オオカミになった羊(後編9)by クレーン謙

「ほほう、そうかね……。アリエスはメアリ王国に亡命したのだね……」
とヘルメスは、ソールの報告にさほどの関心を示さずに返事をします。
メリナ王国から輸入した嗅ぎタバコを鼻に近づけ、一息吸い込み、そして壁に飾られた代々村長の肖像画をヘルメスは眺めます。ーーきっと、次のはかりごとに思いを巡らせているのでしょう。

ヘルメスは以前の村長を手玉に取り、羊村である程度の権力を掌握していたのですが、現在の村長ショーンは一筋縄ではいかない相手でした。
ーーというのは、羊は周りの顔色を伺いながら物事を決めるという習性があり、意思決定力が弱い傾向があるのですが、しかし他の羊とはショーンは違っています。
草食動物は元来平和主義だからなのか、判断が遅く、そこにヘルメスが付け入るスキがあったのです。しかし、ショーンの研ぎ澄まされた嗅覚と判断力は肉食動物のようでした。
そう、ショーンはまるで……
「……ショーンはまるで、オオカミのようだな」

とヘルメスが呟くと、ソールは育ちの良さそうな顔をヘルメスの方へ向け、言いました。

「そうなの、パパは、あの野蛮なオオカミに性格がそっくりなのよ ! パパが怒った時には、獰猛なオオカミのような顔になって、それが小さい頃から私は、イヤだった。……オオカミは邪教を信仰しているし、字も読めないし、獲物を狩るしか生きがいの無い野蛮な種族なのよ ! パパはそんな野蛮な種族と仲良くしようとしている。断じて許される事ではないわ ! 」

ヘルメスはそれを聞き、薄ら笑いを浮かべます。

「そうだ。断じて許されぬ事だ。我々はオオカミ族を滅ぼし、そして羊族としての誇りを取り戻さねばならない。ーーおまえの父は、オオカミ族の指導者と会う心積もりのようだ。もしショーンがオオカミ族との会合を開くのであれば、おまえもそこに出席をしてほしい。オオカミ族と和平を結ぶのを阻止せねばならぬ。我々、反対勢力はすでに大量の兵器をメリナ王国より譲り受けている。オオカミ族がジャッカル共和国と軍事協定を結ぶ前に、ヤツらを刺激して、先制攻撃をするよう仕向けるのだ……。剣や弓矢しか持たぬオオカミ族は、我らが保有する武器の前ではひとたまりもないであろう」

* * * * *

アセナは集落の外れに住む、年老いたオオカミのゲルを訪ねていました。
ーー夜空には、あと五日も待てば満月になる大きな月が輝いています。
老オオカミは盲目なのですが、神話や昔話を誰よりも知っており、アセナはその話を聞くために訪ねてきたのです。
アセナはジャッカルから教わった文字を使って、オオカミの歴史や神話を書き記していました。

オオカミ族は独自の文字を持っておらず、大切な教えや英雄伝は全て代々口頭で伝えられているのです。
アセナは文字を書き記している鹿皮を手にしながら、老オオカミに尋ねます。

「……オオカミが羊だったという伝説は本当なのですか? そして、何故オオカミは羊村を聖地だと信じているのでしょう ? 」

老オオカミは、口に咥えたパイプから煙を燻らせながら、若きオオカミの質問に耳を傾けました。
パイプには、オオカミの好物である乾燥イヌハッカが詰められています。

「ーーはるか昔に途絶えてしまった言い伝えに、羊がオオカミになるという物語があったのじゃ。その内容までは残念ながらワシも知らぬ。その中には『聖骸皮伝説』という言い伝えも含まれておったそうな……」

「聖骸皮?なんですか、それは ? 」

老オオカミは、相手の気配を逃さぬよう大きな耳を忙しく動かしました。老オオカミは目こそ見えないのですが、相手の心を声の調子だけで見通せるのです。

「聖骸皮伝説とは、いったい誰の伝説なのか分からぬが、殉教と自己犠牲の物語だったようじゃ。その聖骸皮がどこにあるのかは、誰も知らぬ。聖骸皮がどういった物なのかも、誰も知らぬ。ーーじゃが聖骸皮を実際に見つけると、伝説の真相が全て分かる、と言われておる。偉大なる指導者ミハリの息子アセナよ、もし羊族との戦を回避したいのであれば、聖骸皮を見つけなさるとよい。残念ながら、戦は必ず起こるであろう。もしや、お前にしかこの戦を止める事ができぬかもしれぬ……」

もう間もなく朝を迎えようとしているゲルの外からは、羊に殺された殉教者たちの鳥葬を告げる遠吠えが聞こえていました。
アセナは遠吠えを聞きながら、聖骸皮を見つける事を固く決意していました。

――――つづく

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