オオカミになった羊(後編57)by クレーン謙

オオカミ族は戦の負けを認め、森へと帰って行きました。
決闘で命を落としたミハリの後を継いだマーナガルムは、困難を伴う戦後処理を開始します。
戦争が終わったとはいえ、依然として羊族を憎むオオカミが多くいたので、それらの勢力を抑えなければならないのです。さもなくば、羊族との真の和平は成し遂げられないでしょう。

ミハリの息子アセナは、マーナガルムから恩赦を出されたので、ようやく群れの中へと戻る事ができました。
その傍らには羊のソールと、子羊のアンジェリアの姿があります。
群れのオオカミ達は、アセナの隣に立つ羊のソールに不審そうな顔を向けます。中には露骨に憎々しげな唸り声をあげるオオカミもいました。
アセナはソールとアンジェリアを守るようにして側に寄せながら、マーナガルムにゆっくりと首を垂れます。

「我らが新しき指導者マーナガルム、この度は私めとソールに恩赦を頂き、誠にありがとうございます。このご恩は、決して忘れません」

「ぼっちゃん、いやアセナ殿、恩赦を出したのは、そなたの父ミハリだ。そなたの父は実に立派なオオカミだった。その勇気と決断力は、オオカミの中のオオカミと言えよう。よいか、ミハリは自らを犠牲にして、我らを守ったのだ。それを忘れてはならぬ。勿論、私も生涯忘れはせぬ。そなた方二匹は、なんとしてでも私が守るが、しかし前途は多難であるのを覚悟せよ」

オオカミは泣くものではない、と父からも師匠のフェンリルからも教わっていたので、アセナは涙を流すまい、とずっとこらえ続けました。
翌夜、ヴィーグリーズの谷で、指導者であったミハリを弔う為、盛大な儀式が執り行われました。
アセナは喪に服する為、ソールと共に自分のゲルに篭り、父の表情やその時に語った言葉をずっと思い出し過ごしました。
ミハリの元で、マーナガルムは他部族との折衝を任されていたので、その持ち前の手腕で羊村とメリナ王国との交渉を開始します。オオカミ族が暮らせる領土をなんとしてでも、確保しなければならないからです。
羊村村長ショーンとの長い話し合いの末、羊村通商大臣ヘルメスは戦犯として正式にオオカミ族に引き渡されました。ヘルメスの事を、戦争を仕掛けた当事羊である、とショーンも認めた為です。
軍事法廷が始まり、やがて多数決でヘルメスの処刑決定が可決しました──唯一、アセナだけは反対票を出したのですが……。

処刑日、当日。暖かい日差しが降り注ぐヴィーグリーズの谷の中。
投獄されていたゲルから出されたヘルメスは、森の中に立つ桑の木に縄でくくられました──ヘルメス最後の願いが聞き届けられ、処刑は太陽が照る日中に行われる事となったのです。
ヘルメスは僅かな望みを、いつか現れた『天使』に託していました。
あれから結局、『天使』はヘルメスの元に姿を現しません。
もしあの天使が太陽神の化身ならば、日中太陽が出ている頃に現れるかもしれない、と淡い期待を抱いたヘルメスは太陽を仰ぎ見ながら、心の中で呟きます。

「ああ、『天使』よ、あなたは私を『楽園』へと導いてくれる、と約束をしたではないですか? 私はあなたの計画の為、身を投げ出したのですよ。そんな私を、何故あなたは見捨てるのですか?」

しかし、誰もヘルメスの心の呟きには答えませんでした。
きっと太陽神に最後の祈りをしているのだろう。そう思った処刑執行隊の隊長は、ヘルメスが太陽から目をそらすのを見届けると、部下達に矢をつがえるよう命を出します。
隊長が号令をかけると、部下達はつがえた矢を、ヘルメスに向かって次に次にと放ちます。
矢が一本、また一本、とヘルメスの胴体や頭を貫いていきます。
──そうか、きっとあの『天使』はきっともうこの世にいないのだな、と不意に悟ったヘルメスは薄れゆく意識の中、最後に娘のアンジェリアの無事を神に祈り、そして息絶えました。

