毎日が子どもの日

5月5日、子どもの日。言うまでもないが、子育て中の養育者にとっては毎日が子どもの日である。
そんなわけで他にも事情は多々あるが、今年のゴールデンウィークはわざわざ遠出をするようなことはせず、だいたい子どもとふたりで近所の公園に行っていつもと変わらぬ休日を過ごすことにした。
毎日が新しい子どもにとっては、いつもの公園であっても期待に満ちあふれたお出かけであることに変わりはないようである。
「公園に行こうよ!」と自分から言い出すと、まだおぼつかない足取りでペダルのない自転車に乗り、お気に入りのパン屋さんに横付けしてソーセージデニッシュとチョコレートドーナツを仕入れ、ベンチに座って食べる。こぼれたパンくずは鳩やアリが食べるという知識を得たことで、「これはアリさんの分だね」とこぼしたことを正当化するなど、養育者としては素直に喜んでいいのかよくわからない成長の階段をぐんぐん登っている。
その後は全力で全ての遊具を渡り歩き、いつもより格段に子どもの少ない公園を満喫しているようだが、この時点で自分はもうフラフラである。

仕事は別として、自分はゴールデンウィークにわざわざ出かけたりすることはほとんどない生活をしてきたが、小さな子どもと一緒に過ごす連休というのは気力と体力の限界を試される耐久レースのようなものであることを実感している。会社や学校が休みになるタイミングでしか出かけられない一般的な方々はこうした機会に旅行などをするのだろうが、行く先々での混雑や渋滞を思うと、本当に気が遠くなる。
天気の良い過ごしやすい陽気の中、なんでもない近所の公園で走り回る子どもを追いかけていられる自分は幸運だが、子育てをしている誰もが、何もせずに子どもと過ごすだけの時間がもっとあっても良いのではないだろうか。何をするわけでも、どこに行くわけでもなく、ただ子どもと一緒に過ごす休日。そんな時間こそがとても貴重なものになってきているのではないかと思う。

そんな子どもの日だが、自分の幼少期を思い出すとあまりパッとした印象がない。
お正月やクリスマスにはケーキやお雑煮、プレゼントやお年玉という子どもにとってとても現実的な楽しみがあるのと比較して、子どもの日は連休の中にあることに加え、あるのは鯉のぼりと柏餅くらいである。鯉のぼりといってもはためくほどの風も吹くことは稀なので自分にとってはそんなに心ときめくものではなく、柏餅もケーキと比べるといささか地味な存在であり、なんだかぼんやりとしたものだった。

そう言えば鯉のぼりというのはいったん何なんだろうかとふと思った。クリスマス同様に、それがどんなものなのかあまり考えたこともなかったが、源流をたどると端午の節句は平安時代の武家に始まり、鯉のぼりは江戸時代に商人がその行事を真似たことが元になっているらしい。どちらにしても「家」というものに重きが置かれていた時代のもので、柏餅を食べるのも柏の葉は新芽が出るまで落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まったものらしい。
そう考えると「家系」や「家柄」のようなものへの価値観の変化や、核家族化や少子化が進んだことによって市民感覚とあまりフィットしなくなってきたことにも納得がいく。

最近では住宅事情のこともあって、特に都心では鯉のぼりを風になびかせることのできるような場所がある家庭はごく一部に限られるし、大型連休にはもっと他に優先すべき事柄が増えてきていることも確かだろう。

とは言え、日本独特のこの風景が全く失われてしまうのも少々さみしい気もする。
息子の時代にはもしかすると鯉のぼりもデジタル化されて仮想空間に泳いでいるのかもしれないなあ、などと思いつつ部屋に吊るした小さな鯉のぼり(室内では鯉飾りというらしいです)を見ると、そこにはアンパンマンファミリーが描き込まれていた。鯉のぼりとアンパンマン、という組み合わせに、さらに時代が複雑になって来ていることを感じている。

(by 黒沢秀樹)

『できれば楽しく育てたい』黒沢秀樹・著 おおくぼひでたか・イラスト

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※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
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