地球がやさしさの歴史を変えた ぐっちーさんと話そう<74>

人類の行方を決めるカワウソ会議 illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

Twitterでお話しました

こんにちは。今週もよろしくお願いします!

みなさまこんにちは。
「妄想生き物紀行」編集担当、ホテル暴風雨オーナー雨こと斎藤雨梟です。

今回も、ポッドキャスター・ぐっちーさんのエッセイ「カワウソ〜仕草は可愛いが凶暴なコツメカワウソは #ペットにしても幸せにできない動物」を読んで、ぐっちーさんにあれこれお聞きしたもようを、お伝えいたします。

先週のぐっちーさんのエッセイをお読みいただくとより楽しめる内容です。

AIにやさしく相談

シャルル大熊さんからの質問です。

「やさしい」は超便利な表現です。「肌にやさしい」「初心者にやさしい」などは人格あるものへの「やさしさ」イメージにもよくマッチしますが、「財布にやさしい」あたりからもう、節操がなくなってきて愉快なほどですね。私たちは今、「やさしさ大爆発」後の世界に生きています。

やさしいを英語で言うとフレンドリー。”earth-friendly”=「地球に優しい」はまあ、そうだなと納得できますが、「あの人はやさしい」と「あの人はフレンドリー」ではちょっとニュアンスが違うところに、何かある気がします。

「フレンドリー」を「やさしい」と訳すのはかなりの大発明ですが、「フレンドリー」ももともと対人的な言葉に思えます。翻訳する前にもする時にも発明があったということか。

穏やか、保護的、みたいなのも「やさしい」と言いますが、これももともと人間に対するものなんでしょうか?

やさしさからエゴをとったら残るもの。

俳句っぽくなった。
言葉にすると何か深いこと言ってやったみたいになるけれど何も言ってません。

「やさしさ」はエゴなのか問題に関して、トリフィドさんからもコメントいただきました。

環境汚染? え、何それ。

みたいな時代の反省をふまえての環境保全ムーブメントですからそういうことなんですよね、きっと。やさしさもエゴ。でも、人間のエゴにやさしさが含まれているところに希望を託したキャッチコピーなんでしょうか。

心残りのないよう親孝行、ですね。

やさしさの歴史を知る

トリフィドさんからはこんな興味深い研究もご紹介いただきました。

ドイツ語は欠片もわかりませんが、”freundlich”の部分が英語の”friendly”と同一語源の言葉らしいのは見当がつきます。ドイツに遅れること16年、エコマークの誕生にも様々な経緯がありそうです。

それにしてもこちらの「新語の生成と意味変容について」という論文は面白いです(難しい用語がなく楽しく読めるところもおすすめです!)。以下に改めてリンクをはります。PDFファイルです。

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/5784/kenkyu0210301130.pdf

*「やさしい」はもともと、人と人の関係に用いられる和語である(やっぱり、そうだったのか!)

*現代の国語辞典に載っている意味はもう少し広いが、「地球にやさしい」から派生してきたニュアンスはまだ掲載されていない

*「地球にやさしい」以降、「胃にやさしい」「皮膚にやさしい」などのワードが登場

など、「やさしさ」の歴史と、「地球にやさしい」という翻訳新語に採用されてますますの変容を遂げた経緯が書かれていて、なるほど〜と膝を打つ内容です。私の思う面白節操レスワード「財布にやさしい」には触れられていませんでした。残念。

環境問題でホットな話題は次々移り変わります。今は「脱プラスチック」や、随分前から王者的な地位にいる「CO2」でしょうか。でも、前に話題になっていた問題が解決しているのか、実はよく知らないなと実感しました。

オゾンホールは回復してきたらしいですね(唯一、最近ニュースで見て知った例)。

シャルル大熊さん、トリフィドさん、どうもありがとうございます!!

かわいいはエゴ

以前からの疑問です。

人間以外の動物は、多種の動物に対して「かわいい」「もっと見たい」などと思ったりするんでしょうか?

犬が子猫を育てていたりするのも、「本能行動」などとされていますが、それがつまり「かわいい〜!」なのかもしれませんね。本能は自己を守るもの。つまりかわいいはエゴ。

「かわいい〜!」がエゴなのは、深く考えたり指摘されたりするまでもなく、自分でわかります。かわいい〜!! という高揚感、自分のためでなく何だというのか。

ですね。

エゴ否定したら生物として終わります。でも人間のエゴはハイパワーすぎるので、無計画に全開にするとそれはそれで人類が終わるであろうことは歴史が示唆しております。

Gのいない世界かあ……

本州人というか非北海道人の北海道へのむやみな憧れの本質は実は「G」の不在だったりするのかな?(それはない)

そんな与太話はさておき。

何が悪いって人類が悪い。もうちょっと減ってくれないものか。

そりゃそうだけど、と片付けようとしてはっと気づいたのです。

×自殺願望的の匂い
◯自殺願望的な匂い

「俯瞰的他人事」といったスタンスで「人類多すぎる」とは言えるけれど、じゃああなた死んだら? と言われたらみんな嫌だし、要らない人間は殺してしまえ的な発想に結びつきがち。

以上がよくある「人類多すぎ説」の立ち行かないポイントですが、そういうのとは違う、「自分も含めて」人類要らないという新しい終末的感覚なのか? とふと思ったのでした。

エゴとエコ。そうですね。

「人類のような種の出現は必然」だと私は思います。現在の人類の存在が必然という意味ではなく、地球生命のシステムにおいて、他種を数とパワーで圧倒し駆逐する強い種の出現は必然という意味です。そういう種の末路には、単純に考えて (1)勝手に自滅 (2)他種を巻き込んで自滅 の二つのパターンがあり得ます。人類の繁栄は他種生物の存在に深く依存しているので、どうしても(2)になりそうな気配ですが、これは不幸中の幸いではないでしょうか。同時にそれは「他種生物や環境が守られなければ自分たちも滅ぶ」ことを意味し、人類は軌道修正せざるを得ないからです。つまりはエゴで人類も他種も助けざるを得ない。

エコマークだけでなく、やさしくフレンドリーな感じの「エゴマーク」つきのエコバッグもって買い物に行きたいですね。

さて今回のタイトル絵は「カワウソ会議」。今回のお題だったにも関わらずまったく登場しなかったカワウソがちょっと不憫だったので、人類の存亡のカギを握る未来の地球支配者という役どころで描いてみました。カラフルな試験管の中に人類が全部入っているんじゃないでしょうか?

ではまた来週。次回のエッセイのテーマはクマムシ。妄想旅ラジオ第75回放送「クマムシ」と関連した内容となります。ラジオの放送は、クマムシにまつわる数々の「最強伝説」や、色々ありすぎてよくわからない「ミネラルウォター」の謎、養命酒だけじゃない「薬酒」、などなど楽しいお話盛りだくさん。こちらもぜひ聴いてみてください。次回もどうぞお楽しみに!

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