
潮時 第十三話
大日向峰歩 作・小説『潮時』第十三話:『クプナの舞い』その2。良子のモヤモヤの正体は、日本各地のフラダンス教室で少なからず生じているであろう、あの問題でした。自分の欲を押し通すために、誰かに我慢を強いなければならない。民主主義では当たり前の〝最大多数の最大幸福〟は本当に人を幸せにするのでしょうか。
毛と山と鉄を愛するサイコロジストが、漏れ出た内言、綴ります
大日向峰歩 作・小説『潮時』第十三話:『クプナの舞い』その2。良子のモヤモヤの正体は、日本各地のフラダンス教室で少なからず生じているであろう、あの問題でした。自分の欲を押し通すために、誰かに我慢を強いなければならない。民主主義では当たり前の〝最大多数の最大幸福〟は本当に人を幸せにするのでしょうか。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第十二話:『クプナの舞い』その1。古希を過ぎた良子は、ある出来事のせいでモヤモヤしている。そのモヤモヤが、思わぬ悲劇を良子にもたらす。怒りにも似たそのモヤモヤは何故生じたのか。三つめの〝潮時〟の始まりです。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第19回。手紡ぎという、とある趣味の沼の解説から始まり、人が青春を永遠にしようとする心を、発達心理学の「自我(アイデンティティ)理論」の中に読み取ります。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第十一話:『もうちょっとだけ』その3。限界の際を極めるとは、さながら崖の上に立ち、眼下に広がる景色を見つめること。そこで少女が手にするものは、引くタイミングなのかもしれません。二つ目の〝潮時〟『もうちょっとだけ』のラストです。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第十話:『もうちょっとだけ』その2。思春期の少女にとって、親でも先生でもない〝大人〟は時に憧れに、時にブレイクスルーをもたらす異邦人になるものです。その大人の思わぬ解決策とは?やめられない止まらないかっぱえびせんはやめられるのでしょうか。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第九話:『もうちょっとだけ』その1。ある少女の目下の悩みは「もうちょっとだけ」と思う気持ちを止められないこと。やめられない止まらない心理は、大人の暮らしの中にも溢れているけれど、少女のそれは、どのようなものなのでしょうか。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第18回。「人が山に登るのは、そこに山があるからだ」という、あまりにも有名なこの一文について、社会心理学における帰属理論の中の『共変モデル』から考えてみます。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第八話:『招かざる客』その8。さおりの元に訪れた予期せぬ招かざる客は、さおりにその潮時を伝える使者だったのかもしれません。さおりと松浦は〝穂高の朝日〟を見ることができたのでしょうか。一つ目の〝潮時〟『招かざる客』のラストです。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第七話:『招かざる客』その7。生き物は、環境に適応するために自分を変えていく。でも相手を変えることはできない。ままならないことは得てして予想もしないところから来るものです。更年期の不調からロングトレイルを避けてきたさおりがそれを引き受けたのもまた、そうなのかもしれません。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第六話:『招かざる客』その6。変化は突然やって来る。流れに身を委ねて漂えば、求めた暮らしに辿り着くかもしれないし、そうじゃないかもしれない。地域おこし協力隊の仕事の光と闇。田舎への移住は一筋縄ではいかないようです。