白黒スイマーズ 最終章 いついつまでもペンペンと(3)


黄頭(きがしら)ナンデモ研究所は、バカンスから戻ってきた黄頭たちにより再開されていた。依頼は山のように来ているが、まずは、すっかり忘れていたペンギンモアイの配置を元通りにする案件を片付けなければならない。早速、新作マシーンを作った黃頭は、クラゲを伴いアッツイ区のペンギンモアイに来ていた。

「これをこうして……」

黃頭は、発明品「整列マシーン」を使い、バラバラな場所で勝手な方向を向いていたペンギンモアイたちを見事に元の位置に整列させた。

「すごいでス!」

アッツイ区長の柄箱巣ス平(がらぱごす・すっぺい)は、心からの安堵の表情だ。

「大きいペンギンさんたちが、一列になったよ」

手伝っていたクラゲは嬉しそうに、柄箱(がらぱこ)・柄箱川(がらぱごがわ)・柄箱山(がらぱごやま)の学生アルバイトのス太郎たち三人組の頭上で前転を繰り返している。

「さすが、黃頭さんっス!」

「さすが、クラゲさんっス!」

「さすが、マリンさんっス……って、マリンさんいないっス!」

いつも一緒のはずのマリンが不在なのである。

「マリンさんは、今日はいらっしゃっていないんでスか?」

アッツイ区長の問いに、黃頭はレモン色の瞳をあらぬ方向に動かし、フリッパーをパタパタと動かしている。いつも冷静な黃頭とは思えない。挙動不審である。

「あいや、ちょっと色々あって、あ、いやその……」

その黃頭に代わって答えたのはクラゲだ。誇らしげに透明の体を楕円形に膨らませると、黃頭の頭にふんわりと乗った。

「マリンさんはねぇ、卵うんだんだよ。ないしょだよ。うふふ……」

「ク、クラゲくん……!」

慌てふためく黃頭だが、アッツイ区長やス太郎たちからは歓声があがる。

「黃頭先生、おめでとうございまス!」

「おめでたいっス!」

「たいっス!」

「いっス!」

そして、クラゲがバラしてしまったマリン産卵という話はあっという間に広まっていったのだった。

* * *

おさかな商店街のペンギンポストの前で、豆絞り柄の手ぬぐいを被ったペンギンが一時間以上ウロウロペンペンとしている。そこに、久しぶりに羽白(はねじろ)組の大工の手伝いを休んで酒屋の配達をしている王が通りがかった。

「阿照(あでり)さん何やってるの?」

豆絞りのペンギンはもちろん阿照だ。

「あっ! 王さん!」

驚いて振り向いた阿照のフリッパーには、大きめの封筒が握られている。

「何それ?」

「あ、なんでもない、なんでもない!」

阿照は、王に覗き込まれそうになった封筒を見られないようにと焦ってペンギンポストに勢いよく投函してしまった。

「あっ! 入れちゃった……!」

すかさずポストの差出口から封筒を取り出そうと、フリッパーを無理矢理入れようとする。しかし、

「もしかして、探検隊に応募したの? すごいな、阿照さん!」

という王の称賛の声を聞くと、阿照はフリッパーを引っ込めた。

「う、うん」

「阿照さん、やるじゃない! ……って、そのお腹どうしたの!?」

見ると、阿照の腹の部分が丸く薄汚れていて、しかも毛羽立っている。さらに多少羽毛が薄くなったようにも見える。咄嗟にフリッパーで腹を隠した阿照は、

「いや、腹撫でし過ぎちゃって……」

と口ごもった。

昨夜、失恋確定と自己判定した阿照は涙に暮れていた。泣きはらす中で、ふと貴族の別れ際の言葉を思い出した。

「困ったときには、腹撫でがありますわよ」

そう、ペンギンには「腹撫で」がある。心を落ち着かせるために、貴族のアドバイス通り腹撫でを始めた。しかし、長時間撫で続けても一向に集中できず、逆に、考えてしまうのは鈴子のことばかり。明け方になり、ようやく、あることが心に思い浮かんできた。それは、鈴子の一件は別にして、「冒険隊に応募しなければ後悔する」という啓示であった。

「腹撫でしてたって、鈴子さんのことかい?」

豆絞りの奥の充血した目を王は心配そうに見つめている。

「す、鈴子さんなんて関係ないよ! 鈴子さんなんか、鈴子さんなんか……。だって、僕はカッコ好(かっこよし)さんよりもずっとイケペンだからさ、冒険隊に参加したら、さらにモテモテになるんだよ! ……鈴子さんなんかっ……!」

