その日は突然やってきた。
朝食のたまごサンドとフルーツを平らげると、息子が「うんち」と言っていつものように椅子から降りて走り出した。もうおしっこはほとんどひとりでできるようになったが、このところの息子の場合はトイレの中まで行き、便座に座った状態で「今日はどんなうんちさんが出るかなあ?」などと言いつつ、なかなか出ないようであれば「出ろ出ーろしてあげようか?」とおなかをマッサージしたりして済ませた後、その日のうんちがどのような階級(子ども、コロコロ、バナナ、お父さん、王様、女王陛下、など)のものであったかを検討報告し、おしりをおしりふきで拭いてもらって終了、という流れだ。
しかし今朝は違った。トイレに入るまではいつも通りだったが、何を思ったか中からしっかりと鍵を閉め、「入っちゃダメ」と言ったのだ。
「どうして?入っちゃダメなの?」
「見ちゃダメ!入っちゃダメ!」
「なんで?どうしたの?」
「ひとりでするのっ!」
「え?ひとりで!? 大丈夫?」
「・・・・」(しばし無言)
「ねえ、本当に大丈夫?ちゃんと出た?」
「・・・・・」(無言だがカサカサと何か音がする)
しばらくトイレの前で待って様子を伺っていたが、何も反応がないので何か大変な事態になっているのではないかと心配になってきた。なにしろ鍵がかかっているので中の様子がわからないのである。
「ねえ、大丈夫?鍵開けるよ?」
外から工具で鍵を回して少しだけドアを開けてみると、そこには見たことのない息子の姿があった。
なんとそれなりの量のトイレットペーパーを手に持ち、便座に座っていたのである。一瞬、これは夢なんじゃないかとも思ったが、トイレのドアの隙間から見えたその姿は現実のものだった。
「え?自分で拭くってこと?」
「自分で拭くから閉めて、見ちゃダメ!」
「わかった、じゃあ、ちゃんと拭けたかどうか終わったら父さんに見せてね」
「・・・・」(無言)
育児用語で通称「トイトレ」と呼ばれるトイレットトレーニングは、子どもによってもかなり差があり、なかなかオムツが外れない子や、おもらしをしてしまう子も珍しくない。養育者は発語の時期と同じくらいにこのトイトレ問題が気になるものだが、正直自分も、いつ自分で拭くようになるのか、どのタイミングで教え始めたら良いのか迷っているところだったので、まさか自己申告してくるとは予想していなかった。
しばらくするとトイレを流す音が聞こえ、「もういいよ」とドアを開けることを許可された。
そっとドアを開けると、息子はしっかりともうパジャマを着てそこに立っていた。
「自分で拭いたの?」
「うん、そう」
「ホントに?ちゃんと拭けたかどうか父さんがおしりふきしていい?」
「やだ!拭いたから大丈夫っ!」
何度か交渉してはみたが、息子は頑なにおしりふきの仕上げを拒否し、結果そのままトイレを出て手を洗った。ともあれ、ひとまずここは子どもの言うことを信じることにし、そのままいつもの遊びを始めることになった。こともあろうにその日の遊びは「おならぷー攻撃」というもので、お尻で父の顔を挟んでまたがり、「失礼こかせていただきます!」というアニメのセリフを再現しながらおなら攻撃をするというものである。
顔に馬乗りになり、鼻をおしりに密着させながら行われるその遊びは通常でさえなかなか覚悟のいるものだが、今回はさらに厳しい状況であった。
「おならぷーっ!!一件落着!」
そう言いながら息子は満足気に何度もその遊びを繰り返し、「戦闘不能」というまた別のアニメの決め台詞が流れるまで繰り返された。
振り返ってみると、乳児期に数日間出ないうんちを出すためにおなかのマッサージをしたり、オリーブオイルをつけた綿棒でお尻の中をぐるぐるさせていた頃の緊張感とはまた別のものがあったが、こんな遊びができるようになった息子の成長を考えると感慨深いものがある。
結果、お風呂に入る前にそのパンツを確認すると、やはりしっかり汚れが残ったままであった。「拭けてねえじゃん!」と思いつつ、これからのことを思うゴールデンウィークである。
(by 黒沢秀樹)