この記事は「知られざるアンデルセン」シリーズ第4回です。
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好奇心いっぱいの明るいのんき者〜アンデルセンのもうひとつの魅力
作品を読んでいていると、そして、挫折続きだった若い頃、それでも何があろうとへこたれなかったというエピソードに触れると、アンデルセンは相当にポジティブな人だったのだろうと感じます。それも、悩んでいる人に「それも楽しんじゃえばいいじゃ〜ん?」などと言い出す押し付けポジティブとはランクの違う、底抜けの「のんき者」というイメージが湧くのです。
自伝に「私の人生は一遍の美しい物語です」と書いたことからもそれは伺えます。一遍の美しい物語ってさ……。ちなみに私は、この有名なワンフレーズでかなりお腹いっぱいになったので、自伝は読んでいません。きっと極上スィーツ食べ放題みたいな面白さだとは思うので、胃の調子を整えてそのうち読みたいです。
さて、知られざるアンデルセンと知られざる名作について書くという連載4回目、今日はアンデルセンの意外な一面として、この「のんき」さが垣間見える、「おもしろい」作品をご紹介したいと思います。
まずは『食料品屋のこびとの妖精』です。タイトル通り食料品屋に住みついている妖精のお話です。妖精は、オートミールがもらえるので食料品屋さんが大好きです。この妖精が、貧しい学生さんに出会い、学生さんの愛する「詩」の世界を知ります。それが彼にとってどんなに素晴らしい喜びの源泉であるかを。大事なものは詩なのか、オートミールなのか……?というお話。妖精というと、仙人のように霞を食べているんじゃなかろうか、せめて花の蜜や草にたまった露でも飲んでいるというのではどうか、などと思いますが、この妖精は人間と同じようなものを食べないと生きていけないところが、面白いです。(『完訳 アンデルセン童話集』高橋健二訳 小学館 第4巻収録)
次に、『お父ちゃんのすることはいつもまちがいない』。タイトルからして何かありそうですが、果たして、逆わらしべ長者のようなお話。主人公の「お父ちゃん」が、序盤ですでに、落語でいえば「与太郎」のような、何かやらかしそうな人物であることがわかります。予想通り「やらかす」わけですが、最後にはそれが……?
心地の良い反復とおもしろおかしいやり取りで楽しめます。(『完訳 アンデルセン童話集』高橋健二訳 小学館 第6巻収録)
あざやかなサゲをつけて「アンデルセン落語」に仕立てたものを聞いてみたいようなお話です。どなたか落語家の方、いかがでしょうか? ご連絡、お待ちしております。(これを読んで思い立たれたとしても、私に許可を求める必要はもちろん一切ないのですが、ぜひ聞きに行きたいので……)
アンデルセンは、「王様は裸だ」と言ってしまう人?
そしてもうひとつ、最後はもちろん『大きなうみへび』です。
この童話にさほどはっきりした筋立てはありません。台無し覚悟で「超訳」いたしますと、海底に敷かれたケーブルを、海の魚たちは大きなうみへびだと思う、という話。しかしこれがなんともいいのです。
アンデルセンは意外と「新しいもの好き」だったのではないかと第1回で書きましたが、この作品からは、古い時代の人間が知り得なかった英知をこの時代が手にしている、という喜びが感じられます。かといって、新しいものをいち早く見たい、経験したい、というわけでもないようです。少なくとも、「新時代新技術バンザイ!」といった、今となっては時代がかって見える科学万能主義とは違うのです。
海の底でたくさんのきょうだいたちと一緒に生まれた小さな魚が、驚くほど大きなうみへびに出会い、うみへびをめぐるちょっとした冒険とも謎解きの旅ともいえる経験をします。海底ケーブルという、当時としてはとても「新しいもの」を、何ともいえずユーモラスに、少しロマンチックに捉えている、そんなお話です。
海底ケーブルをめぐる海の中の大騒動。最後は海の知恵者を名乗る人魚、またの名を海牛(いわゆるウミウシではなく、ジュゴンやマナティなどカイギュウの類いを指すと思われます)が騒ぎをおさめるけれど、主人公の小さな魚は……?これまた魚たちのやり取りがとても愉快で、落語になりそうです。「餡出流栓作、海中文明開化の一席を、」てな具合で噺家の方……(以下同文。くどいので自粛いたします)
このお話の主人公の小さな魚は、今思うとアンデルセンの「おもしろ」「のんき者」要素の強い『皇帝の新しい服』(『裸の王様』というタイトルでも皆さんご存知のことでしょう。『完訳 アンデルセン童話集』高橋健二訳 第1巻に収録)に登場する子供と共通したものを持っています。自分の好奇心と直感に忠実で、周りに何を言われようとそれを曲げないのです。意見を異にする周りの人たちと戦うわけではないけれど、かといって自分を変えたりはしない。「これでいいのだ」のバカボンパパイズム。『皇帝の新しい服』は超有名作品なので、もはやネタバレは気にせず書けば、「言っちゃダメならもうやめるけど、でも王様は裸だよね?」イズムと表現してもいい。ここにも底抜けにポジティブなアンデルセンが宿っているように思えます。
そして、このお話はまるで2020年代の現代を予言しているようでもあるのです。そのことは次回書きます。よろしければもう少し、お付き合いください。
『大きなうみへび』文学フリマ東京39に出品します
さて、写真の限定版『大きなうみへび』(アンデルセン作・高橋健二訳・斎藤雨梟画)文庫版上製本を、きたる2024年12月1日に開催される「文学フリマ東京39」に連れて行きます。
今回掲載したイラストをはじめ、全ページに絵の入った楽しい本です(本記事に掲載した絵はカラーですが、本の本文イラストはモノクロになっています)。装丁は丸尾靖子さんです。
アンデルセン作『大きなうみへび』については、次回に続きます。どうぞお楽しみに!
(本記事は、以前「雨梟の多重猫格アワー」に掲載した文章を再編集したものです)
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知られざるアンデルセン<5> 晩年の名作『大きなうみへび』は預言書?