「そっか……」

あまりの剣幕に王はクチバシを閉ざした。そして、フリッパーに抱えた紅白の紙に包まれた清酒魚盛に目を落としてから、ブツブツ言い続けている阿照を再び見た。

「ところで、黃頭さんとこに卵が産まれたの知ってる?」

「え!? 黃頭さんのところに卵が!」

「今、クラゲくんも手伝って三人で抱卵中だよ。黄頭さんたちは8年間も離れ離れだったけど、幸せになって良かったよ。そういえば、阿照さんは冒険期間はどれくらい?」

「1年くらいだと思う……」

「あっという間だよ」

王はもっと何か言いたげだったが、「黃頭さんのところに、このお祝いの品を配達しなきゃいけないから」とだけ言い、行ってしまった。

* * *

冒険隊に応募した数日後から、阿照は、誰かに熱い視線で見つめられているような気がしていた。目の端に誰かの影が映るが、そちらを見るとすでにいなくなっている。そして、同時に空からの視線も感じる。ハッとして見上げると、樹木や屋根に隠れたのか、空には誰も飛んでいない。それが何度も続いているのだ。もしかして阿照が冒険隊に応募した噂を聞いた若く可愛いメスペンギンたちが、阿照のファンになったのかもしれない。

「僕も捨てたもんじゃないな。だって、僕はイケペンだもの。鈴子さんなんて、いなくてもへっちゃらさぁ。あはははは」

そんな具合に、空元気の阿照は早朝のプロマイド店で寂しく独りごちていた。今朝は、古潟(こがた)の水道店の手伝いに行く前に、プロマイド店に立ち寄って、冒険に行く前の整理と準備をしている。まだ冒険隊員に合格しているわけではないので気が早いのだが、こうすることによって鬱屈した気分が紛れるのである。

「そろそろ古潟さんの所に手伝いに行く時間だ」

時間になり阿照が外に出ようとした時、それを引き止めるかのように店の電話が鳴った。

「はい、阿照プロマイド店です」

「もしもし、阿照さんですか? 私、阿照川(あでりかわ)です」

思い掛けず鈴子からの電話である。阿照の心臓が落雷のようにドペーンと大きく鳴り響いた。そして、咄嗟に声色を変える。

「あ、あ、私、バイトの山田です。イケペンの阿照店長はお留守ですが」

少し時間をおいて受話口から返答があった。

「そうですか……。では、店長に伝言お願いします。未定になっていた撮影日なのですが、明日の午前中なら都合がよいのですが」

「えっ……撮影! いいんですか? もちろん、明日午前中で大丈夫です!」

また、少し間をおいて鈴子の声が聞こえた。

「では、明日の午前9時にお伺いしますわ、阿照さん」

「お待ちしてます!」

阿照は喜び、「ひゃっほおぉぉ」と、ペンと軽やかに飛び上がった。しかし、着地をする時には、すでに思い出してしまっていた。おさかな公園でのカッコ好と鈴子のことを。

「はぁ~」

自然とため息が出る。その時、店のドアから中を覗く影が阿照の視野に入った。

「誰っ!?」

立て続けに、

「ドスン!」

という音とともに、屋根の上に誰かが降り立ったような音も聞こえる。

「何っ!? 誰っ!?」

鈴子との会話に嫉妬したファンたちだろうか? それにしては、恥ずかしがり屋過ぎる。……というか、阿照は本当は知っていた。自分にはファンなど一人もいないことを。事実と向き合うのが怖かったので曖昧にしてきたが、これは、明らかに誰かに監視されている気配である。恐怖を心底感じた阿照は大きく武者震いをすると、全身の黒と白の羽毛を逆立てた。

翌日のプロマイド店である。阿照は、複雑な気持ちのまま撮影に挑んでいた。

「撮影、久しぶりだわ」

鈴子は可愛らしい笑顔で、阿照の持つカメラに視線を合わせている。

「あ、そーかもねー」

カメラのシャッターを押しながら阿照は答えた。忙しい中、わざわざ撮影に来てくれた鈴子に悪いと思いながらも、妙に素っ気ない態度になってしまう。なぜなら、涙が出そうになるのを堪えているからだ。

