国王からあてがわれたアリエスの寺院には、参拝に訪れる羊はあまり居ませんーー羊村と同じで、メリナ王国でも羊達の信心が低下していますし、時折やってくる羊といえば、聖堂の小部屋に祀られたオオカミの剥製を見物にくる酔狂な羊だけです。
そういう訳で、羊村からやってきたソールを見ても怪しむ羊はいませんでした。
たとえ誰かに何かを聞かれたとしても「この子は私の姪よ」とアリエスが言えば、誰もそれ以上は追求はしませんーーメリナ王国は移民羊がとても多い国なので、他所からやってきた羊をさほど不審には思わないのです。
しかしそうは言っても、オオカミのアセナが日中、外に出る訳にはいかないので、アセナは地下室の中でアリエスから聞いた神話や伝説を鹿皮に書いて日々を過ごしていました。
ーーそれらの言い伝えを書き記しながら、アセナはあと一歩の所でオオカミ族の起源が分かるような気がしていました。
地下室に灯るロウソクを見つめながら、アセナは考えます____
『ーーこのロウソクは海で採れるマッコウクジラの油から作られている。……しかし羊は本来は漁や狩りをしない種族だ。アリエスの話では、これらの油は敵対しているジャッカル共和国から輸入をしている、という。という事は、敵対しているとは言っても、羊にとっては肉食種族の存在は必要な筈なんだ、いくら相手を差別していたとしても……』
殆ど地下室からアセナは出れないので、このような事ばかりを考えて過ごしていました。
そのせいなのか、少しアセナはやつれているようにも見えます。
やつれたアセナを見てソールは心配になりましたーーこんな生活がずっと続くので、私が嫌いになったのでは?ーーとソールは思い始めます。
一度心配になり始めると、やはり私が羊だから?という考えが頭を占めていき、居ても立っても居られなくなりました。
ある夜、アセナが何かブツブツと呟きながら書き物をしている中、ソールはそっと地下室から抜け出し、聖堂の小部屋へと向かいました。
小部屋に入るとソールは、そこに飾られているオオカミの剥製に近づき、その毛皮を触ってみましたーーどうやら剥製の中は詰め物が何もなく、空洞になっているようです。
しばらくして、ソールは意を決して毛皮を掴み、それを頭から被りました。
オオカミの毛皮を被ったソールは、アセナが居る地下室へと戻ります。
……書き物をしていたアセナは気配に気付き振り向くと、そこにオオカミが立っていたので、ギョッとしますが、よく見ればそれはオオカミの毛皮を纏ったソールでした。
最初、ソールはふざけているのかと思いましたが、毛皮の下に見えるソールの目つきを見て、直ぐにその意図を理解します。
アセナは手にしていた羽根ペンを下にすると、ソールに言いました。
「ソール、そんな格好をしなくてもいいんだよ。僕は羊のままの君が好きなんだから」
ソールはアセナがそのように言うのを聞き、嬉しくなり、とうとう泣き始めてしまいました。
一方アセナの方はというと『これはもしや、オオカミ族の謎が解けたみたいだぞ……』と心の中でそのような確信を抱いていました。
『聖外皮伝説とはこういう意味だったのか ! 』
ーー翌朝、深い眠りにつくアセナを横目にしながら、ソールは聖堂まで行き、そして晴れやかな気持ちで太陽神に向かって祈りを捧げました。
朝日が差し込む窓の外を見ると、アリエスが庭の植物に水をやる姿が見えましたーーその姿はもはや大巫女というよりは、隠居をした老羊にしか見えません。
ソールが外に出ると、アリエスもソールに気付き、わが娘を見るような目つきでソールを見ました。
庭には、ジャスミンやその他様々な花、果実を実らせている木々などが、所狭しと大事に育てられていました。
アリエスはブリキで出来た粗末なジョウロで水をまきながら、言いました。
「ーー私はね、もうそれほど信仰には関心はないのさ。太陽の恵みは、それは実にありがたいーーしかしね、神に祈ろうと祈るまいと、所詮羊は何があろうと羊。勿論オオカミも、そうさね。羊もオオカミもいつかは年を取り死んでゆく。私も、そう長くは生きないだろうしね。
死は誰にも平等に訪れるのさーー何を信じていようと、信じていまいと。今の私は、こうして花などを育てるのが、生き甲斐なのさ。何故なのか分かるかい ? ……これらの植物は太陽の恵みを受け、種子を宿し次の世代へと確実に受け継がれていくーー私はそれらを育てる事によって、永遠の命と繋がれる。今の私はね、とても満ち足りているのよ。自分自身の役目が分かっているからね」
そう言いながらアリエスは、ジョウロをソールに手渡しますーー
「……ソール、そのリンゴの木にも水をあげてくれるかい ? 私は朝食を作りに行くから」
アリエスは寺院の中にある厨房へと、ゆったりとした足取りで入っていきました。
ここには羊村のように肉はありませんが、幸いな事にオオカミのアセナは穀物や野菜が好物です。
さて二匹の為に何を作ろうか ? と考えながら、釜戸の火を起こそうとしていると、庭の方からソールの叫び声が聞こえたような気がしたので、そちらを見るとーーソールの姿が見えません。
アリエスは庭に出て四方を見渡しましたが、どこにもソールは居ませんでした。
ーー庭に通ずる裏口の軒先を見ると、地面の上に何か白い塊が落ちています……アリエスが恐る恐ると目を近づけて見ると、それは羊の毛でした。
そのすぐ側には、オオカミらしき毛も転がっています。
動揺するアリエスの気配を感じ取ったのでしょう、すぐにアセナが地下室から飛んでやってきて、アリエスの視線の先に横たわる毛の塊を見て、ウーー、と唸り声をあげます。
「その白い毛はソール、そしてオオカミの毛はオオカミ軍司令官フェンリルの毛だ。匂いで分かる」
アセナがそのように言うのを聞きアリエスは青ざめます。
「……ソールは拐われてしまったのかい ? 」
「軒先に自分の毛を置くのは、オオカミ族にとって『決闘』の印なんだ。オオカミは字が書けないので、毛の並べ方でメッセージを伝える。ーーフェンリルは僕に、ソールを捉えたからオレと勝負をしろ、と伝えている。毛の並べ方で、場所と時刻も記してある……」
メリナ王国へとやってきてからは、平穏な日々が続いていたので、もしやこのまま僕も羊になってしまうかも、とアセナは思っていたのですがーーフェンリルの果たし状を目にした途端、アセナの内部から、獰猛な戦闘本能が湧き上がってきました。
空に向かって雄叫びをあげたくなる衝動を抑えながら、アセナはどのようにフェンリルと戦うか策を巡らせ始めます。
なにせ相手は、オオカミ族の中でも最強の戦士と言われるフェンリルなのですから____
――――つづく
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