去年だったか、NHKで、日本に住む外国人をたくさん集めて色々な意見を聞く番組を見た。
その時はたしか「日本について不満に思うこと」といったテーマで話していたと思う。
一人(どこの国の人だったか)が、「日本人はすぐに、『日本は四季が美しい』と言うけど、四季が美しいのは日本だけじゃないよ」という意味のことを言っていた。
なるほど、である。北極圏や赤道直下ならともかく、温帯にある国ならば、どの国にも四季の移り変わりはあり、季節ごとに美しい自然の情景もあるだろう。
さて、日本人の持つ、日本の美しい四季のイメージとはどんなものだろうか。最近思うのだが、私を含め多くの日本人が「美しい四季」と言う時に思い浮かべる風景は、自分の長年親しんだ景色ではなく、テレビで見る各地の観光名所の風景なのではないだろうか。
春は咲き誇る吉野の桜。初夏なら山陰あたりの緑の棚田か。盛夏は隅田川の花火、あるいは風鈴売りや金魚売りの通る涼しげな路地。秋はやっぱり嵐山の紅葉だろう。冬は飛騨高山の合掌造りの家々か、東北のかまくらか。
私が実際に見たことがあるのは、嵐山の紅葉だけだ。何年か前に、たまたま紅葉の季節に京都に出張に行き、たまたま平日の午後に3時間ほど空き時間ができたので、電車に乗って紅葉を見に行った。翌日の新聞に写真が載っていたから、多分あの日が当地の紅葉のピークだったのだろう。平日というのに散策ルートは観光客であふれていた。嵐山に限らず、紅葉(あるいは桜)の名所で、多くの観光客に煩わされずに静かに紅葉(桜)を楽しむなどというのは、JRのCMの中だけのことかもしれない。
夏の花火は確かに美しいが、縁側に座ってうちわを使いながら見るというのはビールのCMの中のイメージだ。緑の棚田や冬のかまくらを自分の生活の中で見ることのできる人も、1億人のうちなん人くらいいるだろうか。
こう考えると、我々の持つ「美しい四季」のイメージは、ほとんどがテレビの映像から得たものではないだろうか。
少々古い映画だが、「マトリックス」というのがあった。マトリックスでは、人々は一人ひとり培養タンクの中で栄養を与えられ、コンピュータが提供する夢を生きている。現在の私たちの多くは、都会の自宅の一室にいながら、テレビ(あるいはパソコン)という機械が提供する、美しい自然を体験する。我々の間に張り巡らされたシステム(マトリックス)から与えられた現実をかなりの実感をもって体験しているという意味では、マトリックスの世界の住人とよく似ている。
映画「マトリックス」がヒットしたのは、派手なアクションのかっこよさもあるだろうが、我々が日頃うっすらと感じている「誰かから管理された体験を生きているのではないか」と言う気味の悪い感覚をうまく表現していることも、理由の一つだったのではないだろうか。
映画を含め、我々に訴えかける芸術作品というのは(「芸術的」な作品であれ、いわゆるエンターテインメント作品であれ)、我々の多くが共通に体験するある現実のある部分を、巧みに切り取り、加工し、分かりやすい形で示しているのではないだろうか。
余談ですが、マトリックスの設定って、萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」(原作:光瀬龍)に出てきたゼン・ゼン・シティのぱくりだとおもうんですが、どうでしょう?
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