芋版はジャガイモかサツマイモか、それとも? ぐっちーさんと話そう<41>

ジャガイモ版とサツマイモ版を木版画にしてみました風 illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

Twitterでお話しました

こんにちは。今週もよろしくお願いします!

みなさまこんにちは。
「妄想生き物紀行」編集担当、ホテル暴風雨オーナー雨こと斎藤雨梟です。

今回も、ポッドキャスター・ぐっちーさんのエッセイ「干支〜年賀状作成に革命をもたらしたプリントゴッコと干支の関係とは」を読んで、ぐっちーさんにあれこれお聞きしたもようを、お伝えいたします。

先週のぐっちーさんのエッセイをお読みいただくとより楽しめる内容です。

ぐっちーさん、よろしくお願いします

プリントゴッコとは何か

プリントゴッコへの熱い想いを語った先週のぐっちーさんのエッセイについて、1000年後の読者のためには「プリントゴッコ」の補足説明が必要かもしれない、と呑気に構えていたところが、2008年に生産終了したプリントゴッコ、現在すでに知らない人も多いとか。

なんてこったい。というわけでざっくり説明しますと、プリントゴッコとは家庭用のハガキ用印刷機です。印刷の種類としては「孔版印刷」というらしいです。布でできたスクリーンの一部にインクが浸透する小さな穴を開け、スクリーンの上からインクを塗って紙に押し付けると、穴のあるところだけ紙の上にインクが乗るという仕組み。穴といっても針でプスッと刺したよりももっと小さな穴なので、けっこう細かい絵や文字も表現できます。紙にインクを吹き付けて印刷するインクジェットプリンターと比べるとべったりとインクが乗るので、立体的に感じるほどの独特の質感があります。

「プリントゴッコ」は、鉛筆など炭素の入った筆記具で紙に書いた図案とスクリーンを重ねて専用電球を「ピカッ」と光らすことで、黒く書いたところだけスクリーンにインクの通る穴を開けることができます。

スクリーンができたら、インクを乗せ、本体にセットしてハガキを一枚ずつ乗せて「ギュッ」と押すと、自分の書いた原版通りの絵や文字が転写されるというわけです。以上をふまえ、「プリントゴッコ」で画像検索すると、プリントゴッコ本体と刷ったハガキの画像が両方出てきて「はは〜ん」くらいにはわかるはず。

私もプリントゴッコで年賀状を作っていましたが、年賀状って今でいう「メール」というよりは「LINEスタンプ」みたいなものだったなあという感じがあります。けっこう多くの人が使っていて、学生時代などわけのわからない絵を「ピカッ」「ギュッ」で量産し、手裏剣を投げる感覚で方々に送りつけるのが楽しみでした。

ジャガイモ派とサツマイモ派・プリントゴッコより古い伝統文化「芋版」の二大流派

長々とプリントゴッコの説明をしましたがそれはエッセイの補足のため。今回のメインは芋版の話です。

今となっては芋版の方が誰でもイメージがわきそうですね。芋を切って、断面に版画を彫って、インクをつけて押す。簡単(説明は)。ですが、芋と言ってもいろいろ。先週のエッセイに「ジャガイモで芋版を作った」とあったのに驚きました。

私は「芋版」=「サツマイモ」だと思っていたのです。

奥様はご両親が鹿児島出身だったのでサツマイモ派だった説、浮上!?

鹿児島からは遠い関東でもサツマイモでした。みなさん、どっちでしたか?

おお、ポチ子さん(名古屋出身)もサツマイモ派です。

ためしに「芋版」を辞書を引いてみたら、「サツマイモまたはジャガイモを彫って作る版画」と書かれていました。どっちもありなんですね。

ちなみに今年のトラのお年玉切手、調べてみたら本当にかわいい。かつてなく素敵なデザインでは? いいなあ〜。

持ちやすい、押しやすい、はサツマイモに軍配が上がると思います。でも、彫りやすさはどうでしょうか?

