別訳【夢中問答集】第四十問 菩提心とはなにか? 1/2話

足利直義:なるほど、世間並みの富や名誉を追うことの虚しさについてはよくわかりました。

話は変わりますが、仏教、特に和尚の属する禅宗においては「菩提心を起こす」という言葉をよく耳にするのですが、これはいったいどういう意味なのでしょうか?

夢窓国師:「全ての人間が生まれつき『仏教の神髄』を持っている」とは言ったが、仏の教えを理解する能力(早さや程度)は人によってマチマチじゃ。

我らはそれを「上・中・下」の三つに分類しており、上の部類に属する人たちを菩薩と呼んでおる。サンスクリットの「ボダイサッタ(菩提薩埵)」の略語じゃな。

「ボダイ(菩提)」とは「悟り」「道」といった意味、「サッタ(薩埵)」は「生きとし生けるもの」という意味じゃ。

要するに、出家しているか否かに関わらず、「生きとし生けるもののために悟りの道を歩む」ものは誰でも菩薩なのじゃ。

オマエの質問にある「菩提心」については諸説あるというのが現状じゃが、ざっくりと「浅い道心」と「真実の道心」の二種に分類することができる。

「人は誰でも必ず死ぬ」「いかなる権力も財力も長くは続かない」ことをよく理解して、世間並みの富や名誉を追わないように気をつけるのが「浅い道心」なのじゃが、ナーガルジュナ(龍樹菩薩)は「ひとまずは、その程度のものであっても『菩提心』と呼ぼう」と言った。

ものごとは浅いところから入って深いところに至るのが定石なので、「浅い道心」すらも起こらないようではとても「真実の道心」など起こるハズがないからじゃな。

・・・うん、確かにワシは「本当に才能のある人は、細かい修行の段階を全て飛び越して、いきなり究極の智慧とは何であるかを知る。仏の智慧までひとっ飛びじゃ!」とは言ったが、あれはひとつの「モノの譬え」であって、時間が無限にあると思ってボサっとしている連中にハッパをかける意味で言ったまでじゃ。

というわけだから、「世間並みの富や名誉を追わないように気をつける」のはよいが、ただそれだけで終わってしまっては何にもならない。

今から四千年ぐらいの昔のこと、中国の皇帝であった堯(ぎょう)が人格者の誉れが高かった許由(きょゆう)に「皇帝の位を譲りたい」と言ったところ、許由は「汚らしい話を聞いてしまった!」とばかりに潁川(えいせん)という川に行って耳を洗ったそうじゃ。

その話を息子の許由から聞いた巣父(そうほ)は、連れて来ていた牛に川の水を飲ませずに引き返したとか。

古代中国の皇帝といえば相当な権力があったのじゃが、それであっても断ってしまう。そんな人たちが世間並みの利益など求めるハズがないよな。

で、これは実にイイ話ではあるが、彼らはいわゆる「賢人」の域を出てはいない。
つまり「真実の道心」を行くものとまでは言えないのじゃ。

今どきの世間の人々は世間並みの名利を捨てて山に籠り、滝や松風の音を聞いて心静かにしているのが「真実の道心」なのだと考えておるようじゃが、これも許由・巣父の同類じゃ。

無行経に「山や林に隠遁して『オレは清いが他のヤツらはみな汚い!』などと思っているようなヤツはとても天国にはいけない。まして成仏などできるわけがない」と書かれておるのは、つまりこのことじゃな。


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