のほかの区って店があまりないけど、あそこは観光地だから絶対に売れるんじゃないかとの算段で出店したらしい」

「へぇ」

阿照は、魚ジュースをごくごくと飲ながら興味なさげに生返事をした。

「で、パワーストーン店の新しい店員さん……なんだっけ、アデリーペンギンのスズミさんだったかな?その人が、臨時で土産店の販売をしにいっているって」

「えっ!鈴子さんがっ!」

阿照は、ピョンと跳ねて魚ジュースをこぼしそうになった。

「そうそう、鈴子さんだったね。どうやら、比毛さんの思惑通り、土産店は繁盛しているみたい」

話しながら王は阿照の瞳の形が変わっていくのに気がついた。

「鈴子さんが、ペンギンモアイの土産店にいる……」とブツブツつぶやく阿照の瞳はすでに完全なハート型だ。阿照はその瞳を王に向けた。

「王さんのいう通りだよ。僕もたまには休まなきゃね。プロマイド店は明日臨時休業にするよ」

阿照は断言したあと、魚ジュースを一気に飲み干した。

ペンギンモアイとは、巨大な石でできたペンギンの半身像である。ペンギンたちの曖昧な記憶によると、作られた時代は「3年前くらい」とか「1億年前くらい」とか。どちらにしても、かなり以前から存在したことだけは明らかだ。ペンギンモアイの高さはエンペラーペンギンの10人分くらいはあり、重さは、エンペラーペンギン100人分以上あると言われている。一説によるとジャイアントペンギンという今は絶滅した巨大種のペンギンがいた頃に、その大きさを誇示するために作られたのではないか、とも言われている。しかし、ジャイアントペンギンはこれほどまでは大きくなかったので、たんに昔のペンギンがなんとなく趣味で作ってみただけという説の方が濃厚だ。経歴不明の謎の遺跡ではあるが、大きいし、面白いし、害はないし、なんだかいいじゃない、というのがペンギンたちのおおらかな見解である。

このペンギンモアイは、アッツイ区にある。アッツイ区は、ペンギン世界の端に位置し、その名の通り酷暑の地域を含む暑い地区である。王の店で人気の「清酒魚盛」が製造されているのもこの地区だ。そのアッツイ区の唯一の観光名所としてペンギンモアイは人気を誇っているのである。比毛が出店した店は「熱々モアイ土産店(あつあつもあいみやげてん)」という名で、ペンギンモアイのキーホルダーやペナントやモアイ型まんじゅうなどが売られている。

「あれが、ペンギンモアイか。圧巻だな」

ペンギンバスの中から近付いてくるペンギンモアイを見つめる阿照は、麦わら帽子を被り、胸の小石入り巾着を揺らしている。まるで、下町人情映画のフーテンのペンさんのようないでたちである。

「キキー」

突然、バスが急ブレーキをかけて阿照はよろめくと、胸の巾着も大きく揺れた。

「危ないな」

しばらくして終点のバス停「ペンギンモアイ前」に到着し、阿照は降りた。折り返し運転するバスには入れ違いに何人ものペンギンたちがペンペンと乗り込んでくる。

「ん?」

阿照は誰かに呼ばれたような気がしたが、バスは満員で声の主が分からない。そして、すぐに発車してしまった。阿照は大して気にせず、少し先にあるペンギンモアイの方に注意を向けた。鈴子が働いている土産店はすぐそばにあるはずだ。アッツイ区の暑い日差しと緊張で多量の汗をかきながら、阿照は観光客が群がるペンギンモアイへと足を進めた。

海沿いの平らな岩場に巨大なペンギンの15体の彫像、ペンギンモアイが海を背にして整然と並んでいる。「熱々モアイ土産店」は、一番奥のモアイ像の近くに建っていた。阿照は、モアイ見物は後回しにし、いそいそペンペンと土産店へと向かう。

吹き出す汗を豆絞り柄の手ぬぐいで拭きながら、お気に入りの麦わら帽子を被り直し、開け放しになっている店のドアから店内に入る。店の中も、ペンギンの観光客でいっぱいだ。阿照は店内を見渡した。レジにいるのは、若くて陽気そうなガラパゴスペンギンであり、鈴子ではない。陳列棚に品出しをしている店員も若くて陽気そうなガラパゴスペンギンで、鈴子ではない。もう一人、接客中の店員も若くて陽気そうなガラパゴスペンギンで、鈴子ではない。店員は、よく似た三人の若くて陽気そうなガラパゴスペンギンだけである。

