馬大師の四句百非 2/5話 (出典:碧巌録第七十三則「馬大師四句百非」)

そういえば、先日この話を知り合いの坊さんにしたところ「なんだその話! 馬祖和尚の最初のセリフで既にオチがついてしまっているじゃないか・・・ 後の二人も言い方を変えただけで言っていることは同じだ!」と言われましたっけ。

さて、冒頭のエピソードの質問者の僧ですが、この人は答えを知った上で尋ねたのか、知らないから尋ねたのか、果たしてどちらだと思われますか?

実を言うと、彼の質問はなかなかどうして回答が難しいものです。

「四句」とはつまり「有・無・非有非無・非非有非非無」のことなのですが、ここに収まらない立言は基本的にはあり得ません。

さらに、仏教的な「真実」は固定された形態を持たないため言葉で言い表すことは本来不可能で、強いてやるならば、いわゆる「ないない尽くし」といわれる否定的な言辞の積み重ねをもってするしかないというのが我らの「お約束」だというのに、一切の見解を論理的かつ徹底的に打ち砕く手法である「百非」を使うなと言う。まさしく「どないせぇっちゅうねん!」というところです。

私? 私なら馬大師のセリフが終わるや否や座布団をパッと敷いて、その前に平伏し、和尚がどうするか様子を見ますな。w

まぁそんなことをしたら馬大師は間違いなく杖で背中をぶん殴って「出て行け!!」と一喝することと思いますが、それで気づくことができないのであれば、そこまでのヤツということになるわけで。

だというのに、この時の馬大師はワザワザ丁寧に「智藏和尚に聞け」などとおっしゃった

もしこの質問をした僧がキレ者であれば、ここでハッと気づくべきところなのに、なんと本当に言われた通りにノコノコと智藏和尚のところまで聞きに行ってしまうとは・・・(苦笑)

―――――つづく

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