その夜、ヘルメス処刑の一報を聞いたアセナは、アンジェリアに合わせる顔がありませんでした。
アンジェリアの方も、気配を察知して、何もアセナに聞きませんでしたが、何が起こったかは理解しているようでした。
満月が真上に差し掛かる頃、マーナガルムがアセナ達が居るゲルに現れ、声を落としながら告げました。

「ぼっちゃん、ソールを連れて、直ぐにここを逃げてください! ヘルメスが処刑される前に、尋問でソールの事を喋ってしまいました。ソールがヘルメスの部下であったのが、オオカミ達に知れ渡ったのです。何匹かの武闘派のオオカミが、武器を手にこちらへ向かっています! 彼らは特に羊を憎んでいる一派で、説得には応じません。羊を見れば、間違いなく斬るでしょう」

それを聞き、ソールは手にしていたコップを下へ落とし、青ざめながら立ち上がります。
アンジェリアは、ソールにしがみ付き泣き叫びます。

「あたしも、ソールとアセナと一緒に逃げる! 」

「アンジェリア、僕はお前のお父さんを捕まえたオオカミなんだよ。そんな僕らと一緒に行くのかい? 」
とアセナはアンジェリアに優しく語りかけます。

「あたしには分かっているわ。お父さんは、あたしにはいつも優しかったけど、何か悪い事をしたんでしょう? だから、アセナが捕まえたんでしょう? あたしは、ソールとアセナと一緒じゃなきゃ、嫌! どこまでも一緒に行くわ! 」

ゲルを出たアセナとソールとアンジェリアは、殆ど何も持たず、周囲に誰も居ないのを確かめ、山の中へと入って行きました。
暗い獣道を掻き分け、殆ど夜目が利かないソールとアンジェリアを気遣いながら進んでいたアセナは、行く手に何匹かのオオカミの匂いを嗅ぎ取ります。
どうやら、完全に包囲されたようだと、アセナは気づき、立ち止まります。
同族とは決して剣を交えたくはなかったのですが、アセナは腰から剣を引き抜きました。
それを見ていた、ソールはアセナの手を止め、言いました。

「待って。『天使』が私に言っていたわ。本当に困った時に、あの歌を歌いなさいって。ただし、あの歌は誰か大切な人を守る時にしか役に立たない、って言っていたわ。でも、今はあなたとアンジェリアを守らないといけないの。私のせいで、あなたとアンジェリアが殺されるなんて、私には耐えられないわ」

恐怖で声が震えていましたが、ソールはあの歌を歌い始めました。
『いにしえの子守唄』を。
満月が輝く中、森の中を静かに『いにしえの子守唄』が響き渡りました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「……本当に羊が、こちらに向かっているのか?」

「ああ、隊長がそのように言っていた。ヘルメスの手下だった羊と、ヘルメスの娘の子羊が逃げ出し、森に入ったらしい。見つけ次第、問答無用で斬れ、とのお達しだ。なにせ、ヘルメスの元手下とその娘だ。斬ったところで、何も問題はなかろう」

「フン、問題ないね。一体、何匹の仲間がヘルメスの策略で命を落とした事か! 大体、なぜ我ら誉れ高きオオカミ族が羊と和解せねばならないのか? 俺は今直ぐにでも、再びメリナ王国軍と一戦を交えたいのだがね! 指導者ミハリ様が決闘に挑んだので、戦での決着がつけられなかったからな」

隊長に命ぜられ、森の中を見張っていた二匹のオオカミ兵が、そのような話を交わしていると、前方から不意に何かの気配がしたので、二匹は剣を引き抜き身構えました。
すると、森の中から三匹のオオカミが出てきました。その内の一匹は、二匹の兵士もよく知ったオオカミです。ミハリの息子、アセナでした。
あとの二匹は、一匹は若い雌オオカミ、もう一匹はまだ小さい子オオカミです。
オオカミ兵二匹はアセナを見ると敬礼をして、言いました。

