果たし合いの地より帰還したショーンは、右目を切られ血を流していて、手には敵の首を持っていました。
月明かりに照らされたショーンのその勇姿を見て、羊兵達はショーンにひれ伏しました──それまでは羊兵達は、ショーンをただの田舎羊だと思っていたのですが、敵の大将を打ち倒した『勇者』であると認めざるを得なかったのです。
ミハリとの壮絶な決闘に勝利したショーンは、メリナ王国軍を引き連れて王都バロメッツへと戻ってきました。決闘の誓いに従い、羊族は戦争の勝者となったのです。
ミハリの後を継ぎ、臨時の指導者となったマーナガルムは、オオカミ軍の剣を鞘に収めさせ、オオカミ兵達は一匹、また一匹と森の中へと戻って行きました。
パカッ、パカッ、パカッ、と蹄の音を響かせながら、馬に乗ったショーンが王都の門をくぐると、ワーッ、とメリナ王国臣民達の盛大な歓声が湧き上がります。
後ろに続いた羊兵達も手を振り、臣民の歓声に応えながら王都の中へと入って行きました。
馬から降り立ったショーンは、近衛兵に誘導され広場の中央演壇に立ちました。そして、集まってきた羊達を見回します。羊達は静まり返り、決闘で片目を無くしたショーンを見つめました。
友の首を手荒く扱うのは心が痛んだのですが、戦いに勝利した勇敢な勝者に見えるように、ショーンは高々とミハリの首を掲げました。
ミハリの首を見た羊達は、いっそう大きな歓声を上げ、王都中が戦の勝利で沸き立ちます。
全ては、羊とオオカミ族との和平のため。亡き友に報いる為に、ショーンは勇者を演じる事にしたのです。
演壇の側にいた老羊は涙を流しながら、膝をつき言いました。
「おお、そなたは真の羊の勇者じゃ。よくぞ悪魔の化身である、オオカミの首領を倒した!ワシは今まで生きてきて、こんな素晴らしき瞬間に立ち会えたのを誇りに思う。もう、ワシは思い残すことはない」
ショーンは堂々と見えるよう心を配り、ニコリと微笑み、その老羊に向かって頷きを返しました。
戦争が終わったとはいえ、これからの道のりが険しいのはショーンにはよく分かっていました。
互いに殺しあった種族が、そう易々と和平が構築できる筈もないのです。
もしかしたら、本当の融和が築けるのに何十年も掛かるかもしれません。
バロメッツ城の正門が開き、ファウヌス三世が部下を引き連れ、ショーンの元へと向かいます。
いつもは神経質で不機嫌そうな顔をしたファウヌス三世ですが、その日は誰も拝んだ事がないような満面の笑みを浮かべていました。
その傍らにいつも居たはずの腹心、アルゴー大公の姿がありませんが、ファウヌス三世はそんな事は全く気に留めていないようです。部下なんて、いくらでも取っ替えられるからでしょう。
ファウヌス三世は、満面の笑みを浮かべながら、ショーンの手を握ります。
「ショーン殿、よくぞ敵の首を取った! お主であらば、必ず成し遂げると思っておったぞ。低俗で、文字の読み書きすら出来ぬ野蛮なオオカミ族の首領であったが、こやつは我等を悩ます存在だったのだ。見よ、如何にも獰猛で無慈悲なこのミハリのこの惨めな顔を。見せしめとして、こやつの首を広場に晒すとしよう。左様、我等羊がこんな下等な生き物に負ける筈もないのだ。そちは、今日は誉れ高き歴史を築いたのじゃ。理性も文明も知性も持ち合わせておらぬ、この見るも見苦しいオオカミ族が、我らへ干渉をするなど笑止千万。今日は歴史に残る素晴らしき日じゃ! 」
ショーンは腰に差した剣を引き抜き、ファウヌス三世を切り倒したい衝動を必死で抑えながら、ニッコリと微笑みファウヌス三世の手を握り返します。
「陛下、わざわざお出迎え頂き、その上、有難きお言葉を賜り、光栄に思います。誠に今日は、誉れある日であります。陛下、ご進言ですが、ミハリの首を広場に晒すとあらば、オオカミ族の怒りを買ってしまう故に、ここはミハリをオオカミ族の伝統にならい鳥葬にするのが良いかと。さすれば、この後、オオカミ族を抑え込みやすいでしょう。もう我等は武力を用いずともオオカミ族を飼い慣らす事が出来ます。私めは、これよりメリナ王国軍の権限を陛下にお返しし、オオカミ族を飼い慣らすべく羊村に帰還し、早速その手筈をお整え致しましょう」
