干支〜年賀状作成に革命をもたらしたプリントゴッコと干支の関係とは

私が年賀状を出さなくなって早くも数年が経ってしまった。以前は12月23日の天皇誕生日に慌てて図案を考えていたが、天皇誕生日が2月23日に移動したことと、インクジェットプリンタがインク詰まりで毎年苦労していたことが重なり、とうとう年賀状を作成しなくなってしまった。

私が小学生の頃は芋版ハンコを作成し、友達宛に10枚程度出していた。芋版ハンコは文字通り半分に切ったジャガイモに文字や絵を彫って押すハンコである。ジャガイモを使っているので使用期限はせいぜい数日である。冷蔵庫で保管してもだんだんしおれてきて、角が丸くなり上手く押せなくなってしまう。今は消しゴムハンコがそれに取って代わっているが、芋版ハンコはその可塑性と刹那性が合わさり郷愁を誘うアイテムになってしまった。

小学生当時から10枚程度の年賀状でも煩わしいと感じていたぐっちー少年だが、あるアイテムがその気持ちを一変させた。プリントゴッコの出現だ。プリントゴッコはいわゆる家庭用印刷機である。原理はシルクスクリーンに小さな穴が空を開け、その部分だけインクが染み出すようにして、その下に年賀状を置くことで同じ図柄が大量に印刷できるのである。

私の気持ちを一変させた一番のポイントは大量に印刷が可能になったことではない。原版であるシルクスクリーンを作製する工程である。印刷する図柄を決めて原稿を書いたら、原稿とシルクスクリーンをぴったり合わせて機械にセットする。そして付属の電球が付いた蓋のようなものをかぶせて、一気に機械を押し込む。そうすると機械から閃光が走り、プラスチックが溶けたような匂いが漂ってくるのである。そうなれば完成である。

電球は内側にガラス、外側にプラスチックの2重構造になっており、使用後は内側のガラスにひびが入って1回しか使用できない。ぐっちー少年はこの閃光とバシッという音に心躍らせ、さらに使用後の匂いと、電球が冷めた後の外側のプラスチック越しに感じる割れたガラスの感覚に魅了された。年賀状は作らなくてもいいから、あの閃光を感じたくてたまらなかった。しかし、電球は使い捨てで、そう何度もバシッとできなかったのである。

原稿は鉛筆で書かなければならなかった。鉛筆に含まれる炭素が閃光によって発熱し、シルクスクリーンを溶かし小さな穴を開けるのだ。もしこのシルクスクリーンを作製する工程が別の手段であったら、これほどプリントゴッコに心躍らせることはなかっただろう。閃光は一瞬だけ日常に連続性を失わせ、別の時空に転移させられたかのような錯覚を覚えた。私が将来タイムマシンを作ることがあったなら、必ず閃光を走らせると決めている。

こうして年賀状作成が冬休みに入った少年の最初の作業となった。しかし、この心躍らせる閃光を感じるためには年賀状の図案を考案しなければならなかった。図案はなかなか決まらず、駅前の本屋で年賀状図案集を購入することが多かったのだが、いつも無難にその年の干支の動物を模写した。

文化は人々の生活に根ざして初めて成立する。干支という文化は年賀状なくしては成立しないだろう。我々が干支を意識する期間はおそらく2週間くらいだ。年末の1週間と年始の1週間である。クリスマスが終わってから慌てて年賀状を作成し、年始に年賀状が届く。中には箱根駅伝を見ながら年賀状を作成する人もいて、届くのは7日前後になる。それ以外の期間は干支を気にする機会は皆無といっていい。

ところが、私のように年賀状を作成しなくなった者にとっては干支に触れる機会が極端に少なくなってしまう。年賀葉書発行枚数は2003年の44億枚をピークに2021年は18億枚と半数以下に減っている。このままのペースだと2035年頃には無くなってしまうかもしれない。年賀状の衰退は即ち干支の衰退に繋がる。干支が無くなることは考えられないが、皆が共通の話題として語ることも少なくなり、年男、年女という概念も薄れていくだろう。ひつじ年生まれの男性と、うま年生まれの女性は相性が良いなどの居酒屋談義もなくなるかもしれない。

干支とは十干十二支の略で、中国から伝わった時間のとらえ方である、といった雑学については各自お調べいただくとして、十二支に動物を充てた先人に敬意を表したい。無機質で序列的な時間の概念に動物を充てたことで親しみやすくなったし、それが繰り返されることで悠久の時が表現されていると思う。

今年2022年は寅年である。私はあと何回寅年を迎えることができるだろうか。プリントゴッコに夢中だった少年時代には考えたことも無かった問いだが、人が変わったとしても寅年は何度もやって来る。1000年前の寅年頃に書かれたエッセイに今も共感できていることを考えると、1000年先の人がプリントゴッコに魅了された少年について共感してくれている可能性は十分にあると思う。問題は1000年先の人にこのエッセイが読まれるかだが。

(by ぐっちー)

<編集後記>

※このエッセイ「妄想生き物紀行」は、毎回ポッドキャスト番組「妄想旅ラジオ」 の過去放送回と同一テーマでお送りしていますが、今回はリクエストにおこたえする独自テーマ企画。「干支」はふわゆさん(とわたくし斎藤雨梟)からのリクエストでした。ふわゆさん、ありがとうございます!

ぐっちー作「妄想生き物紀行」第41回「干支〜年賀状作成に革命をもたらしたプリントゴッコと干支の関係とは」いかがでしたでしょうか。

今回もお読みいただきありがとうございます、編集担当オーナー雨こと斎藤雨梟です。

こんにちは!

プリントゴッコ! あの魅惑の電球!! と、赤べこみたいに頷いてしまったプリントゴッコ世代のみなさま。懐かしいですよね。本体は実家のどこかにあるはずですが、インクやら電球やらがもう手に入らないのだから残念です。それにしても、干支のことを考えるのが年末年始2週間ってことはさすがにないのでは。もう少し考えるのでは? たとえば……あれ?? 2週間だけかな?? わからなくなってまいりました。

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