「これはこれは、アセナ様! 如何なさりましたかな?このような森の奥まで? 」

アセナは威厳を保ちながら、二匹のオオカミ兵を交互に見ました。

「僕も逃げた羊を追ってきたのさ。この手でその羊を仕留めたくてね。僕の父は羊に殺されてしまったからね。やはり、羊を許しておけないのさ。僕について来たこの二匹も、家族を羊に殺されていてね。羊に制裁を加えるのを見届けたい、と言うんだよ」

「そうでしたか──やはり、アセナ様も羊が憎かったのですね。一部の噂に寄れば、アセナ様は羊の味方をしている、とも聞きますが、それを聞いて私達は安心しましたよ。残念ながら、ここには羊の気配は致しません。私は、どのオオカミよりも、鼻が利くのですが、ここら一帯に羊の匂いは全くありません。きっともう、どこか遠くへと逃げたのでしょう……」

「そうか、ならば僕はそいつらを追う事にしよう。君たちは、念の為、引き続きここで見張っていてほしい。いいかい、猫一匹、いや羊一匹ここから出してはいけないよ」

そう言い残し、アセナはオオカミへと姿が変わったソールとアンジェリアを引き連れ、森の中へと入っていきました。
だいぶ歩いた所で、アセナは後ろを振り向き振り向き、オオカミ兵の気配がしなくなったのを見計らい、言いました。

「良かった。全く気づかれなかったよ……」

オオカミに姿が変わったソールは胸を撫で下ろし、同じく子オオカミへと姿が変わったアンジェリアを抱きしめました。

「歌いながら心の中で必死に祈ったのよ。『ほんのしばらくでもいいから、オオカミへと姿がかわりますように』って。まさか、本当にオオカミになるとは思ってもいなかったわ。でも、そうでもしなかったら私たちは殺されていたわね」

完全にオオカミの姿をしていたソールとアンジェリアでしたが、徐々に毛並みが羊へと戻ってきているようです。きっと、朝になる頃には再び羊の姿へと戻っているでしょう。

「……ああ、良かった。どうやら君の毛並みが羊に戻ってきてるみたいだ。僕は羊の姿のままの君が好きだからね」

「私もオオカミのままの、あなたが好き。私はこれからも、いつまでも羊だし、あなたは、いつまでもオオカミなのよ。それが、自然な姿よね。ねえ、これから先、羊族とオオカミ族は、本当に仲良く出来るのかしら? 」

「さあね。時間はかかるだろうね。でも、もうそんなの関係ないさ。僕らが住める国はどこにもないんだから、僕たちはこれから、自分達の国を作るんだ。羊もオオカミも仲良く暮らせる、そんな国をね」

朝が近づき、徐々に東の空がうっすらと明るくなってきて、空に瞬いていた星が一つ、また一つと姿を消していきました。アセナは完全に羊へと姿が戻ったアンジェリアを抱き上げ、羊に戻ったソールの手を握り太陽が昇り始めた方角に向かって歩き始めます。
ソールは白い毛並みを風になびかせながら、アセナに言いました。

「ねえ、ひとつお願いがあるの。オオカミは夜行性なのは分かるけど、たまには昼間に起きていてほしいの。太陽の下の暮らしも悪くないわよ」

そしてソールはニコリと微笑み、前を向き歩みを続けます。
ソールとアセナは、アンジェリアを連れていつまでもいつまでも歩き続けました。
きっと二匹は、いい国が作れるでしょう──何故なら私が、ずっと二匹を見守っているからです。
私ですか?
私の名はエリ。そう、この世界の守護者です。
私の肉体はすでにこの世には無く、今の私は只のデータの集積体に過ぎません。
肉体だけではなく、私には心もなく、魂もなく、また寿命もありません。
この世界を見守り、そしてソールとアセナの運命を見届けるのが、亡き兄から引き継いだ私の使命なのです。
だから何があろうとも、私はこの世界を見守り続けます、それが兄との約束ですから。

この世界に来て頂ければ、私は何度でも何度でも、この世界の物語をお聞かせしましょう。
AI である私が、疲れるなんて事はないですから。
どこからお話ししましょうか?
……そうですね、最初からお話しましょうか。

山奥深くに、羊達が住む村がありました。
そこの村で羊達は平和に暮らしていたのですが、しかし毎年のように村はオオカミに襲われていました──

――――つづく

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