「では、今日の撮影は終了だよ」

撮影が終わり帰り支度が済んだ鈴子は、阿照の薄汚れたままの丸い腹をチラリと見てから言った。

「阿照さん、この前、私がいないときに、パワーストーン店に来てくれたんでしょ?」

「あ、うん……」

あの後のおさかな公園でのシーンを阿照は思い出した。瞳がじんわり濡れてきてしまう。

「あの時、私、カッコ好さんと約束があって」

「へぇ~」

涙を堪える阿照の瞳が奇妙に細くなり、クチバシの端が歪んでピクついている。

「実は、カッコ好さんに、奥さんに結婚記念日にプレゼントする小石を選んで欲しいと言われていたの」

阿照は、フリッパーに持っていたフィルムを落とした。目は丸く大きく開かれている。

「えっ? 奥さん!?」

「そう、奥さん。カッコ好さんの奥さん」

頷く鈴子に、畳み掛けるように阿照が問いかける。

「えっ! じゃあ、あの素敵な小石って、カッコ好さんの奥さんへのプレゼント!?」

「そうよ、私がもらったのではないわ。ウチの商品の受け渡しをしていたの。カッコ好さんは、奥さんが大好きでね。驚かせたいから秘密で買いたいって」

「……本当!?」

鈴子は飛び切り可愛い笑顔でコクリと頷いた。阿照の顔が見る見る間に明るくなっていく。瞳がじんわり濡れているのは喜びのためだ。

「あと、その時、別の話もあってね。実は、カッコ好さんから、自分が経営している芸能事務所に所属しないかって、誘われたの」

「え……!? 鈴子さん、本当にアイドルになっちゃうの!?」

「うううん。私、アイドル活動はもうしない。アイドルになりたいわけではないの。パワーストーン店での接客がとても楽しいし、天職だと思う」

その表情から鈴子は嘘はついていないようだ。阿照はホッと安堵したが、疑問も湧いてきた。アイドルになりたくはないのに、なぜプロマイド撮影を続けているのだろうか。邪心のない丸い目で阿照は鈴子に尋ねた。

「じゃあ、なんで、僕のプロマイド撮影をOKしたんだい?」

するとその問いに、鈴子の表情が途端に曇った。阿照に見せる初めての表情だ。怒っていても可愛いが、なぜ怒ったのだろうか、皆目見当がつかない。

「……」

鈴子の沈黙は続く。さっぱり理由が分からない阿照は、もう一度尋ねた。

「鈴子さん、分からないよ。なんでなんだい?」

無言の鈴子は怒ったままの表情で、スタスタと店のドアに向かった。そして、ドアを開けると振り向いた。

「阿照さんってアホなのね」

眉間にシワが寄った怒った顔でその言葉を残すと、鈴子は、「アホは残して、久々に飛んで帰ろーっと」と言いながら泳ぐようにしなやかに飛び立ち、行ってしまった。取り残された阿照は、クチバシをポカンと開けているだけだ。しかし、ハッとしてクチバシをペンと閉じた。

「アホって……もしや……」

もしやもしや……そういう意味なのか……!? いや、違う。本当に自分はただのアホなだけなのかもしれない。多分、本当にアホなのだろう。それは確実だ。しかし、やっぱり、鈴子さんは……!? 

自信を持ちきれずペンペン悶々とする阿照は、ふと、鈴子が帰ったドアを振り向いた。すると、そこに、プロマイド店を覗く人影を見た。しかも、その影は二つだ。それらは、明らかに鈴子でも客でもない。阿照は、全身の羽毛が逆立ち恐怖を覚えた。店には自分一人だ。このままだと襲われる……。しばし考えた阿照は、素知らぬふりで、ドアに背を向けながら豆絞りを被り心を落ち着かせた。そして、フリッパーにモアイジャンボ鉛筆と「胃弱マシーン・防犯ハンディタイプ~家庭用~」をそっと握った。全身の羽毛はまだ逆立ったままだ。

「僕は、冒険に出るし、鈴子さんとは両思いなんだ! 怖いものなんてないっ!」

クチバシの中で、小さいが強い声を出し、気合いを入れた。そして、不意に振り向くと、店のドアを勢いよく開けた。

「誰だーー! このヤローっっっ!」

ドアの外、そこにいたのは……。

(つづく)


浅羽容子作「白黒スイマーズ」最終章 いついつまでもペンペンと(3)、いかがでしたでしょうか?

今回はペンギン世界にビッグニュース! マリンさんボブ尾さんそれにクラゲくんもおめでとうございます。一方、お腹の羽毛がハゲるほど腹撫でしまくって冒険の旅を決意した阿照さん。鈴子さんは怒らせちゃうし怪しい人に監視されてるし、大丈夫?
それだけじゃありません。混卵タイ陸って……何者? このところ登場するマシーンズが素敵すぎましたが、整列マシーンがまた……といろいろ気になって仕方ない次回はなんと涙の最終回。ペンギン世界よ永遠に。お見逃しなくペン!

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