わかります! 筋っぽくて彫りにくいことが多いのです。

猟奇的な一年になりそうです。

希少価値がアップ、年賀状の輝き

プリントゴッコと違って材料がすぐに手に入る「芋版」ですが、年賀状を芋版で作る人というのはどれくらいいるものなんでしょうか。ポチ子さんにお聞きしてみましたよ。

2通。しかも1通は今年で終わり。いよいよ貴重なものとなっているようです。

でも残念と言ってもらえて、送り続けてくださった方も嬉しいのではないでしょうか。

はい、これまでさりげなく(?)言及を避けてきましたが、私も年賀状を諦めてはや数年です。

勝手ですが、こういう方がいると聞くと「なんかいいなぁ」と思います。

私はいろいろな葛藤を経て年賀状を書かなくなりました。SNSの登場が大きかったと思います。SNSがあるから年賀状はいらない、と思ったわけではありません。年賀状もまたSNSみたいに見えてきて残念になったというか、情熱が続かなくなったのです。でもSNS(に限らずこの世のあらゆるものに言えるかも?)同様、果てしない徒労の中にキラリと輝く宝石もたまに見つかるのが年賀状。私はやめてしまったけれど、まだ宝石はたくさんある。私は他の場所で宝石探すけど、そこにもまだあることが嬉しい。年賀状ってそんな感じです。

ポチ子さん、どうもありがとうございます!

清少納言に物申す

ところで、ぐっちーさんは「1000年前のエッセイに共感できる」と書いていましたが、どのエッセイの何に共感したんでしょう。思いつくままにお坊さんの悪ふざけとかを書いた話? 川の水が止まらないって話? それだとまだ1000年経ってないので、やはりあの話かな……

ズバリ聞いてみました。さてお答えは?

やっぱり春はあけぼの! のあの話、『枕草子』でした。
いや違う、あの話のあの箇所以外は共感できるということか。

確かに「冬はつとめて」は共感不能です。

清少納言さん、春の「あけぼの」と冬の「つとめて」の早朝かぶり。夏は夜をチョイスしていることといい、超絶暑がりなんでしょうか。北海道のぐっちーさんシティほどではないにせよ、京都ですよね。今より多少暖かかったという説もあるそうですが、家屋の構造や暖房事情を鑑みたら、冬の早朝の寒さは差し引きマイナスでしょう。冬はつとめてって、正気か。何を考えているんだ。ちなみに私は夏大好き過激派です。

あんまり気になったのでちゃんと読みたくなったところ、見つかりました。

冬は、つとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。

清少納言『枕草子』第一段より

雪が良いのは言うまでもないが霜も良い

ですって。なぜ?

あんまり寒いものだから火を急いでおこそうと炭を持って走り回ってるのがまたイイネ!

だそうです。おかしい。

昼になって暖かくなって火桶の火が燃え尽きてほったらかしになってるのは感心しないね〜

だって。ほっといてくれ。

寒ければ寒いほど良い。昼間になって少し暖かくなるなんて興醒め。そこまで言うって、何か隠された意図でもあるのか。冷蔵しないとどんどん腐っちゃうのか。ゾンビなのか。

そうかゾンビなのか。春は夜明け。寒くてgood。夏は夜。涼しくてまだマシ。秋は夕暮れ。あえて太陽見るならソレ。血みたいでcool。冬は早朝。寒くてgood。ゾンビだと思うとすべて納得できる。

ちなみに私はゾンビじゃないのでこれにつきます、

千年後の読者の皆さんこんにちは! ゾンビ文学『枕草子』もいいけど、妄想文学『妄想生き物紀行』もよろしく!!

再び、ジャガイモ対サツマイモを考察

妄想話におつきあいありがとうございました。

さて話を戻し、改めて、芋版にジャガイモ派とサツマイモ派が並存している意味を考えてみたのです。

ジャガイモとサツマイモといえば芋界のツートップ。人気・実力ともに伯仲しています。(里芋や長芋も素晴らしいですが、少し食べ方が限定されたりやや高級感があり、ジャガイモ・サツマイモほど食の「常連」ではないイメージがあります)

入手しやすさや価格もだいたい同じ。サツマイモの方が季節が限定され、ジャガイモは年中手に入りやすいという違いはありますが、こと年賀状の季節に限ればどちらも出回っています。

版木としての品質に明らかに差があればそちらに傾くでしょう。でもそうならないということは、「版木としても互角」なのですねきっと。どうだ、この永遠のライバルぶり。

そんなわけで今日のページトップの絵は「ジャガイモ芋版とサツマイモ芋版」を描きました。オヤジギャグ仕立てです。

もう少し詳しく言うと、「芋版の絵を彫った木版画風に描いたデジタルイラスト」であるところがポイントです。千年後、3018年寅年ごろのの読者の皆さま、2022年はなかなか複雑な時代ですが、複雑さもこの程度です。そちらはいかがでしょうか?

では、今回はこれにて。

次回のエッセイのテーマは「サメ」です。サメとエイの違いを教わったばかりなのでワクワクしますね。妄想旅ラジオ第42回「サメ」を聴いて予習しつつ、どうぞお楽しみに!

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