オオカミになった羊(後編27)by クレーン謙

──どうやら私は、しばらくうたた寝をしていたようだ。
ドアがノックされたのに気づき、私は座っていた椅子から身を起こし、ドアの向こう側に声をかけた。

「どうぞ、お入りください」

寝ている間、きっと例の夢を見ていたのだろう。私は襟をただし、ネクタイを締めなおした。
ドアが開き、依頼主の一人であるヤマガタ博士が、ハッとする程美しい女性と共に、部屋の中へと入ってきた。
私のハッキング能力は密かに知れ渡っていたので、ここ《コモリ・サイバー探偵事務所》には実に様々な依頼者が訪れる。
今やってきたヤマガタ博士は、科学者で、すでに老人と言ってもいいが、現役で今でも第一線で活躍している高名な科学者だ。
ヤマガタ博士は私が女を見ているのに気づき、ニヤリと笑い言った。

「ああ、心配為さるな。これはワシの《天使》だよ」

《天使》と紹介された美しい女は、私に向かって笑みを浮かべ頭を下げた。
しかし《天使》というからには、女は人間ではなくアンドロイドなのだろう──ようするにAIだ。
いくら精巧に人間に似せ作られていて、笑顔が魅力的でも、心は無い。
私は助手としてアンドロイドを買う金は無いが、高名な学者であれば優秀なアンドロイドはきっと必要なのだろう。なにせアンドロイドは膨大な量のデータを記録しておけるし、計算力も人間であれば百年かかるような計算を、ものの数秒で出来る。
博士は、中古の端末が置かれた机の前の椅子に腰掛けながら切り出した。

「メールでもやり取りは出来るのだが、しかし傍受される恐れがあるのでね。……それで何か分かったのかね ? 」

私は端末を起動させなながら、返事をする。

「ええ、少しね……しかし、分かりませんな。いったい誰があなたの研究の妨害をしているというのです ? あなたは人類を救おうとしているんでしょう ? 」

しばし沈黙した博士は立ち上がり、窓辺まで歩いて窓の外を見た。
窓の外には、はるか上空までそびえ立つ高層ビル群が見え、その間を縫うようにドローン型の乗用車がいくつも舞っていた。
勿論、ドローン型乗用車にもAIが搭載されていて、乗っている人はただ行き先を告げるだけでよい。

「──我ら人類は、今世紀の初めに世界を覆ったパンデミックをも克服し、生き延び、更に科学を発展させた。そして新たな時代の幕が開けたかのように思われた。しかし、どうした訳かそれから人口が急激に減少し始めた──そう、子供が生まれなくなったのだ。原因は全く分からぬ。しかも、人間だけが、そうなっている。他の動物は無事に子孫を残せている。我ら科学者にさえ、その理由が分からないのだ。そして、人類の出生率は年々低下し続けている。……このままでは、間違いなくいずれ人類は地球上から居なくなる、そんな遠くない内にね」

私は座っている回転椅子をクルリと回し、ヤマガタ博士の方に向け、一緒に外の景色を見た。

「本当に、このところ町で見かける子供が減ってきましたね。高齢者の割合が年々、増えています。……今や、ここ日本だけではなく世界中がそうなってますからね。そして博士、あなたは、この現状を打破する為の研究をされている。いったい誰が、あなたの研究を邪魔するというのでしょう ? 誰もが人類の再生を待ち望んでいるというのに」

「そう、その調査を、あなたの腕を見込んでお願いしたのだよ、コモリさん。もしかすれば政府の中にも妨害者が居るかもしれないからな。現に、誰かがワシのコンピューターに侵入しようとした痕跡があった──この《天使》がその痕跡に気づいたのだ」

そう言って、ヤマガタ博士はアンドロイドの方を見た。
人間そっくりのアンドロイドは、ニッコリと笑みを返した。
博士はチラリと腕時計を見て、更に続けた。

「その侵入者は、ワシの研究データを消すつもりだったのだ。そこで、ワシはデータを全て抜き出し、《天使》の中へと移し替えた。──従って、研究内容は全て、この《天使》が把握しておる。ワシはすぐに、学会に出て研究経過の発表をせねばならないのだ。申し訳ないが《天使》をここに置いていくので、何か聞きたい事があれば、彼女に聞くとよい。よい成果を期待しているよ。よいかね、ここでの事は決して他言せぬよう……」

そう言うと、ヤマガタ博士はガチャリとドアを開け出ていった。
部屋の中には、静かに佇むアンドロイドが残されていた。
しばらくして、私は咳払いをしてアンドロイドに声をかけた。

「……君の事をなんと呼べばいいのかな ? 《天使》とは呼びにくいからね。何か人間の名前はついていないのかね ? 」

実に魅力的な笑顔を浮かべながら、アンドロイドは私を見た。とてもアンドロイドには見えない。

「ありますわ。エリという人間の名前もありますから、エリと呼んでくださってもいいですわ」

私は端末のモニターを覗き見ながら、アンドロイドに言った。
「エリか。随分と前時代的な名前だね。よかろう、それではエリ、守秘義務を守ると約束するので、差し支えない範囲で答えてほしい。少し調べてみたのだが、確かに博士のコンピューターに誰か侵入した跡が残っていた。しかしあまりに巧妙に侵入しているので、その相手は特定できなかったのだよ──博士の研究には何か名称はあるのかね ?」

「はい、あります。人類を再生させるこの研究には《ドリー計画》という名称がついています」

「《ドリー計画》?ドリーとはどういう意味なのかな ?」

私を安心させる為なのか、エリは博士が座っていた椅子に腰掛けた。アンドロイドが疲れる筈はないからだ。そして、正確に私に情報を伝えるように返事した。

「──約百年程前に、世界で初めてクローン技術を動物に応用するのに成功しました。1996年7月、クローンの羊を作るのに人類は成功したのです。その羊はドリーと名付けられました。博士の計画名は、そこから取ったのです」

――――つづく

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