ファウヌス三世は一瞬怪訝な顔をしますが、直ぐに満面の笑顔を取り戻しショーンに告げます。
「そちは、実に無欲な羊だな。そなたには、このままメリナ王国軍を指揮してほしかったのだが──羊村にいる時よりも良い暮らしが出来るぞ。まあ、よい。ここはそなたの進言通りにしよう。気が変わったらいつでもメリナ王国に戻るといい。そなたは、もうこの国ではすっかりと有名羊だからな」
そう言い残すと、ファウヌス三世は後ろへ振り向き、部下達とバロメッツ城へと向かいました。
広場に集まった羊達は交互に「ファウヌス三世、万歳!」「勇者ショーン、万歳!」と掛け声をあげています。
城に入ったファウヌス三世は、すぐにショーンの事なんか忘れてしまいました。
これから盛大な戦勝祝賀会が開かれます。そこで語る、歴史に残る名演説の内容をファウヌス三世は考えていたからです。そう、ファウヌス三世は、オオカミ族に打ち勝った羊王として歴史に名を残すのですから。
広場の演壇に残されたショーンは、羊達の喝采を浴びながら戦後処理の事を考えていました。
娘のソールに恩赦を出したとしても、現状では羊達の理解を得るには時間がかかるでしょう。
ソールは昨日まで敵だったオオカミと結ばれようとしており、それはどう考えても二匹にとって困難な道のりとなるのは分かりきっていました。
羊村通商大臣ヘルメスの行く末をオオカミ族の手に委ねるのは、やむ得ない決断でした。
恐らくはヘルメスは戦犯として処刑されますが、それは今後の和平実現に向けて避けて通れない事だ、とショーンは考えています。
課題は山積みでした。
オオカミ族に寝返ったキメラ族とも和平交渉せねばならず、同時にオオカミ族を敵視する勢力をも抑え込まなければいけないのです。
考えれば考えるほど、ショーンはもう全てを投げ出し、何処かへと逃亡したくなってきました。
降臨した聖人を仰ぐかのように、広場の羊達はショーンに歓声を浴びせ続けますが、当のショーンの心は虚ろでした。
ショーンは群衆に手を振りながら、子供の頃、ミハリとウサギ狩りをしていた時を思い出していました──本来、羊は狩りなんかしないのですが。
ミハリは、オオカミですから、すぐにウサギを捕まえられます。でも、ショーンはなかなかウサギが捕まえられません。
狩りがうまく行かず、一匹で落ち込んでいると、ミハリがやって来て狩ったウサギをショーンに黙って手渡します。いつだって、ミハリは戦利品をショーンに何も語らず譲っていたのを、ショーンは思い出しました。
演壇に立ちながら、そのようなミハリの行為が、実はオオカミにとって最大の友情の証だったのにショーンは気づきます。そう──戦利品を相手に譲るのがオオカミにとって、友情の印だったのです。
ショーンは演壇の上でしばらく、凍りついたように動きを止めました。
ようやく、ミハリが何故あえて自分の首をショーンに切らせたのか、ショーンはこの時になり理解したのです。
ミハリはもうこの世にいませんが、ショーンはミハリと一緒に演壇に立ちながら勝利を共に祝福しているような気がしてきました。
空虚な気持ちから我へと返ったショーンは、群衆に向かい笑顔で手を振り、ゆっくりと演壇を降ります。
そして、ミハリとの約束を果たすべく羊村へ向かう為、広場に繋がれている馬の元へと向かいました。
時は羊歴1621年、第三の月。この月、長かった羊族とオオカミ族との戦は終結を迎えました。
まだ地表に雪は残っていましたが、春の気配が感じられる、そのような日でした。
――――つづく
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