子どもに「ダメ!」と大声で怒鳴ってしまった。お風呂上がりにパジャマに着替えさせようとしていた時、近くにあった粘着クリーナー(通称コロコロ)で顔を叩かれたからである。
お風呂上がりにパジャマを着たがらない息子は、近くにあったコロコロを見つけると、それを持って得意げな顔をしていた。新たなおもちゃを手に入れた満足感からか、コロコロをゆっくりと振りかぶり、しばらくこちらの様子をうかがっている。以前にも物で人を叩いた時に叱ったことがあるので、「あ、それやっていいの?」と聞くと一瞬たじろいだが、しばし見つめあった後、意を決した息子の手からコロコロが振り下ろされた。よりによって角の部分が左目の上あたりに当たり、「ゴっ」という音とともにかなりの衝撃が走った。
自分はコロコロを息子の手から奪い取り、思わず「ダメっ!痛いでしょ!」「お友達にしたら嫌われちゃうよ!」と強い言葉で叱った。
当然息子は号泣したが、反省も謝る様子もなく、そのまま今度はカニ(指でつねる)とアンパンチの応酬が始まった。「やめなさい!」と言うも、さらに「ブーっ!」と言いながらよだれを口から出してそれをつけようとしてくる。、火に油を注ぐというのはまさにこのことである。
「怒る」と「叱る」は違う、などとよく言われるが、こうなるともうそんなことを考えられるような余裕はない。コロコロで叩かれた挙句、カニとアンパンチと涙とよだれにまみれながら途方に暮れるしかない。
エレキギターには「フィードバック」と呼ばれる奏法がある。これはアンプと至近距離でエレキギターを大音量で鳴らした時に起きる現象で、原理的にはカラオケのマイクのハウリングと似たようなものである。アンプによって増幅された音がギターのマイクにもう一度拾われてさらに増幅され、轟音が鳴り続けるというハードロックやヘヴィーメタルなどのジャンルではよく使われる音響効果のひとつだが、この時の子どもの状態はまさにフィードバックを起こしているようなものだろう。爆発した感情がさらに増幅されて収まりがつかなくなり、離れるかアンプのボリュームを落とさない限りその爆音が鳴り止むことはない。
子どもが好ましくない行動をする場合、どういう対処をするのが望ましいのか、これはあらゆる養育者の悩みであることは間違いないだろう。
自分の幼少期にはあまりに言うことを聞かなかった場合、ゲンコツで殴られたり平手打ちを食らったり、最終的に物置や押し入れに閉じ込められたりした記憶があるが、今の時代にそんなことをしたら虐待とみなされてしまうかもしれないし、もしそれでフィードバック奏法が収まったとしても良い影響が残るとは到底思えない。
泣いたり叫んだり何かやっかいなことを起こしている時、きっと子どもは何かを伝えたいのである。自分の幼少期を振り返ると、シンプルにそれは「かまってほしい」「察してほしい」だけだったことが多い気がする。問題なのはそのあまりの単純さゆえに、ただかまってほしいということが大人にはわからなかったり、そもそも大人の方が誰かにかまってもらいたい状態だったりすることである。
子どもは普通にしていてもかまってもらえないことに気がつくと、何か気を引くことをし始める。放っておくとそれは緊急度の高い行動にどんどんエスカレートしていくが、残念ながらそれは養育者をよりひどく困らせるだけで、より一層かまってもらえなくなるというスパイラルに陥ってしまう。まさにかまってのフィードバック奏法なのである。
こういう困った行動に養育者が「仕方なく」対処するということを繰り返した場合、子どものなかで「悪いことをするとかまってもらえる」という回路が完成してしまうことになり、養育者は常に困った子どもに振り回された挙句、もう全てを捨てて誰も知らない遠い国に行ってしまいたい気持ちになることもあるだろう。これはあまり好ましい状況とは言えない。
これを乗り切るために出来る方法は何か、考えたのは先手必勝、子どもがもうかまわないで欲しいと思うくらいかまってみたらどうだろうか、ということである。とにかく、嫌がられないタイミングで会話やスキンシップを増やす。これはなかなかいいのではないかと思っている。テレビを見ている時は抱っこをしながら一緒に見る、イヤイヤや謎の言葉にもなるべく相槌を打つ、出かける時は手を繋ぐ、特に何もなくても手足をマッサージしてみるなど、大人にとって特に生産的なことはないが、この積み重ねは意外に効果があるような気がしている。嫌がる時はそっとしておけばいいわけだし、伝わらない言葉でお説教をするよりもよほど自分にとっての疲労感も少ないはずだ。
きっとそのうちに「オヤジうぜえ、さわんな」などと言われる日が来ることは間違いないわけで、言葉が通じないうちはそのくらいでちょうどいいのではないだろうか。まだまだ子どもの底なしのかまって攻撃に対抗できるほどのスキンシップは出来ていないが、こういうやり方もあっていいのではないかと思う。
(by 黒沢秀樹)