別訳【夢中問答集】第三十問 そうやってあれこれ言うのが妄想!

足利直義:いやいや、先ほどまで和尚が「妄想」と呼んでいたのは「テキスト」とか「先師の言行」とかの話だったではないですか。

それを「要するに、あれもこれも全部妄想!」とか言われてしまうと、もうなんだか訳がわからないのですが・・・

夢窓国師:ワシが言いたいのはそういうことではない。

要するにだな、本当の智慧が駆使できるようになった人であれば、何をどのように言ったりやったりしたところで、それらは全て「方便」であるのでOKなのじゃ。

「口から火を吹くことができるものは、決して自分の口を焼いたりしない」というヤツじゃな。

逆に、そうではない連中が言葉尻だけをとらえて、あれこれとつまらん論議を繰り広げたりするのは「全部妄想」だということじゃ。

今どき、物知り顔でペラペラと教義解釈を垂れているようなヤツらが、何故、かつての師匠たちの足元にも及ばない感じなのかわかるか?

師匠たちが講義してくれた内容は、皆、師匠たちが本当に我らに伝えたかったこととは離れているのだということに気づかなければいかん!

天台大師は引退時に、「後のことは伝承者の南岳に聞け! ただ、それだけだ」と言ったそうな。

大日経の解説には、「自分の心を本当に知っているのは自分の心だけだ。自分の心に悟りを得させるのもまた、自分の心だけなのだ。それ以外は全て不要。それを知ることを『悟り』という」と書かれておる。

仏教の宗派を問わず、「経典解釈こそが仏教の本旨」などというヤツは誰もおらんじゃろう?

先師を批判し、学者の説にあれこれと上から目線でケチをつけるようなヤツらの死に様があまり良くないのは何故だと思う?

あれこれの学説やその解釈は、先師たちが本当に伝えたかったことではないのじゃ。

雲門大師も言っておるじゃろう?

「もし、仏教の真髄がテキスト上のことなのであれば、この国には昔から膨大なテキスト資料が既にあったのだ。達磨大師がやってきたからといって、何もすることはなかったのではないかな?」、と。


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