このガラパゴスペンギンというのは、小さめの中型種である。フンボルトペンギンやケープペンギンの親戚で、同じような体の模様であるが、顔を囲む白いラインと腹を囲む黒いラインが細く、体の大きさに比べてフリッパーが大きいのが特徴だ。また、アッツイ区で暮らす唯一の物好きなペンギンとしても知られている。

そんなガラパゴスペンギンの三人が働いているだけで、阿照の意中の人、阿照川鈴子(あでりかわ・すずこ)の姿は見当たらない。

「あの……」

嫌な予感がした阿照は、そばで品出しをしているガラパゴスペンギンの店員に聞いてみた。

「あの、鈴子さんという店員さんはいないのですか?」

品出しをしていたガラパゴスペンギンは手を止め、阿照に返答した。

「阿照川さんスよね?先ほどのバスでお帰りになったっス」

「え?」

「ゴッカン区に住む人には、この暑さは耐えられないらしいス。だから、僕らガラパゴスペンギンの学生アルバイトが雇われたんス。お客さん、阿照川さんのお知り合いスか?」

「へぁ、そぉです……」

阿照は意気消沈した。若いガラパゴスペンギンは、人懐っこく話を続ける。

「僕、柄箱ス太郎(がらぱご・すたろう)というっス。レジにいるのが、柄箱川ス太郎(がらぱごがわ・すたろう)。で、接客中なのが、柄箱山ス太郎(がらぱごやま・すたろう)っス」

「……ス太郎が三人?」

「そうっス。三つ子に間違われるけど、仲良し友達の三人組っス」

阿照は、ス太郎たちを交互にぼんやりと見つめながら、先ほどのバスで誰かに声をかけられたことを思い出した。もしかしたら、あの声は鈴子だったのかもしれない。しかし、バスはすでに出発しており、追いつくことは不可能だ。からまった赤い糸を感じた阿照は、がっくりとなで肩をさらに落とした。失望の汗はとめどなく流れる。そんな阿照に、

「お客さん、このキーホルダー、栓抜きが付いていて便利で人気っス。あと、このジャンボ鉛筆は新商品っス」

と、柄箱ス太郎が阿照に商品を売り込みだした。それに気づいた、接客が終わった柄箱山ス太郎が買い物かごと別の土産品を持ってきて近づいてきた。

「このモアイこけしも一押しっス」

買い物かごを渡された阿照は、キーホルダー・ジャンボ鉛筆・モアイこけしをその中に入れた。そこへ客が途切れて手が空いたレジの柄箱川ス太郎も参戦だ。すかさず箱菓子のいくつか抱えて阿照の元にやってくる。

「モアイまんじゅうとモアイご当地ブリッツも喜ばれるっス」

暑さとショックで朦朧とした阿照は、ス太郎たちのオススメする土産物を次々と買い物かごに入れ、そのままレジへ。

土産店を出た阿照は、「あはは、おおきいなぁ」と汗と涙でグショグショになりながらペンギンモアイ見物し、両手に山ほどの土産品を持ってバスに乗り帰路についた。

そして、それだけでは終わらなかった。まさに泣きっ面に蜂。阿照の災難はまだまだ続いたのであった。

(つづく)


※2019年6月25日に公開致しました「第9章 黃頭のマリン救出大作戦(4)」ですが、本文の一部を2019年7月2日に改訂しております。こちら併せてご覧頂ければと思います。


浅羽容子作「白黒スイマーズ」第10章 アッツイ区のペンギンモアイ(1)、いかがでしたでしょうか?

阿照さん、残念でしたね。バスで呼ばれた心地がしたのはあの人の声だったのでしょうか。それはそうと、知られざるペンギン界の名所、ペンギンモアイ(建造年代は推定1億年前〜3年前)初登場。いいですね〜、大きいし、面白いし、害はないし、なんだかいいじゃない!! そして新キャラ、ガラパゴスペンギンのス太郎たちもよろしくっス! さて傷心の阿照さんにどんな災難が続くやら?

ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。

ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・詩・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内>


スポンサーリンク

フォローする